2010年9月15日水曜日

民主党代表選挙に関するイロイロな意見について

参院選の後の、日本経済が円高と株安で打撃を受ける中、国会を開会せずに党内抗争に明け暮れた菅政権の1stシーズンが終わった。最終回に代表選挙勝利で締めるあたり、ドラマとしての出来もなかなかのもの。代表選挙が明けてネットでも色んな意見が被歴されている。その幾つかをいじってみよう。

「事実上の首相公選」

民主党代表選挙が与党であるからと首相公選に比するのは言い過ぎだろう。ならば自民党の過去の党首選挙は殆どが首相公選と同等と言えるのか?実際には党代表や党首を選べるのは党員のみである。そして、私的な政治集団である政党の代表者は必ずしも"民主的"に選ばれる必要はない。

公選に対して私選は「構成員の恣意」が許される。その選挙が首相公選と同等というのは言い過ぎだろう。これを拡大解釈すれば、共産党の"恣意的に"選ばれた代表者が国家元首となる隣国やその向こうの大国も"民主的"と強弁出来てしまう。

「総取り方式の党員サポーター票は結果ほど得票差はない」

これは小沢シンパのブログで見かけた。投票後に総取り方式になったワケではあるまい。その方式への対応を含めての代表選挙なのだから、恨みがましいというものだ。これと同様に、

「菅首相が勝ったのではなく、小沢一郎に対する世論の反発に負けただけ」
「菅首相を小沢一郎に対する批判票で勝ったので支持されたワケではない」

という意見もあった。これは菅首相を民主党に、小沢一郎を自民党に変えると昨年までの選挙結果についての説明になる。確かに"消極的"な選択としての菅首相であり、民主党であった。かと言って、だから選挙で勝った菅首相や民主党がないがしろにされてはいけない。ルールに則っての結果を尊重する前提がなければ、そもそも選挙方式にする意味はない。ならば有力者が話し合いで決めるべきだろう。

結果ほど得票差がないのは確かだが、得票差の程度が問題なのではなく、得票差があることが重大だ。一票でも多く票を得たものが勝利者であることが選挙のルールであり、勝負においては勝つか負けるかで中間はない。代表の座が一つしかない以上、得票でも菅首相が勝ったことが大切なことなのだ。

先の投稿でも書いた様に小沢一郎が選挙に強いというのは幻想で、実際には敗けが遥かに多い。だから、今回の結果の理由は「小沢一郎が選挙に弱かったから」としても良いのではないだろうか?

0 件のコメント: