2009年12月2日水曜日

円キャリー再び

急激な円高進行に対抗するため日銀が「量的緩和」を打ち出した。

量的緩和の効果は「アナウンス効果」にあるらしい。実質的な金融政策の効果より、「やる」と言うことによる効果の方が高いのだとか。だから、今回日銀が「量的緩和」と銘打って大々的に発表することには意味がある。

ただ、2001年からの量的緩和では国際比較で調達金利が下がった円がキャリー取り引きに利用され、アメリカの住宅バブルの引き金になったと言われる。今はドルがゼロ金利状態でキャリー取り引きに利用されている。ドル安の原因はキャリー取り引きにもあるのだろう。

穿った見方としては日銀は「量的緩和」をアナウンスだけして、実質的なオペレーションはしないかもしれない。「量的緩和」に実質的効果がなく、国際金融に悪影響を及ぼすとなれば余り賢い手段とは言えないだろう。

さて、どうなることやら。

定常状態がデフレ

20日に菅副総理が行った「デフレ宣言」。これ以上の財政出動は難しく、円高が追い打ちとなり更に株安が続く。
ただ…。20世紀末に日本がデフレに陥って、一体いつデフレから脱出していたのか。物価が安くなるのは、ある意味当たり前。今まで物価が上がり続けてきたのはモノの性能が良くなってきたから。性能比で考えると物価は常に下がってきた。それを喝破したのは「ムーアの法則」だ。
だから、デフレは性能比の物価下落に対して、性能の改善や機能追加が追いついていないということだ。今までは性能改善が大きかったので物価が上がった様に見えていただけだ。現在の先進国の様に製品や商品の品質追加余地の少ないところでは所謂"デフレ"は避けられない。デフレを前提とした対応が必要で、無理にデフレを解消しようとしてもあまり意味はないと思う。

2009年12月1日火曜日

二大政党絶対論を山内康一議員が覆す

みんなの党の山内康一議員がブログで二大政党絶対論を批判する記事を投稿している。正直、この記事を読むまではなんとなく「二大政党の方が分かりやすい」のかなぁと思っていたが、主義主張を二元化する二大政党は全体の幸福に大して貢献しないだろうと思った。

今の「自民党」VS「民主党」は投票の選択肢が狭められ、有権者にとっては不都合だ。政党や候補者は「マニフェスト」を乱立させるから、有権者にとっては不満のある項目でも投票すれば同意したかの様に扱われる。そもそも、マニフェストに対する賛否で投票するなら「直接選挙」と変わらない。マニフェスト重視は政治家の質を劣化させることになるだろう。

更に、単純な政治二元論は有権者を劣化させる。今の「自民党」と「民主党」には自民党で主流になれたか、傍流に弾き飛ばされたか、という違いしかないので政権選択と言っても、カツ丼定食と天丼定食のどちらを選ぶかという程度のことしかない。違いが分からないので投票行動は雰囲気に左右される。あるいは報道量に。今盛んに「小泉改革の暗部」といった報道が繰り返されているが、一部宗旨替えをした人はいるが小泉改革路線に反対だった人は一貫している。でも、小泉批判の報道が少なかったために、「小泉旋風」が吹いたのだ。

今回の民主党大勝も同じこと。似たり寄ったりの両党の一方の期待を煽る報道が今回の結果となった。

さて、政治の多様性や新鮮さは政党の数に比例すると思う。元気な企業は少人数でも色んな人が集まり、色んな事業をやっている。元気な国には色んな意見があって、色んな政党があるべきだろう。考えてもみて欲しい。二大政党は北朝鮮や中国などの独裁国家よりも政党がたった一つ多いだけだ。そんな国の民度が高いと無条件に信じるのは考えが足りないと思う。

2009年11月24日火曜日

TVタックル雑感〜経済はどうやって立て直すべきか?

