でも考えてみれば30代の男性がストリーキングをしたってだけの話。
確かに影響力のある人物だから慎重な行動が求められるべきだが、スピード違反よりも軽い事件で騒ぎすぎ。
ジャニーズ事務所が如何にマスコミに影響力があるかってことの裏返しだ。
でもね〜、公共の電波を使って騒ぎ立てることじゃないよね。
IT系と政治関連の事件を中心にコラム風に書いています。趣味は舞台、だけど最近は殆ど観てないな~。
医薬品通信販売規制は"薬害"や副作用の危険性などを絡めて医薬品の販売を「対面販売」だけに規制しようというもの。
これは日本薬剤師会やドラッグチェーン業界などの求めに応じて厚生労働省が省令による規制強化を行おうとしたものだが、法律改正による公の議論を経たものではなく省令という官僚の恣意的規制によるものである点で法律上も問題が指摘されている。
そもそも過去の薬害や大きな副作用などは通信販売によって流通されて医薬品によるものではない。
薬害のリスクが含まれた医薬品が十分な試験を経ないままに医師や薬局を通じて流通し被害者を生んだというのが実態だ。
だから、薬害や副作用などが「通信販売による医薬品流通の危険性」を示唆するものではないし、それよりも医師や薬剤師の医薬品に対する知識不足や流通上のセーフティーネットの不備が指摘されるべきであって、通信販売が危険であるとの主張に論理的な根拠はない。
それらを考えると、今回の規制の根っこには薬剤師会やドラッグチェーンなどの既得権益者を保護し、関係先団体を支配して影響力を維持しようとした一部の官僚の暴走であるとしか思えない。
漢検協会理事長の問題はもっと罪深い。
今回辞任した理事長にはなんら落ち度はないと思う。
むしろ文科省は積極的に彼の功績をたたえるべきである。
漢字能力検定協会は1975年に設立されてかが十数年にわたって任意団体でありながら、なんら行政の支援をうけることなく漢字検定事業を展開し、広く国民に有益な資格として認知される実績を積み上げた。
年末に発表されるその年を象徴する漢字の発表など、「漢字」文化そのものの普及に努めてきたことが今の「漢検」ブランドの浸透に役立ってきたのだ。
最初から文部省の肝煎りで、アメリカの後押しで始められた英検に対しても受験者数で凌ぐようになっているのは私企業が始めた取り組みとしては立派なものである。
それがここに来て問題を指摘されメディアが騒ぎ立てる事態となった。
しかし、事業の創業者が、創業時期の苦労を乗り越えて成功を得たときに多少の贅沢をすることが責められることであるとは思えない。
指摘されている問題にしても、その時々の事業判断や成功の結果としての創業者に対する利益供与としては認められるべきだ。
これが認められないとすれば事業を興そうなどと思う人は皆無になるだろう。
漢検の問題は文科省の横槍ではないのかというのが僕の邪推も含んだ考えである。
英検を凌ぐほどになった漢検に対して、文科省は天下り理事の受け入れなどを迫ったのではなかろうか。
それを前理事長が撥ね付けたのであろう。
その為に文科省は理事長個人に関わることをメディアにリークしたのではないだろうか。
メディアは文化事業の側面をもっているから文科省に対してとても弱い。
そのため文科省からのリークを垂れ流し意に沿うたのだろう。
新理事長は日弁連の会長やRCCの社長を歴任した行政よりの弁護士だ。
RCC時代に支援企業との間での不適切な関係を取り沙汰され懲戒請求を起こされている人物。
そんな曰くつきの人物を理事長に送り込む文科省は早々に官僚OBに挿げ替えることが見え見えだ。
医薬品通販規制にしても漢検理事長の問題にしても、一部の官僚が恣意的に業界をコントロールしようとしているという構造が根っこにある。
マスコミもそれに踊らされていて、医薬品通販はネット通販大手のヤフーや楽天が全力で立ち向かっているのでなんとかなるかもしれないが、漢検は官僚に乗っ取られてしまうのだろう。
漢検の理事長は悔しいに違いない。
事業が上手くいっていなくて、内部の方針の争いによって敗れたのであれば諦めようもあったかもしれない。
しかし、外部から自分の育て成功した事業を奪われたのだから尚更だ。
新理事長が告訴すると息巻いているが、是非とも財界筋から前理事長を支援して欲しいものだ。
漢検ブランドは前理事長によって失墜したわけではない。
漢検を乗っ取ろうと画策した勢力によって毀損させられたのだ。
だから漢検の資格者は別に恥らうことはない。
これから漢検のブランドを更に貶めるようなことを新理事長がやり始めるだろう。
そのことによって漢検以上に「漢字文化」の振興に影が落ちないことを危惧する。
と同時に、一定以上の社会的影響を持つ事業に対する政官界からの圧力がこれほど醜いものなのかと暗澹とするのは僕だけだろうか。
ソフトメーカーがハードメーカーを買収するという話は珍しい。
ソフトとハードでは事業運営に違いがありそうだが、Oracleは大丈夫だろうか?
