2009年11月24日火曜日

TVタックル雑感〜経済はどうやって立て直すべきか?

11月23日のTVタックルをちょっとだけ見た。
ゲストパネラーは次ぎの様な人たち。
三宅久之、亀井静香、岸博幸、勝間和代、岡野雅行、渡邉美樹、藤巻幸夫
それと無名の中小企業経営者などがスタジオで観覧していた。

さて、岡野氏の発言を少しだけ聞いたのだが、
「他の会社でも出来ることをやっていたら、価格競争で中国に奪われるのは当たり前。他では出来ないことをやっているから、自分のところには注文が途絶えることはない」
という発言に対し、スタジオ観覧していた大田区の町工場の経営者が
「岡野さんの様な一握りの成功者は特別。我々のような普通の工場は今のようではやっていけない」
と言っていた。

ん〜〜。町工場の経営者は、気持ちは分かるが自由経済の企業人としては覚悟が足りないと思った。岡野氏が言ったように、他と同じことをやっていたら、早晩価格競争で体力がない会社は敗退してしまう。ましてや、中国が国際競争力のある人件費を背景に攻勢をかけているのだから、価格が高いものでも買ってもらえるもので勝負しないといけない。それをこの経営者は研究開発などの努力は出来ないから、他と同じ様なことをして稼げるように政府がなんとかして欲しい、と言っているように思った。これは亀井静香の好きな社会主義統制経済を進めてくれと言っているようなもの。

恐らく、この経営者もしくは先代は高度経済成長の時代に良い目を見たに違いない。経済成長期は何をやっても成功した。その果実は得ているはずで、それが努力なく不景気になったから助けてというのはどうかと思う。「いや、努力していた」というかもしれないが、それは岡野氏とは全く違う努力だったのだろう。徹夜で旋盤を回すだけの努力は単価の下がった時間の分だけ長時間労働しているっていうだけのこと。岡野氏は単価が下がるのだから、単に旋盤を回すのはやめて単価を上げられる旋盤の回し方を考えろということだと思う。

勝間氏は「日銀が債権を買って支えればよい」と言ったそうだ。デフレを止めなければいけない。そのためには財政出動をと主張している彼女らしい。しかし、その金はどこから来るのかね?日銀が発行する貨幣は日本という国を担保にしている。日銀が債権を買い続け、不良債権となって資産が毀損したとき失われるのは日本という国の信用だ。それが信用不安に陥ると、日本円による国際間取引の決済は出来なくなる。それでもというのであれば、日本の資産(土地とか色々なもの)を売ってドルやユーロと交換しなければいけなくなる。日銀の信用不安が起きないというのであれば、インフレは起きないからデフレ解消には役立たない。

中小企業の債権を日銀が購入したとして、中小企業は一息つくかもしれないが、彼らに注文は舞い込んでこない。中国でも作れるものは、日本の価格では売れないからだ。「日本の方が品質が高い」というかもしれないが、需要サイドで「日本品質」を求めるところは少ない。それこそ、年間に数セットしか売れないものであれば最高品質が求められるかもしれないが、それでは日本国内で生き残れるのはそれぞれの分野で一番の企業だけ。二番手以下には注文はこない。だから、モラトリアムも日銀の債権買取も一時しのぎにはなるが、中国よりも安く「コモディティ化」した商品が提供できなければ、"普通の"中小企業は倒産を免れない。

であるならば、中途半端な中小企業は倒産しやすい様に政府が支援してあげてはどうだろうか?中小企業の経営者にとって切実なのは「経営者の個人保証による融資」である。つまり、社長の家屋敷を抵当にお金を借りているのだ。これがあるからやめるにやめれない経営者は沢山いる。法人の経営者は「有限責任」者であるのだから、自分が破産するまで会社の保証をする必要はない。そうでなければ個人と法人が分離できず、経営上の自由度を失ってしまうからだ。それを解消するためにも、経営者の資産を抵当にしている融資を整理して、経営者に資産を残した上で、事業を継続するか、どこかに引き継ぐか、清算するかを選択させるのだ。そして、法人融資で経営者の個人保証を求めることに制限をかけてしまえば良い。

倒産による事業譲渡や事業承継の法制度も見直して、企業に関わる人が再出発しやすい環境整備をするべきだと思う。

2009年11月18日水曜日

「文明論」だとすると尚のこといけない

民主党の小沢一郎幹事長の発言が尾をひいている。と言っても、テレビなどでは大きく扱われないようだが。

「文明論言っただけ」=キリスト教発言で説明−民主・小沢氏 http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009111600901

