2010年12月20日月曜日

官僚制は身近に存在する

民主党のスローガンのひとつは「脱官僚」だった。しかし、官僚制の研究が示しているのは「民主主義の未成熟の結果としての官僚依存」である。すなわち、「官僚を統治する制度としての民主主義の未成熟」が指摘されているわけだ。かつて牛尾電機の牛尾会長が小泉内閣への入閣を請われた時に、「娘が"朱に交われば赤くなる"から政治家にはならないで」と言われて辞退した様に、選挙や政治任用によって優秀な人が政治に参加するのではなく、政治家が"必要悪"とばかりに優秀な人が敬遠する職業となっているのは、国民が国家経営を敬遠するのと同義で、民度が低いと言われても仕方がないだろう。

会社でも同じことで、従業員が経営者にオンブにダッコでは本当に働いているとは言えない気がする。経営者が様々な事情で弱っている会社はたくさんある。その場合にも会社が機能するのは官僚制が敷かれているからだ。危機にあって官僚制が一時しのぎに機能した会社は、延命に役立った官僚制によって滅亡に向かう。官僚制は自己肥大を招くので会社の危機と関係なく組織が大きくなる。危機にあってリストラで組織縮小を図ろうにも細分化された仕事を盾に改善が行われない。

官僚制の打開には組織を粉々にするしかない。血を入れかえて官僚制を排したマネジメントを再構築するのだ。ただし、解雇規制が強く多様な事業展開をしていない中小企業では難しい。血を排出出来ないのでリストラが業績につながり難い。

そう考えると事業再生のオプションって本当に限られている。

2010年12月1日水曜日

エコポイントと地デジで国内テレビ製造業は完全に崩壊するだろう。

テレビの11月一ヶ月の販売台数が600万台を突破したという。単月では過去最高らしいが、今後を考えると明るい話題でもない。この売れ行きは12月から"エコポイント"が半減することを見越したものというが、明らかに買い替えサイクルを越えたものであるので、今後は急激に売れ行きが鈍ることが予想される。

更に、来年の地デジ完全移行の直前にも買い替えが行なわれるだろうが、それ移行はテレビは売れなくなるだろう。数年分の買い替え需要が先食いされた格好なので、数年間は売れない。3Dテレビは地上波放送が全て3Dにでもならない限り売れないだろうし、地デジ対応で投資が嵩んだテレビ局が投資することはないだろう。3Dは映画館業界のカンフル剤というところだろうか。

売れないということは製造のための投資が行われなくなる。開発も細り、イノベーションも起きにくくなる。振興国をはじめとする海外は、ひとつは海外の価格競争力のあるメーカーとの競争には勝てないだろう。加えて、日本で大量に発生した中古アナログテレビが振興国の需要を吸収し、新品の販売余地はドンドン少なくなる。

政府の産業への強い関与や規制がその産業を結果的に潰してしまう好例となるのではないだろうか。

2010年11月26日金曜日

それは首相が学級委員だからだよ

みんなの党の山内康一が菅首相が全閣僚を自衛隊の訓練期間中、在京させる決定をしたことを批判していた。

確かに国防と無縁の閣僚まで在京させる意味はない。しかし、日本の内閣制度の運用では、総理大臣は天皇陛下に任命された国務大臣の筆頭に過ぎず、重要な決済は全閣僚の同意を必要とする。その為、今回の様に有事が発生する可能性が高いと全閣僚を在京させてないと自衛隊出動も決定出来ない。重要なのは、全閣僚のうち唯一選挙によって選ばれた総理大臣の権限が、その総理大臣が選んだ大臣と同程度であるということだ。

職掌範囲でもないことを全会一致にすることで、責任の所在が不明確になり、主体性がなくなっていく。学級会民主主義とはよく言ったものだ。国務大臣が職掌以外に権限を持たず、担当大臣と総理大臣の間で決定出来れば、普天間問題で福島みずほが反対しても問題なかった。あれで罷免しなくてはいけなくなった。国民新党が閣僚を一人出して大きな顔をすることもなかった。

内閣制度を変えないとどうしようもないみたいだ。

2010年11月1日月曜日

内閣支持率急落は当然だ

日経新聞とテレビ東京の世論調査で菅内閣の支持率が40%に急落した。前回が70%超だったので急落ぶりが凄い。しかし、考えて見れば当然だ。

菅内閣の支持率は発足当初は小沢切りなどが評価されて70近い支持を得た。しかし、その後の政権運営で菅首相の指導力が見えなかったことから支持率は低下した。そこで菅首相がやったのは新しい政策実現ではなく、民主党代表選挙という内輪の争いだった。この選挙の間、実に二ヶ月に渡って政治は停滞した。

その代表選挙に菅首相が勝利すると支持率が50%くらいからはねあがった。しかし、菅首相はこの間に国民のための意思決定を何もしていない。何もしてないのに評価だけが上がるのを「バブル」という。そしてバブルは簡単に弾けるものだ。世論調査も代表選挙期間中を"異常値"として取り除けば、菅内閣の支持率は一貫して下落しているのが分かる。簡単に言えば、期待されていた菅首相は一貫して失望の的になり続けているということだ。

2010年10月28日木曜日

貸金業規制の欺瞞

「年収の三分の一を越える貸し出しは出来ません(住宅ローン、自動車ローンを除きます)」という規制のなんと欺瞞に満ちていることか。

何故、住宅や自動車のローンが除外されるのか?そもそも何のための規制なのか?

