2011年1月25日火曜日

「一人ひとりを包摂する社会」特命チーム って恐ろしい…

菅首相官邸ブログで面白い提案があったそうです。

「第12話【孤立】「一人ひとりを包摂する社会」特命チームスタート!」
http://kanfullblog.kantei.go.jp/2011/01/20110119-3.html


「包摂」という言葉はマル経用語なんですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%85%E6%91%82

<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%85%E6%91%82>

Wikipediaの解説より引用

「経済・社会は、捨象して抽象化することが可能な人間相互の関係である。他方、現実の経済・社会は、自然科学の法則を合目的的にシステム化した技術、生物としての人間、自然環境、空間など、さまざまの外生的な存在を取り込まない限り存続することができない。
これらはいずれも、自然的存在であって、自然科学が究明する独自の運動法則をもつ統一体である。経済や社会は、このような自然的存在のうち有用な性質だけを取り込んで(包摂して)活用しようとするが、自然は統一体として存在しているのであるから、有用な性質の包摂は、同時に、経済・社会にとって障害となる要素も同時に包摂せざるを得ないことを意味する。その結果、この障害となる要素が、経済・社会にさまざまの否定的帰結をもたらす。これが、経済・社会にとって外生的なものの形式的包摂(formal
subsumption)である。
そこで、経済・社会の主体は、この自然の存在が障害をもたらさないように、この自然存在を作り変えなければいけない。これは、経済・社会による人為的な自然の生産過程である。人為的自然が適切に生産されれば、形式的包摂に際して存在していた障害は消滅する。これにより、経済・社会は、外生的な自然を実質的包摂(real
subsumption)したことになる。」

これを「人」に適用するのですか。経済・社会の外生的存在となっている「孤立した個人」を社会に取り込むが「一人暮らし高齢者、児童虐待、不登校、DV、離婚、貧困、非正規雇用、孤独死、そして自殺」という『障害』も取り込んでしまう(=形式的包摂)。だから障害が起こらないように「孤立した個人」を社会に適合するべく『作り変えないと』いけない(=実質的包摂)。

おお!恐ろしい。『再教育』ですか。収容所思想ではないですか!
もしかしたら、「孤立した個人」に適合するように社会を作り変える気かもしれません。
それまた恐ろしい全体主義ですね。

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