2009年6月8日月曜日

地域に根ざさない国会議員って良いものだろうか

http://mainichi.jp/select/biz/katsuma/crosstalk/2009/05/post-18.html
選挙のコスト削減を:勝間和代のクロストーク - 毎日jp(毎日新聞)

勝間和代がテーマを挙げて実名によって意見を表明するコーナー。
今回のテーマは「選挙」。

選挙や政治家がテーマになると以下の様な意見が出てくる。
曰く、
「国会議員は特定の地域に利益誘導になってはいけないから、比例選挙にした方が良い」
「特定の血統によって政治が壟断されてはいけないから世襲を制限しないといけない」
「理念や政策をマニュフェストで示して選ぶ方はそれを評価して投票すればよい」
など。
つまり、国政政治家は
1)天下国家を語るのだから地域選抜ではいけない
2)特定の血統が国政を独占してはいけない
3)理念や政策によって選ばれるべきだ
ということだ。

果たしてそうだろうか?
政治家ってなんだろうということを考えてみると、身近な存在で例えれば企業経営者だ。
企業経営者に必要なことは「不安定な経営環境の中で決断をする能力」「選択したことに対してどのリソースを割り当てるかを判断する能力」「多様なリソースを選択した目標に向かって駆り立てる能力」である。
もちろん、この上に経営理念を示すなどの「コンセプト能力」も加わるが、概ね経営者に必要なのは決断・判断・モチベートであると思う。
この中で最も重要なのはモチベート力であると思う。
たとえどれほど素晴らしい理念や政策を持っていたとしても、それを実現するために多くの(大物や先輩など手ごわい)政治家を巻き込み、(海千山千で吝嗇な)官僚に知恵を振り絞らせることが出来なければ画餅に過ぎない。
モチベート力を判定するのに選挙というシステムはベターである。
政治にも社会にも特定の関心を示さない人も含めて、多くの有権者を惹きつけ投票所に駆り立てることが出来なければ政治家になっても政策を実現することは出来ないだろう。
有権者を投票所に駆り立てるには有権者の最大の関心事に対して政策を約束することが必要である。
それはその地域の問題に根ざしたものであろうし、それを取り上げなければ有権者は政治に何ら期待をしなくなる。
国家理念や国家政策は有権者にとっては遠すぎる。
理念によってだけ政治を語ることも危険である。
理念なき政治よりも理念だけの政治の方が危険なのは我々の歴史が示している。
そもそも国家というものが地方の集まりの中に存立し、地方がより小さなコミュニティによって形成され、コミュニティはその土地に根ざした郷土愛によって成り立っている。
だから国政政治家は地方を地盤とするべきであり、その利害をもって国政で戦い、結果として国家全体でより良い選択を見つけ出すべきなのだ。
それを地域に根ざさない、国家というシステムにだけ根ざした政治家で政策を論じるというのは危険だと思うのだ。
そういった国民の生活から遊離した政治体制は共産主義であれ、社会主義であれ、失敗していることを忘れてはいけない。

だから、国政を預かる人間は、国民の代表としての特定地域の有権者の意を十分に受けるべきであって、その中には身勝手なものもあるだろうから、それを政治家としての見識の中で取捨選択し国会の俎上に上げて議論していくべきなのだろう。そして、そこで有権者を魅了した力で賛同者を内外に作り出して実行していく力をこそ政治家の評価軸としたいと思うのだ。

冤罪対策

先週、所謂「足利事件」で有罪の上で無期懲役となっていた受刑者が、最新のDNA鑑定の結果無実の罪であったと釈放された。17年だったのだそうだ。それを受けて各種ニュースショーでも「冤罪けしからん」という論調の特集が組まれていた。

冤罪は警察と司法の「誤謬」であり、避けるべきことで可能な限りなくしていかないといけないことだと思う。しかし、人間がやる以上ミスは避けられない。だから冤罪に対しては、1)冤罪を引き起こさないシステムの確立
と2)冤罪が判明した場合の救済措置と国家補償 の二つの方向について整備されていなければならない。