という記事で

「宗教論と文明論を言っただけだ」と説明し、「東洋は、人類は悠久なる自然の中の一つの営みというとらえ方だが、西洋文明は人間が霊長類として最高の存在という考え方だ」

という発言をしたそうだ。

これは先の発言に輪をかけていけない話だ。

「東洋文明は自然と調和的で、西洋文明は人間が世界を支配する」という対比は良く行われる。
なるほど!と納得しそうな話だが、こんなのは嘘っぱちである。

東洋文明の代表選手は「中華文明」であるが、中華文明が如何に自然を蔑ろにしてきたか。中国大陸の都市は全て城塞都市であり、その城壁は焼き締められた煉瓦で出来ている。その煉瓦を焼くのに山々から木が切り出され表土が流出し、洪水が多発するようになった。万里の長城を築くのにどれほどの山や丘が禿山になったことか。中国と言えば儒教が有名だが、この思想では父親に対する孝行が何よりも優先される。これは人間至上主義(父親至上主義)であり、それ以外のものには比較すれば価値はない。ことほど然様に中華文明は自然に対する支配欲は強かったわけだ。

逆に西洋では例えば多くの国で広大な緑が整備された公園があり、庭園文化はとても発達している。イギリスでは都市と田園のゾーニングが行われているので無秩序な工業化が行われていない。そのため、ロンドンから少し郊外に出ると美しい田園風景に出会える。それに引き換え、日本は無秩序な開発が行われたために、日本全国どこに行っても特徴的な田園風景には出会えない。数少ない棚田の残る山村にも高速道路が走り、風景を台無しにしている。これは日本が「西洋化」したからではなく、ゾーニングや農業を保護する西洋化をしなかったからこそだ。自然をなし崩しに支配できると思う、自然と人間が不可分であるという思想があるからこそおきたことと言えるのではないか。

とはいえ、勿論西洋文明が自然に優しかったわけではない。比較の問題として両者に差はないということだ。

小沢幹事長は「キリスト教は独善的」と言ったが、実際に独善的でない宗教はないと思う。個人的な信念や信仰は独善的でないといえるかもしれないが、それが信者を獲得する、つまり他の宗派から改宗させる存在(教団とか教会とか)になった時点で独善的になっているのだ。それを自分達だけそうじゃないと言い募るのは、個人の意見なら別だが、政治家としては見識に欠ける。

2009年11月16日月曜日

人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。それでもなお、人を愛しなさい。

「人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
それでもなお、人を愛しなさい。」

(それでもなお、人を愛しなさい—人生の意味を見つけるための逆説の10カ条-ケント・M-キース)

長い人生において、何も自分が好きな人とばかり付き合えるわけではない。時にはウマの合わない人、意見が違う人、好きになれない人と一緒に歩まなければいけないこともある。
著者は他の格言と共にそういう態度を戒める。
「すべての質問には三つの答えがある。あなたの答え、私の答え、そして、正しい答え」

いずれにせよ十倍以上になる

世界主要国のGDPは未だに一位アメリカ、二位日本である。この順位も早晩中国が日本を抜き去り、アメリカをも凌ぐようになるだろう。中国が経済成長を遂げるシナリオをいくつかあって、一つは今の様に中国共産党が中央支配を守りながら進めていくというもの。もう一つは中国が権力闘争の末に幾つかに分裂するというもの。一つのままであれば脅威だが、分裂すれば力が弱くなるから大したことはなくなるというのは早計で、分裂すれば互いに競争してより早く大きく成長する可能性がある。

成長は「余地」があるところにしかない。戦前、ヨーロッパ各国が、日本が国外に進出を繰り返したのは当時の産業モデルや経済モデルでは土地や資源が成長には不可欠だったからだ。しかし、戦後に省資源国家日本の成長を目の当たりにしたヨーロッパ各国は植民地政策の無意味さを悟り転身を遂げる。

戦後の植民地解放は資源を格安で手に入れるよりも資源を生む国と取り引きをする方が経済成長につながると分かったからだ。アメリカの戦後の繁栄の半分くらいは日本のおかげだ。でも日本はアメリカが独占したので中国はそうはいかないと列強は熾烈な競争を繰り広げる。

中国の繁栄を欧米各国が歓迎するのは未開拓の荒野が広がっているからだ。中国が発展し、購買力のある消費者が増えて、欧米各国が企画した商品を買うことで彼らは潤う。

中国が一つであれば、その成長は比較的緩やかだが、分裂すれば成長は加速される。欧米各国が中国に干渉するとすれば、この部分だろう。欧米自体に成長余力が限られる以上、中国に干渉して成長を促進する誘惑に駆られるだろう。その時に巻き込まれて割を食う立場にはなりたくない。

2009年11月12日木曜日

やらないよりはやった方がマシという程度で良いのか?

