2007年11月13日火曜日

赤福会長が退任

赤福の会長濱田益嗣氏が事件後に初めて人前にでたとき、それは辞任の記者会見だった。

氏は赤福を地元を代表する企業に育てあげ、伊勢神宮前に観光名所を私費で建設するなどの功績があった。しかし、"まき直し"を考案し利益を追求するなど強引な上に、"人好き"のする性格ではなかったらしい。逆に息子の現社長は人が良かったのだとか。
会長の性格が内部告発を招き、逍遙として従っていた息子が矢面に立たされる。気の毒な気もするが、社長の器ではなかったということかもしれない。

強引な社長の跡を継いだ人というとUSENの宇野社長を思い出す。有線は音楽配信の通信線をかなり強引に敷設していたらしい。勝手に電柱を使うなどは序の口でガードレールにまで通信線を貼り付けたのだとか。しかも、使用料を支払わずに。急死した父親の跡を継いだ宇野氏は最初の数年はその適法化に力を注いだのだとか。

赤福の社長も父親が死んでいたら社内の改革が出来たのだろうか。宇野氏の父親が存命のまま跡を継いでいたら。


人生には本当に色々な可能性があるものだ。

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