冤罪を避けるシステムとしては、「取調べの可視化」などが取り上げられている。冤罪の多くが「自白の強要」によって事件化しているということで、取調べが強制的でないかということについてビデオ撮影などで公開できるようにしようというのだ。どうも冤罪=自白の強要という図式だけが目立っているが、本当にそうだろうか?自白よりも証拠を重視する欧米の司法でも冤罪は発生している。日本は自白を重視しているから、その過程で発生したエラーが問題になるし、欧米では証拠のエラーが問題となるわけだ。つまり、自白が厳密化しても証拠固めにおいて何かしらのミスがあれば冤罪は発生するのだ。
犯罪捜査は「犯人は否認する」という前提で疑うことから始まるので、どうしてもグレーを黒にしようとする力が働く。これは決して悪いことではなく、本当に黒であれば自白が強要されたものであろうと、証拠に疑わしいところがあろうと正義であって、その逆だと警察と司法は非難されるわけだ。そこには警察や司法は過ちを犯してはならないという「過剰な完全性」が求められているようである。しかし、人間がやることで完全なことはない。そのために、「疑わしきは被告の利益」と言われているわけだ。それでもその網をすり抜ける誤謬はあるのだ。
完全に冤罪をなくすことが出来ないとなれば、一つには冤罪を引き起こさないように法の網の目を粗くするという手がある。しかし、それは犯罪を野放しにするということになり、そのバランスは難しいだろう。そこで冤罪が判明した場合の名誉回復や生活保障、国家賠償請求などの制度をしっかりしておく必要がある。個人も国家も過ちを犯す。その過ちを補償するのは国家による名誉回復と金銭補償でしかない。冤罪の発生を認めた上で金銭補償が出来るように政府が基金を用意するなども必要ではないか。

冤罪の可能性がある以上、引き返せない罰=死刑を廃止するべきであるという意見もある。理解できる話だ。でも、死刑以外であっても刑罰を科すと引き返すことは出来ない。逮捕拘留だけでも引き返すことは出来ない。重大事件になれば逮捕時にマスメディアによって顔写真などが報道されてしまう。それを引き返すことは出来ないのだ。だからこそ、強力な権力や権威による「名誉回復」と「金銭保証」をしていかないといけないのだと思う。
冤罪が確定した時点で時の政府は冤罪被害者を招いて陳謝と慰労をするべきだろう。政府以上の権威(つまり、天皇)による慰撫も必要ではないか。もちろん刑事機能や司法機能を改善していくことも必要だ。それでも発生するエラーを救済するシステムを真剣に考えた方が良いと思う。それが冤罪を社会的に「無くす」ことにつながるのではないだろうか。

2009年6月4日木曜日

宝くじの統計学

日科技連刊行の「ビジネス数学のはなし」(大村平 著)を読んでいる。実際に試してもいるのだが。その中に「宝くじ」の話があった。
この本が書かれた1995年当時のジャンボ宝くじの期待値(当選金額と当選確率の積の合計)は142円。手元にあった今年の宝くじの期待値も同じく142円だった。当時に比べて一等賞金は3倍以上になっているのに(15年前は一等が6000万円だった)、期待値は全く変わっていない。
面白いものだ。実は、一等賞金が6000万円から2億円になった代わりに、当選確率は四分の一になっている。他の当選金額と確率も調整されていて、142円になるようになっている。
つまり、142円を300円で買っているわけだ。この本によると、一般的に人は確率が低いと期待値以上のお金を払う傾向があるという。さぞかし売り上げは増えたことだろう。パチンコなどで当選確率が規制されているのはこれが理由ということのようだ。過度な射幸性の禁止は人の特性を考えると正しいわけだ。
142円を300円で買うかどうかはそれぞれの価値観だが、当選確率がこれほど下がっても買いたいだろうか?まあ、2億円という金額をみると誰も思考停止にはなるだろうが。良く「夢を買う」という言い方があるが、その夢のプレミアムは158円ということらしい。夢の値段として158円は安い?これも人それぞれ。

