2008年1月15日火曜日

朝青龍に土

朝青龍が初場所二日目にして格下の相手に敗北を喫した。巷でも朝青龍の負けを望む声があり、横綱審査会には「朝青龍は引退した人」という人もいる。

こ うなってくると生来の天の邪鬼が頭をもたげてくる。朝青龍が今場所弱いのは当たり前。半年近く土俵から遠ざかっているのだから簡単に勝てる方がおかしい。 負けた取り組みも仕掛けの読み合いで負けたようなもの。朝青龍は稽古を含めた対戦の積み重ねで相手をコントロールして勝つ関取。その対戦を封じ込められた 以上、相手に歩があるというもの。
横綱の誇りとか人格が非難の的になるが、そもそも文化の違う人に理解しろというのは無理な話。逆に相撲という競 技の懐の狭さが浮き立つ。競技人口が減り、人気が落ち、苦衷に陥った相撲を救ったのは朝青龍。「横綱の品格」というのならば、それ相応の教育を入門時から 施さなければいけない。品格が必要なのは何も横綱に限るまい。

相撲は体の良い見せ物。江戸時代は江戸周辺の村から体格の良い子供が身売り同然に相撲の世界に身を投じた。時代が下り、都市
部が豊かになると北海道や朝鮮半島などから。それはハワイからモンゴルへと移った。つまり、相撲という競技は経済的に貧しい地域から力自慢を集めて興行する、“見せ物サーカス”の域を出ていないのだ。
他のスポーツのように引退後の年金保証などもなく、相撲業界周辺のサービスも少ないので、産業としての奥行きがない。引退した関取はちゃんこ鍋屋の主人になれれば良い方。親方になるのは狭き門だ。
相撲部屋も親方個人の事業体としての性格が強いので、親子や姻戚を越えた継承は難しい。構成人数の割りに巨額のお金が動く興行の世界では腐敗の温床になりやすい。

そういった問題点を多数抱えている相撲が、”国技”を僭称することによってNHKや知識人のお墨付きをうけているのが実態だ。(日本の国技は実際には制定 されていない。)朝青龍個人や相撲部屋の問題ではなく、相撲界全体が永続するような改革をするために、部外の有識者は意見を言ってもらいたいものだ。その 意味で、朝青龍が非難されているのは問題を矮小化するための姑息なマスコミ対策に過ぎないと思う。

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