11月11日から政府による「事業仕分け」というのが始まった。報道を見ていると「財務省主計局主導」の茶番に過ぎないのではと危惧する。細かい方法は置いといて、今回の事業仕分けは「構造改革が前提ではない」ことから、些末な事業単位の改廃というものに終わってしまうのではないかと思うのだ。

概算要求のほんの一部、しかも省庁の固定的な仕事に関わらない部分の予算要求など、四の五の言わずに廃止してしまえば良い。企業が収入が減って手をつけるのは不要不急の費用だが、それで終わる企業に明日はない。例外なく、固定費圧縮に打って出る。

政府にも、固定費を圧縮する大改革(省庁を二割減らして職員を三割減らすとか)をやれば良い。公務員の整理解雇は企業より難しいだろうが、それを断行して日本にショックを与えるべきだろう。

いじる必要のないものをいじった結果

日経新聞 11月10日 朝刊 三面
「大衆薬販売伸びず」

大衆薬の店頭販売を「登録販売者」などが扱える様に緩和し、予防による医療費の削減を狙った改正薬事法で思った様な結果が得られていない。規制緩和が進んだカテゴリーでは新規参入が相次ぐが市場の拡大には至っていない。むしろ規制が強まった第1類は販売時の手間が敬遠され需要が萎む結果となった。

そもそも、買い手を増やして市場を拡大させ、予防させる為には、従来薬局やドラッグストアが出店していない地域での販売を容易にする事が必要になる。今回の改正で参入をよんだのはスーパーやコンビニなど既に薬局もドラッグストアもある場所に更なる出店を呼んだだけで、市場を広げるほどのインパクトはない。従来の薬事法では通信販売などの流通チャネルもあったが、それが閉ざされた為にむしろ基礎的なチャネル条件は弱まったと見た方が良い。

今回の規制強化で得をした人は実は一人もいない。ドラッグストアは競争環境が激化し、スーパーなどは多角化による損害が今後予想される。消費者は通信販売などの手段が閉ざされ、製薬会社は売り上げを落とした。医薬品のネット通販会社は破綻寸前だ。仮に、満足している人がいるとするならば、机上の空論を実施出来た厚労省の担当者だけだろう。

2009年11月10日火曜日

永住外国人の参政権について考えてみた

永住外国人の参政権付与について色々と取り上げられている。鳩山政権は鳩山首相をはじめ永住外国人の参政権付与について積極的な政治姿勢が強いため、期待が寄せられているものの様だ。しかし、永住外国人に対する参政権付与については世論調査でも否定的な意見が多く、軽々に認められるものではない。だが、日本には"在日"韓国・朝鮮人など永住外国籍者が多数いることは考慮されても良いだろう。

ただ、以下の点については特に意見を述べておきたい。
「外国人参政権法案は早期成立を 共産・市田氏「被選挙権付与も」」
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091109/plc0911091651007-n1.htm
という記事で共産党の市田忠義書記局長は「外国籍でも住民として生活し、税金も納めている。住民自治の担い手となるのは地方自治の精神に合致する」と指摘。さらに「選挙権だけでなく、被選挙権も与えるべきだ」という見解を示したという。

税金を払っているのだから参政権を付与するというのは「国民に対して所与の権利として参政権を付与する」という民主主義の精神に反する。共産党に限らず、左派の政治家はこの点について本当に初歩的な誤解をしている。仮に、税金を納めているかどうかが参政権に関わるのであれば、納税額によって票の重み付けを変えないといけなくなる。納税額が多い人には100票とかいう具合に。逆に、納税額がゼロであれば投票することも出来ないという具合に。しかし、それは貧富や出自によって差別するという発想であり、納税しているかどうかは参政権と無関係であるということは肝に銘じなければいけない。

参政権はその国の国民として生まれたという「所与の条件」によって付されるものであり、そこには国民には国家に対する忠誠(盲目的なものではなく、批判的なものも含めて国家を愛する精神)があることが前提とされている。しかし、思想調査をするわけにはいかないため、日本では国籍を血統主義によって制限することで国家に対する忠誠を認定する代わりとしている。日本への帰化は一定期間の経済活動や日本語や文化に対する理解などをクリアすれば帰化できる。永住外国人の多くを占める在日韓国朝鮮人であれば日本への帰化は比較的容易に出来るだろう。

参政権を得たければ、既に多くの人がやっているように日本に帰化してしまえば良い。帰化しないのは、経済的理由や信条などによる選択であり、その選択を尊重するのであれば、特に無理に政治参加をしてもらわなくても良いではないかということになる。そもそも、在日韓国朝鮮人の永住資格は国際的に見ても非常に条件が緩く、厚遇されている。海外に永住しようとすれば、一定期間の経済活動はもとより一定以上の資産を持っていたり、投資をするという条件が必要になる。しかし、在日韓国朝鮮人は元々戦時中に日本国籍であったという理由から、日本への定住権が特別に無条件で付与されているというのが実態である。

この問題について以前から思っているのは、段階的に在日韓国朝鮮人の帰化を推奨していって、最終的には全員が日本国籍を取得するという状況を作り出すべきだろうと思う。それには現在在日韓国朝鮮人に供せられている各種特権や補助を今後25年程度でゼロにしてしまう方針を採るべきだろう。25年も経てば在日第一世代は殆どいなくなるし、第二世代以降は日本国籍をとるか外国人として制約のある国内での活動を甘受するか意志決定すればよいだろうと思う。