2011年3月26日土曜日

来るべき関東大震災では帰宅困難になることが最も心配

関東で暮らしていると、東日本大震災のことを思いつつも「いつか来る」と言われている関東大震災のことを思い悩む人も多いと思う。さて、この大震災で何が最も困るだろうか? 
 
【津波は心配ない】 
今回の震災と違って、関東の場合は津波についてはあまり心配しなくても良いそうだ。津波は今回のように海中での断層崩壊型の地震に伴って発生するが、関東の場合は大規模な者は東京湾沖や相模沖で発生することになる。東京湾のように袋状の海岸線では津波は低くなり、逆に陸前高田の様にV字型の入り江では高くなるのだそうだ。だから、東京の津波は50センチくらいと想定されている。たぶん、多少川が逆流したりするだろうが、建物が流されるほどの被害は受けないだろう。
 
【揺れは怖くない】
今回の長周期の振動と違い、関東大震災では直下型の短時間の揺れが想定されている。この様な揺れには最近建てられたビルなどは平気だろう。問題は耐震強度が弱い古いビルや木造の住宅だ。東京でも西側の山の手には古い町並みがあり、倒壊と火災のリスクが高いと言われる。しかし、地震の起きる時間帯にもよるが、多くの人が火災から避難する猶予はあるだろう。
 
【帰宅困難の被災者は数百万人】
今回の震災では多くの人が帰宅困難者となった。早々に帰宅を諦めて会社に泊まりこんだ人も相当数いた中で、あれほどの人が徒歩で家に帰ろうとした。しかし、都心を地震が襲ったとしたら、会社への泊まり込みも出来なくなるだろう。電車は止まり数百万人の人が道路に溢れる。
地震で道路は歩きづらくなっているだろう。そして都心を囲む様に流れている川、そこに架かる橋が落ちているところもあるだろう。多くの人が路上で過ごすだろう。そして、それは何日間か続くに違いない。
 
東京は、かつて徳川家康が侵入を妨げる様に作った"孤立した都市"である。だから、橋が落ちると物流は寸断され、物資を都心に送ることは不可能になる。帰宅困難者の食料は直ぐに枯渇するので、どうにかして被災地の外に逃げるしかない。
 
斯くして数百万人の帰宅困難者の列が都心から延々と続くのが最も心配なことだ。

2011年3月24日木曜日

本当に水から検出されたか分からない

小飼弾氏が紹介している。
「放射能ほど測定しやすいものはない」ってどんだけ?
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51658186.html

「1018というのは100万の3乗ですから、これは100万mm=1km立方の空間中に、1mm立方の粒が3つあるのと同じというたとえも出来ます。」

放射能を帯びているとそんな微量でも測定出来るとは驚き。だが、逆に測定しやすくて間違うということはないのだろうか?そんな繊細な測定で誤差はどの程度なのだろう。本当に水から検出されたのだろうか。

今日の朝刊で「東京で水道水は乳児に与えてはいけない」と言われて、同じ頃に測定された結果は十分の一の数値。店頭からミネラルウォーターがなくなっただけという結果。必要な発表だったのか、疑問が残る。

地震じゃなく津波被害

昨日、会社の同僚が4トントラックで通行出来る様になった東北道、一般道を通って首都圏から仙台まで走った。ベテランドライバーでもある彼が「疲れた」とこぼすほど道路の状態は悪く気を使ったようだ。みんなの党の松田公太議員が自らハンドルを握って被災地に行ったのは大変な苦労だったろうと思う。

仙台市内の様子は聞くと思ったほどの被害は無かったという。もちろん、激しい揺れで物が飛び散ったりはしたが、建物の倒壊はあまりなかったということだ。直下型だった阪神淡路と違い、地震の衝撃はそれほどでも無かったようだ。だからこそ、今回の津波被災地でも深刻に捉えられず避難が遅れたのかもしれない。

確かに地震の衝撃はあっただろうが、今回の災害は「東北広域大津波災害」と名付けるべきだろう。だから、これまでの「震災対応」とは違った対応をしなければいけないのではないかと思う。震災では災害地域は被災の程度が斑で、無事な場所を拠点に復旧作業にあたれた。しかし、津波の様に根こそぎ被災すると復旧は被災地全体を地ならしすることからはじめる形になる。火災と違い瓦礫が沢山残っているので、その撤去だけで大変な費用がかかる。