11月23日のTVタックルをちょっとだけ見た。
ゲストパネラーは次ぎの様な人たち。
三宅久之、亀井静香、岸博幸、勝間和代、岡野雅行、渡邉美樹、藤巻幸夫
それと無名の中小企業経営者などがスタジオで観覧していた。

さて、岡野氏の発言を少しだけ聞いたのだが、
「他の会社でも出来ることをやっていたら、価格競争で中国に奪われるのは当たり前。他では出来ないことをやっているから、自分のところには注文が途絶えることはない」
という発言に対し、スタジオ観覧していた大田区の町工場の経営者が
「岡野さんの様な一握りの成功者は特別。我々のような普通の工場は今のようではやっていけない」
と言っていた。

ん〜〜。町工場の経営者は、気持ちは分かるが自由経済の企業人としては覚悟が足りないと思った。岡野氏が言ったように、他と同じことをやっていたら、早晩価格競争で体力がない会社は敗退してしまう。ましてや、中国が国際競争力のある人件費を背景に攻勢をかけているのだから、価格が高いものでも買ってもらえるもので勝負しないといけない。それをこの経営者は研究開発などの努力は出来ないから、他と同じ様なことをして稼げるように政府がなんとかして欲しい、と言っているように思った。これは亀井静香の好きな社会主義統制経済を進めてくれと言っているようなもの。

恐らく、この経営者もしくは先代は高度経済成長の時代に良い目を見たに違いない。経済成長期は何をやっても成功した。その果実は得ているはずで、それが努力なく不景気になったから助けてというのはどうかと思う。「いや、努力していた」というかもしれないが、それは岡野氏とは全く違う努力だったのだろう。徹夜で旋盤を回すだけの努力は単価の下がった時間の分だけ長時間労働しているっていうだけのこと。岡野氏は単価が下がるのだから、単に旋盤を回すのはやめて単価を上げられる旋盤の回し方を考えろということだと思う。

勝間氏は「日銀が債権を買って支えればよい」と言ったそうだ。デフレを止めなければいけない。そのためには財政出動をと主張している彼女らしい。しかし、その金はどこから来るのかね?日銀が発行する貨幣は日本という国を担保にしている。日銀が債権を買い続け、不良債権となって資産が毀損したとき失われるのは日本という国の信用だ。それが信用不安に陥ると、日本円による国際間取引の決済は出来なくなる。それでもというのであれば、日本の資産(土地とか色々なもの)を売ってドルやユーロと交換しなければいけなくなる。日銀の信用不安が起きないというのであれば、インフレは起きないからデフレ解消には役立たない。

中小企業の債権を日銀が購入したとして、中小企業は一息つくかもしれないが、彼らに注文は舞い込んでこない。中国でも作れるものは、日本の価格では売れないからだ。「日本の方が品質が高い」というかもしれないが、需要サイドで「日本品質」を求めるところは少ない。それこそ、年間に数セットしか売れないものであれば最高品質が求められるかもしれないが、それでは日本国内で生き残れるのはそれぞれの分野で一番の企業だけ。二番手以下には注文はこない。だから、モラトリアムも日銀の債権買取も一時しのぎにはなるが、中国よりも安く「コモディティ化」した商品が提供できなければ、"普通の"中小企業は倒産を免れない。

であるならば、中途半端な中小企業は倒産しやすい様に政府が支援してあげてはどうだろうか?中小企業の経営者にとって切実なのは「経営者の個人保証による融資」である。つまり、社長の家屋敷を抵当にお金を借りているのだ。これがあるからやめるにやめれない経営者は沢山いる。法人の経営者は「有限責任」者であるのだから、自分が破産するまで会社の保証をする必要はない。そうでなければ個人と法人が分離できず、経営上の自由度を失ってしまうからだ。それを解消するためにも、経営者の資産を抵当にしている融資を整理して、経営者に資産を残した上で、事業を継続するか、どこかに引き継ぐか、清算するかを選択させるのだ。そして、法人融資で経営者の個人保証を求めることに制限をかけてしまえば良い。

倒産による事業譲渡や事業承継の法制度も見直して、企業に関わる人が再出発しやすい環境整備をするべきだと思う。

2009年11月18日水曜日

「文明論」だとすると尚のこといけない

民主党の小沢一郎幹事長の発言が尾をひいている。と言っても、テレビなどでは大きく扱われないようだが。

「文明論言っただけ」=キリスト教発言で説明−民主・小沢氏 http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009111600901