行動変革モデル

社内の電子掲示板に書き散らしていた文章から。。。。

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行動変革モデルというのがあります。
「KAPモデル」というのですが、知識(Knowledge)が態度(Attitude)を変え、態度が習慣(Practice)を変えるという主張です。
従来のコンサルタントはこのモデルを採用しています。なので、最初に多くの情報を収集して何をどう変えればよいかという提案(知識)を与えて、それによってクライアントの態度を変え、行動を変えようとします。

しかし、当社でも現実に起こっているように、このモデルは現実を変えることが難しいようです。

そこで、このモデルを逆転させるという発想が生まれてきます。
つまり、習慣(Practice)が態度(Attitude)を変え、態度が知識(Knowledge)を変えるということです。
より実践的に良い習慣(例えば、効率よく運営しているチームや成績を上げている営業の行動)を真似するということです。
ベストではなく比較的良いことを実践して、その中で気づくことが態度を変えて知識となり全体が変わっていくということ。

この場合、リーダーやマネージャーは優れた実績を残している人を力づけて全体に変化を促進していくということが仕事になります。

当社でも成績が良いチームや営業というのが何故実績を上げているのか?その人やチームは他と何が違うのか?ということを調べて"布教"していくというのが必要なんじゃないかと思います。

社内にこそ解決策はある!

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医薬品ネット販売規制を考える

なぜ医薬品のネット販売は禁止されたのか。クスリと政治と選挙の関係:日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090602/196502/

この6月に医薬品販売の規制緩和と規制強化が同時に行われた。規制緩和は薬剤師でなくとも「登録販売者」がいれば一部医薬品を販売できるというもの。規制強化は医薬品のネット販売の禁止だ。一方では販売できる人を増やし、一方では販売できない人を増やす。典型的なマッチポンプである。明らかに規制を強化したチャネルから規制を緩和したチャネルに消費を誘導しようという魂胆が透けて見える。

日経ビジネスオンラインの記事では、
「それにしても、天下り先確保のためだけに、パブリックコメントで国民の97%が反対した政策を押し通したという論には無理がある。」
とある。

この規制が政治家が関与する法律ではなく、官僚が恣意的に運用を決定できる省令によって行われたことは非常に大きな問題だ。この規制が「真に国民利益に利する」ものであれば、これほどの反対は起こらないが、記事でも書かれているように規制の根拠が不明確である。ネット販売を含む通信販売業者はこの規制強化について警戒を強める。これを期に官僚が流通量が増加するネット通販に対して規制をしかけてくるのではないかという恐れを持っているのだ。

今回の規制強化には副作用などによる健康障害が発生したことも背景にあるようだ。だから、薬害被害者の団体が規制強化のマスコットとして担ぎ上げられた。だが、考えてみれば薬害の殆どは医師の処方が必要な処方薬によるもので、そもそもそんな薬品はインターネットはもとより処方薬を扱わない薬局ですら関係がない。薬害被害者の団体は規制強化派に利用されたわけだ。

「対面販売での安全確保」の実効性は記事でもルポされているように疑問である。そもそも、医師でもない薬剤師が顔色を窺って病状を「診断」することは出来ない。薬剤師は自己申告される症状を聞いて、その症状に合う薬品を奨める位が出来ることであり、同時に複数の薬品を購入しない限り、複数の薬品を服用することで引き起こされる副作用などを説明することも出来ない。経験的に言っても薬局で薬品を買うときに薬剤師から説明を受けることなど皆無だ。