森田健作と言えば「俺は男だ!」というい激情型のリーダー像。
暑苦しく、とても現代的だとは思えない。
現代的なリーダーは知的で冷静なタイプ。
でも、リーダーに激情は必要だという研究があるらしい。
人間の脳の中で感情を司る部分に先天的あるいは後天的な障害のある人を観察していると、そういう人は何かを始める前に理詰めで準備を進めていつまでたっても始めようとしないのだという。
なるほど、人は何かを始めるときには激情によって引き金を引く必要があるということなのだろう。
大起業家と言われる人にも「怒って灰皿を投げつけた」という類のエピソードには事欠かない。
こういう癇癪がある人がエイヤッとばかりに仕掛けたことがビジネスになっていったりするものなのだろう。
とかく、知的なリーダーには決断が足りないのはこういうことなんだと思った。
この理事長一族は天晴れだと思う。
漢字能力検定なんていう、その資格で仕事が出来るわけでもないものの検定試験だけで70億以上のビジネスに育て上げたわけだから立派なものだ。
協会の沿革を見てみると、1975年には任意団体として協会は設立されており、それから1992年に財団法人化されるまでの17年間は文部科学省に認可されるわけでもなく漢字検定を実施してきたわけだ。
それが受験者からの希望もあって法人化となったわけだ。
ここ7年間で70%の受験者数増加を実現し、「漢字検定」を資格のブランドとして確立したのは大久保理事長らの手腕によるところであろう。
創業者が創業者利益として何がしかの果実を得るのは当然のことだ。
それが広い家屋敷だろうと、過分に豪華なオフィスだろうと関係ない。
銀行に借金して経営が立ち行かないというのなら未だしも、年率10%以上の成長を遂げている優良企業の創業者なのだから責められるところはないはずだ。
大久保理事長が経営している会社が協会から下請けをしているということも批判されているようだが、そもそも漢字検定という受験システムや評価システムを支えているのはこれらの企業が提供するシステムやサービスだ。
それを外せば漢字検定自体が提供できなくなるのだから仕方がないし、その様に仕組みづくりをした理事長はやはり天晴れだ。
理事長は非難されている理由が分かってないんじゃないの?と朝のニュースバラエティで"みのもんた"が批判したらしい。分かっていないのはみのの方だ。
一代で築き上げた事業を役人に持っていかれるのは本当に悔しいに違いない。
そのことを少しでも肯定的に報道するマスコミがあっても良いと思うのだが。
電鉄会社のビジネスモデルは「西の小林・東の五島」のころから線路の両端に消費者と消費地を創出してそれをつなぐインフラで利益をえるというのが有名だ。でも、今回考えてみたのは「電車と駅とバス」のビジネスモデル。
電鉄会社の多くはバスを運行するかバス会社を子会社としている。バスは駅周辺に路線を持っているわけだが、そのバスの役割と駅、電車の関係を考えてみた。
バスは駅周辺を周回することによって電車の乗客を集めることを役割としている。だから運賃は原価を割らない程度であれば良い。儲かることが目的ではないのだからそれで十分だ。乗客が少なくて、どうしても原価割れしてしまうような場合は公営バスなどが原価割れで乗客を集める。
電車は集められた乗客を目的地に運ぶという最も価値のあるサービスを提供している。その上、輸送効率が良いので大きな利益を稼ぎ出すことが出来る。
駅は当初は大きな役割はなかったが、駅ナカや駅ビルなどの登場によって乗降客のついで買いや新しい目的地の創出によって、新たな乗客の獲得など利益を上乗せすることが役割となっている。
バスは乗客が受け入れ可能な運賃以下の原価で乗客を数多く集めることによって、電車の利益創出に役立っている。乗客は安い運賃で最寄の駅まで辿りつくことが出来て利益を享受する。電車は乗客が損益分岐点以上乗り込むこむので大きな利益が創出され、乗客は安い価格で行きたいところまで正確な時間に辿りつくことが出来る。駅は乗客に新たなアミューズメントを提供し、電車の乗客を増やす上に駅自体も利益を創出する。
だから、バスと電車、駅では評価基準が違ってくる。
バスは乗客数が評価基準となる。乗客数が最大となるルートと運行時間の選択がバスの成功要因となろう。
電車は如何に大量の乗客を正確に運ぶかということが評価基準となる。乗客を最大とする運行間隔や行き先が電車の成功要因となる。
駅は乗降客を如何に満足させるか、滞在時間を長くするかということが評価基準となる。テナントの開発、誘致、マーケティングが成功要因だ。
という分析を今の仕事に応用してみるとどうなるか
・・・考え中(−−)