という記事で

「宗教論と文明論を言っただけだ」と説明し、「東洋は、人類は悠久なる自然の中の一つの営みというとらえ方だが、西洋文明は人間が霊長類として最高の存在という考え方だ」

という発言をしたそうだ。

これは先の発言に輪をかけていけない話だ。

「東洋文明は自然と調和的で、西洋文明は人間が世界を支配する」という対比は良く行われる。
なるほど!と納得しそうな話だが、こんなのは嘘っぱちである。

東洋文明の代表選手は「中華文明」であるが、中華文明が如何に自然を蔑ろにしてきたか。中国大陸の都市は全て城塞都市であり、その城壁は焼き締められた煉瓦で出来ている。その煉瓦を焼くのに山々から木が切り出され表土が流出し、洪水が多発するようになった。万里の長城を築くのにどれほどの山や丘が禿山になったことか。中国と言えば儒教が有名だが、この思想では父親に対する孝行が何よりも優先される。これは人間至上主義(父親至上主義)であり、それ以外のものには比較すれば価値はない。ことほど然様に中華文明は自然に対する支配欲は強かったわけだ。

逆に西洋では例えば多くの国で広大な緑が整備された公園があり、庭園文化はとても発達している。イギリスでは都市と田園のゾーニングが行われているので無秩序な工業化が行われていない。そのため、ロンドンから少し郊外に出ると美しい田園風景に出会える。それに引き換え、日本は無秩序な開発が行われたために、日本全国どこに行っても特徴的な田園風景には出会えない。数少ない棚田の残る山村にも高速道路が走り、風景を台無しにしている。これは日本が「西洋化」したからではなく、ゾーニングや農業を保護する西洋化をしなかったからこそだ。自然をなし崩しに支配できると思う、自然と人間が不可分であるという思想があるからこそおきたことと言えるのではないか。

とはいえ、勿論西洋文明が自然に優しかったわけではない。比較の問題として両者に差はないということだ。

小沢幹事長は「キリスト教は独善的」と言ったが、実際に独善的でない宗教はないと思う。個人的な信念や信仰は独善的でないといえるかもしれないが、それが信者を獲得する、つまり他の宗派から改宗させる存在(教団とか教会とか)になった時点で独善的になっているのだ。それを自分達だけそうじゃないと言い募るのは、個人の意見なら別だが、政治家としては見識に欠ける。

2009年11月16日月曜日

人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。それでもなお、人を愛しなさい。

「人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
それでもなお、人を愛しなさい。」

(それでもなお、人を愛しなさい—人生の意味を見つけるための逆説の10カ条-ケント・M-キース)

長い人生において、何も自分が好きな人とばかり付き合えるわけではない。時にはウマの合わない人、意見が違う人、好きになれない人と一緒に歩まなければいけないこともある。
著者は他の格言と共にそういう態度を戒める。
「すべての質問には三つの答えがある。あなたの答え、私の答え、そして、正しい答え」

いずれにせよ十倍以上になる

世界主要国のGDPは未だに一位アメリカ、二位日本である。この順位も早晩中国が日本を抜き去り、アメリカをも凌ぐようになるだろう。中国が経済成長を遂げるシナリオをいくつかあって、一つは今の様に中国共産党が中央支配を守りながら進めていくというもの。もう一つは中国が権力闘争の末に幾つかに分裂するというもの。一つのままであれば脅威だが、分裂すれば力が弱くなるから大したことはなくなるというのは早計で、分裂すれば互いに競争してより早く大きく成長する可能性がある。

成長は「余地」があるところにしかない。戦前、ヨーロッパ各国が、日本が国外に進出を繰り返したのは当時の産業モデルや経済モデルでは土地や資源が成長には不可欠だったからだ。しかし、戦後に省資源国家日本の成長を目の当たりにしたヨーロッパ各国は植民地政策の無意味さを悟り転身を遂げる。

戦後の植民地解放は資源を格安で手に入れるよりも資源を生む国と取り引きをする方が経済成長につながると分かったからだ。アメリカの戦後の繁栄の半分くらいは日本のおかげだ。でも日本はアメリカが独占したので中国はそうはいかないと列強は熾烈な競争を繰り広げる。

中国の繁栄を欧米各国が歓迎するのは未開拓の荒野が広がっているからだ。中国が発展し、購買力のある消費者が増えて、欧米各国が企画した商品を買うことで彼らは潤う。

中国が一つであれば、その成長は比較的緩やかだが、分裂すれば成長は加速される。欧米各国が中国に干渉するとすれば、この部分だろう。欧米自体に成長余力が限られる以上、中国に干渉して成長を促進する誘惑に駆られるだろう。その時に巻き込まれて割を食う立場にはなりたくない。