規制の原点は「多重債務者」にあったろう。無理な貸し付けと借り替えで借金まみれになった人を救済するという。だが、そうなった人には破産を選ぶことも出来る。数年間の不便な暮らしを甘受すれば良い。

グレー金利はそもそも最低金利が低すぎたことに理由がある。グレー金利が違法ギリギリだったために暴力団などの不法者につけこむ隙を与えた。第一、借金をして生活レベルを上げてその返済をモチベーションに頑張るということが考えられない人はよっぽど豊かな階層の人だ。

建築基準法に続く規制強化法案。建築〜に続く官製不況の原因となるのは間違いない。

靖国合祀が戦争被害者を加害者にしたてるという変な理論

那覇地裁に訴えられていた「靖国合祀取り消し訴訟」は敗訴となり原告が控訴することとなった。

あまり強い関心があるわけではないが、原告弁護団の次の言葉に引っかかった。

「神社の無断合祀を認めることで、戦争被害者が加害者と同列に置かれる。」

恐らく所謂"A級戦犯"を指して加害者と言っているのだろう。そして、戦死者は被害者なのだと。

国家間の戦争において、一方の国内に戦争の加害者と被害者がいるというのは可笑しな話だ。封建国家で国民の意思と政府が無関係であれば戦争において両者は対立するかもしれないが、日本の様に選挙によって選ばれた政府の決定には国民が連帯して責任を負うべきだろう。敗戦の責任は追求されるべきだろうが、戦争したこと自体にあの時代に加害者も被害者もない。

軍部が力を持っていたので誰も反抗出来なかったというのはあり得ない。戦時中に東條英機は退陣し、終戦を無役で迎えたのが日本に独裁体制がなかったことを示している。なら、何故あの戦争が止まらなかったのか。ひとつには欧米列強に外交舞台で追い込まれたこと。もう一つは日清・日露・第一次世界大戦と続けて勝者になったことで国民を含めて驕っていたのだ。

世界で同盟国は僅かに二ヶ国。ほとんど"世界"を相手に戦ったに等しい。その戦争を生き残るため、誇りのため、家族のために戦ったのは国民自身だ。政府や軍はその指揮者の役割を演じただけだ。

だから、私たちは自分の父祖が、この幸せな時代のためな戦ったと誇って良い。その父祖を勝たせるために政府と軍が指揮したということだ。決して政府と軍が私利私欲の為に国民を追い立てたのではない。平安の御代から軍人は平時に遠ざけられる損な職業だ。

戦争は避けうるものだし、外交手段としては奥の手だ。その最後の切札を安易に切りまくったことは批判されても良いが、所謂"A級"戦犯が加害者という考えに私は与しない。

2010年10月26日火曜日

相続税増税が格差是正につながると真剣に考えている人がいた

ちょっと古い話だが、原稿が塩漬けになっていたのであしからず。

しばらく覗いていなかったが、久しぶりに見てみるとこんなテーマを取り上げていた。

「相続税上げ階級固定化防ごう」
http://mainichi.jp/select/biz/katsuma/crosstalk/2010/01/post-35.html

噴飯モノである。
切っ掛けは鳩山首相が母親から貰っていた「お小遣い」であるようだ。
それと世襲議員についても言及していた。
よっぽど「世襲」が嫌いらしい。

相続税をあげても鳩山首相のような脱税はなくならない。
むしろ、より水面下に沈み込み、ただでさえ低い相続税の捕捉率が下がるかもしれない。
「階級」ということをしきりに言うが、日本に諸外国のような極端な階級格差はない。

ブリジストンの創業者だって貴族の出身ではない。
今の多くの資産家が戦後の復興のなかで苦労して資産形成した。
それを国が取り上げるというのはどうだろうか?

それより相続税を安くしてはどうか?
鳩山首相でなくとも老人が資産を持ち、その子や孫が経済的に苦労しているということはある。
相続税や贈与税があるため老人が墓場にもっていく資産がなんと多いことか。
それが安くなれば生前に相続をしてしまって、子や孫が消費を活発化させるだろう。

今の不景気の一つに「年功序列や高度成長期型の年金制度設計」によって後払い消費が減退していることにあると思う。
高度経済成長期に薄給で将来の見返りを期待して苦労して働いていた人たちがいざ資産を手にし、年金をもらっても消費意欲がなくなっているのだからそのお金は塩漬けになっている。
そのお金を消費意欲が旺盛な若年層に回せばよい。
一つは贈与や相続。一つは福祉サービスだ。

福祉サービスによって高齢者が世話をしてくれる若年者にお金を支払うのはとても良いことだ。
しかし、「高齢者」=「弱者」という硬直した考え方が福祉サービスを十分な見返りのあるビジネスにすることを阻害している。
これは医療サービスも一緒だ。

では、本当の弱者は誰か?と言えば、規制によって薄給で福祉サービスや医療サービスに携わっている若者達だ。
その若者達に金余りの老人の富を移転するべきだ。
それは徴税と支給ではなく、ビジネスを通して図られるべきだと思う。