2011年1月19日水曜日

町工場が消える原因には日本の雇用環境の問題があるのではなかろうか?

日経新聞 1月19日 朝刊 九面
「消えゆく町工場」

日本の町工場集積地帯として有名な東京大田区と大阪東大阪市で過去20年間に町工場が半減したのだそうだ。記事では主な要因としてリーマンショックに端を発した金融危機をあげていて、付け足しの様に「後継者不足」を挙げていた。戦後50年代から70年代に30前後で起業した町工場のオーナーがこの20年間で次々に70才を超えて引退したであろうことを考えると、金融危機による需要減よりも後継者不足の方が主な要因であるように思う。

日本の町工場の加工技術に優れたものがあるとして、それは全ての工場に当てはまらない。大企業が頭を下げて発注するような町工場は数えるほどしかない。ほとんどの町工場はありふれた加工機械を操作して加工するだけである。機械を大切にメンテナンスするなどによって品質が安定するようなことはあるかもしれないが、技術革新によって「匠の技」がコンピュータで再現されると普通の町工場の仕事の多くは発注元が内製化してしまう。

引退間近の町工場のオーナーにそれを超えるイノベーションを求めるのは酷な話で、廃業に至るのはやむを得ないだろう。問題なのは廃業した後に新しく若い人が起業しないことで、それは日本の雇用環境にも問題があると思う。日本では「終身雇用神話」があり、「年功賃金」は長期雇用によって担保されるから、大抵の場合は起業のリスクをとるよりは企業への就職の方が人気がある。町工場のオーナーに幾ら優秀な子弟がいても、優秀だからこそ跡を継ごうとはしない。

更に、銀行が経営者に債務の個人保証をさせるために、たとえ優秀な従業員がいても譲ることが出来ない。だから、奇特な後継者に恵まれない限り町工場は一代で終わるしかない。それは日本の「モノ作り神話」の崩壊ではなく、如何に日本のビジネス環境が窮屈かというだけのことだ。大企業をリストラされた人が培った専門スキルと積み増しされた退職金で廃業する町工場を買うというのは、なかなか難しい面が多いだろう。

しかし、企業は自分達にとっては重要でなくなったスキルを持つ従業員を社内に飼い殺しにせざるを得ない。

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