地ならしして町割りを最初からする市街地建設の中に、それまでの住民の一般生活を共存することは難しい。だから、津波の被災地からは住民を集団で避難させて復旧までの生活を支援するしかない。それには三年くらいかかるかもしれない。東北各県の自治体への集団避難が一番だが、それ以外の自治体への避難も検討するべきかもしれない。三年くらいとするか、「移住」とするかも考えた方が良いだろう。

2011年3月23日水曜日

たとえ放射線数値をいくら公開してもパニックは収まらない

福島原発の事故で放射性物質が漏れているという話が東京からのエクソダスパニックを招いている。

実際に経済的理由や、仕事の必要で行動に移せない人が相当数いるので、大規模なパニックには至ってないが、原発の状況が変わらないとパニックが拡大する可能性はある。各国大使館が業務を大阪に移管したり、外資が首都圏脱出や海外脱出をしているため、動揺している人は潜在的にはたくさんいるだろう。

パニックを静める為に政府は放射線の数値を公開して国民を安心させようという話は良くあるが、それは無理というもの。第一に、その数値が何を意味するか良く分からない。第二に、「日常生活の何倍」とか「CTスキャンと同じ」とか言われても、そのことと健康被害の関係は分からない。エックス線ならまだしも、CTスキャンなど一般人には縁遠いし、日常生活の何倍までなら大丈夫なのか分からない。第三に、政府や東電が本当のことを言っているか信用出来ない。

何よりも、パニックになっている人たちは「安心」を求めているのであって、それは本質的にはお母さんの抱かれなければ手に入らない。

政府はパニックを防ぐことは諦めてコントロールすることに力を注いだ方が良い。

2011年3月21日月曜日

教科書は印刷するな

今日、ある教材の出荷準備作業を手伝った。一日中作業してほど良い疲れを感じつつ、「この作業って必要だったの?」と疑問を感じた。もちろん、これで稼いでいるわけだから、あった方が実入りはあるわけだが、なんの意味が…という疑問は抑えられない。

「これって、児童にiPad配って配信したらいいんじゃない?」

まず、教材の印刷代が節約出来る。CDなども配布していたが音声はもとより動画だって配信可能だ。それらの製造費用もかからない。

仕分けや梱包・出荷などの作業が必要なくなり、費用が削減出来る。仕分けや配達ミスもなくなる。ストレスフリーになるわけだ。印刷ミスだって直ぐに修正出来る。

なのに何故大量の教科書や教材を印刷し、全国に配布しているのだろうか。無駄という他ない。

福島原発の事故は大した問題じゃない

今回の地震・津波の被害に福島原発の事故が加わったため、みんなの関心がそちらに向いているように思う。東京や神奈川に住んでいる人まで「福島原発はどうなった」とずっと騒いでいる。

騒ぎすぎ

福島原発の周辺に住む人にとっては放射線による被害や今後家に帰れるかを含めて心配だろう。これは、1)事故を招いた東電 2)原発誘致を決めた自治体 3)原発によるエネルギー調達を決断した国 の三者が誠実に対応すべきだ。しかし、福島原発から100キロも200キロも離れた関東の人が一々リアルタイムでニュースをチェックする必要はない。なぜなら原発からの放射性物質の飛散、放射線の漏洩は彼等には関係ないからだ。

彼等はあるはずもない放射線の影響に過度に騒ぎ立て、被害者の様に東電や政府を責める。しかし、彼等は被害者ではない。福島原発の電力の主な消費者は関東の住民や企業だ。彼等の為に原発周囲の人は身近にその建設を許したわけだ。

被害者でもなく、福島の地に原発が建設される一因とも言える人たちがあれほど原発に関心を持つ理由は分からない。もしかしたら、騒ぎ立てることで自分も被害者の列に並んでいるつもりかもしれない。

視察ではなくサプライズ激励を

菅首相が震災現場や福島原発付近の視察を計画しているらしい。こういう話が漏れ聞こえてくる時点で危機管理に問題を感じる。警備の問題などで批判的な論評が多い。

しかし、リーダーが最前線を慰労するのは悪いことではない。ただ、やり方は良く考えないといけない。

今の震災現場や原発事故対応の最前線は、日々目まぐるしく変わる状況対応に四苦八苦していて、当ながら"最大限"の努力をしている。この際に必要なのは、叱咤よりも共感だろう。言葉の選択ひとつで現場の士気に影響する。

かりに前線に菅首相が出張るのであれば、それを気づかせてはいけない。官邸のスタッフなどで準備して、短時間でサッと引き上げるべきだ。伝えることは、「苦労を分かち合う」こと「信頼している」こと「感謝している」ことだ。