8月6日という日は
「非戦闘員が居留する市街地への焼夷弾による無差別爆撃によって得られた爆弾投下データを元に、アメリカが原子力爆弾を広島という主に非戦闘員が居留する市街地に投下して焼夷弾以上の攻撃力を誇示し、実験した日」である。
日本に投下された原爆の何が悲惨かと言えば、広島以前に日本から示された停戦のための働きかけをアメリカが意図的に無視して原爆投下を敢行したということだ。つまり、アメリカにとって外交的にも戦略的にも戦術的にも全く不要であったということだ。兵器開発上の必要から投下されたことなのだ。如何に敵国であろうと兵器開発の実験台に、しかも非戦闘員を巻き込んで良い筈がない。アメリカは原爆に限らず、焼夷弾による市街地爆撃に遡って戦時に許された兵器使用を逸脱した。
このことはもっと怒りを含んで指摘されて良い。広島の平和公園には「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」という碑文がある。『過ち』を犯したのはアメリカである。この碑文がアメリカ人によって、英語で献じられることを望む。
今日の広島市長の平和宣言ではプラハで核廃絶を訴えたオバマ大統領を持ち上げた。だが、オバマ大統領が本当に『「核兵器を使った唯一の国として」、「核兵器のない世界」実現のために努力する「道義的責任」がある』と思っているのであれば、『核兵器を使われた唯一の被害国』である日本の広島・長崎を訪れないのは何故なのか?と思う。広島市長がこの演説を取り上げるのであれば『そう言ったにも関わらず、一度も広島・長崎を訪れることなく、被害国である日本に対する「道義的謝罪」もしないのは、先の演説が単に今の国際外交上の戦略の一端として取り上げただけであって、「道義的な責任」を本当に感じているとは言えない」と批判しなければならなかったのではないだろうか。
だから、今日という日はアメリカという国家に対する不信を再確認する日である。広島の同胞達が蒙った苦しみに思いをいたし、太平洋の向こうをぐっと睨みつける日なのだ。
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