2010年10月28日木曜日

靖国合祀が戦争被害者を加害者にしたてるという変な理論

那覇地裁に訴えられていた「靖国合祀取り消し訴訟」は敗訴となり原告が控訴することとなった。

あまり強い関心があるわけではないが、原告弁護団の次の言葉に引っかかった。

「神社の無断合祀を認めることで、戦争被害者が加害者と同列に置かれる。」

恐らく所謂"A級戦犯"を指して加害者と言っているのだろう。そして、戦死者は被害者なのだと。

国家間の戦争において、一方の国内に戦争の加害者と被害者がいるというのは可笑しな話だ。封建国家で国民の意思と政府が無関係であれば戦争において両者は対立するかもしれないが、日本の様に選挙によって選ばれた政府の決定には国民が連帯して責任を負うべきだろう。敗戦の責任は追求されるべきだろうが、戦争したこと自体にあの時代に加害者も被害者もない。

軍部が力を持っていたので誰も反抗出来なかったというのはあり得ない。戦時中に東條英機は退陣し、終戦を無役で迎えたのが日本に独裁体制がなかったことを示している。なら、何故あの戦争が止まらなかったのか。ひとつには欧米列強に外交舞台で追い込まれたこと。もう一つは日清・日露・第一次世界大戦と続けて勝者になったことで国民を含めて驕っていたのだ。

世界で同盟国は僅かに二ヶ国。ほとんど"世界"を相手に戦ったに等しい。その戦争を生き残るため、誇りのため、家族のために戦ったのは国民自身だ。政府や軍はその指揮者の役割を演じただけだ。

だから、私たちは自分の父祖が、この幸せな時代のためな戦ったと誇って良い。その父祖を勝たせるために政府と軍が指揮したということだ。決して政府と軍が私利私欲の為に国民を追い立てたのではない。平安の御代から軍人は平時に遠ざけられる損な職業だ。

戦争は避けうるものだし、外交手段としては奥の手だ。その最後の切札を安易に切りまくったことは批判されても良いが、所謂"A級"戦犯が加害者という考えに私は与しない。

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