つまり、仮にインターネットで医薬品の副作用などの機微情報が購入者に伝わらないというのが事実であったとしても、現実の薬局も同じ様に薬品の機微情報を購入者に伝えたりしていないということになる。ネット通信販売業者が主張する様に、購入者の購買履歴をデータベース化することの出来るネット通販であれば注意すべき医薬品の買いすぎなどについて制限をかけることは可能であるが、薬局では個人情報の確認は義務付けられていないので購買履歴を管理することも出来ない。

はてさて、こう考えるとこの規制強化は「国民の安全」にも「流通の効率化」にも繋がらない。記事でも紹介されているように、薬剤師会の意向が働いているのだとしたら、薬剤師会としては「会員の雇用確保」が目的なのであり、それは「国民の雇用確保」にも繋がるわけだから結構なコンフリクトだ。でも、考え方を変えてみれば、医薬品通販の流通量が拡大すれば、購入者の服用にあたっての相談とか通販サイトの医薬品機微情報データベースの管理など今までの薬局ではしていなかった新たなサービス需要が生まれるわけで、薬剤師が「今までの仕事」による雇用は失うかもしれないが、「新しい仕事」による雇用は生み出されるわけだから、ネット通販に反対する理由はなくなってしまうと思うのだが。

2009年6月2日火曜日

元「あのねのね」原田伸郎さんを銃刀法違反容疑で書類送検へ

元「あのねのね」原田伸郎さんを銃刀法違反容疑で書類送検へ(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090602/crm0906020032001-n1.htm

というニュースで見てみたら大した話ではない。
原田氏がローカル番組で地域情報の取材中に猟友会の人から猟銃を渡されて数秒間手にして感想を述べたというもの。
生放送されていたらしく、本人にも渡した猟友会の人にも番組制作側も銃刀法の解釈がこれほど厳しいとは認識していなかったのだろう。
まあ、一般的には「ちょっと持たせて」「いいよ」といったやり取りはあるだろうし、それが社会通念的に許されているのが実態だが、県警としては「啓発の意味もこめて」立件するのだそうだ。啓発って「見せしめ」のこと?

ならば啓発の意味もこめて5キロの速度違反であろうが検挙して欲しいものだ。

銃刀法違反はこんな軽微なことに血道をあげるのではなく、密輸や密造などの拳銃の摘発や殺傷力の高いナイフなどの流通制限など他にもやることはいくらでもある。

Yokomine式保育

この前の日曜日のフジテレビ系列「エチカの鏡」で幼児教育に関する話が放映されていた。「Yokomine式保育」なるもの。プロゴルファー横峯さくらの伯父横峯吉文氏が提唱、実践している教育方法で幼稚園児が逆立ちして歩いたり、跳び箱10段を跳んだり、絶対音感を身につけたりという成果が上がっているのだとか。全国でもこの教育方法を取り入れている幼稚園や保育園があるのだそうだ。

この番組で横峯氏が言っていた「やる気をおこす四つのスイッチ」というのがある。
1.子供は競争したがる
徒競走で必ず順位をつけるなど、競争心を刺激してあげる。
こうすることで向上心や悔しさが出てきて、もっと自分から頑張るそうです。
2.子供は真似したがる
通山保育園 では真似したがる子供の特徴を刺激して、
簡単な音符から真似させ、絶対音感を身につけているのだとか。
3.子供はちょっとだけ難しいことをやりたがる
子供は難しいことは嫌がる。簡単なことだと飽きてくる。
だから、ちょっとだけ難しいことをやらせるのが良いそうです。
こうして徐々にレベルを上げることで、自然と難しいこともできるようになるとのこと。
4.子供は認められたがる
子供に"達成感"を与えてあげることで、
「次もまた頑張ろう」という気持ちにすると良いそうです。

子供はというのを「人は」に変えても十分通用するもので、部下の教育とか組織管理というのも基本的にはこれと同じだ。

だとすると、

1.部下や組織を競争させる
2.部下や組織に模倣を推奨する
3.部下や組織に少しだけ難しい目標を与える
4.部下や組織が目標を達成したら褒める、表彰する、社内報に載せる

結構よい組織運営方針だと思う。