2010年7月9日金曜日

複雑にしない税制

消費税論議が一気に加熱した。菅首相は財政健全化を考えているんだ、というポーズを見せる程度だったのだろうが、今更引っ込みがつかなくなったみたいだ。なので所得によって税を還付するとか言い出す。

他の制度もそうだが、複雑になればなるほど事務の手間もかかるし、制度の隙間を狙った不正が起きる。日本ではサラリーマン以外の所得を把握する術がないため自営業者の脱税が跡を絶たない。同じ様に消費税の還付を所得によって行うと所得が把握されていない自営業者が不正な還付を受けようとするかもしれない。

納税額を増やすには納税者番号などの運用が考えられるが、住基ネットと同じくリベラル系の政治家の反対で立ち消えとなるだろう。彼らは個人の所得が常に政府に把握されることを嫌うが、一番それを嫌うのは税金を払いたくない自営業者だろう。そして、損をするのはサラリーマンということだ。

日本郵便によるゆうパック遅延混乱について

この問題の発端は去年の鳩山事件に遡る。鳩山の弟の方が総務大臣となって、自治体行政はほったらかしにして日本郵政民営化を反動させるべくかき回していた。その混乱の中で10月のJPエクスプレスへのゆうパックとペリカン便移行を粛々と進めていた日本郵政。

鳩山更迭でやっと前進するかに見えた郵政民営化。それが衆院選にかかった為に暫時停止。鳩山政権誕生によって民営化の先行きが不透明になり、亀山大臣が就任することで郵政再国有化が志向されることになった。ここで、JPエクスプレスにゆうパックとペリカン便が譲渡されるのではなく、郵便会社にペリカン便が合流するという事態に。

結局、封書配達のインフラと小包配達のインフラの違いを理解出来ない人がかき回したのが運の尽き。せっかく追いつきかけたヤマトと佐川の背中は遠く霞んでしまった。年賀状の大量廃棄など配達品質に課題がある郵便会社。復活出来るのか?

2010年7月2日金曜日

円高になる理由が分からない

1ドル=86円

かつてバブルに踊った頃、円高を背景に日本企業や個人が海外の資産を買い漁った。

当時の日本は空前の好景気に沸いていた。その原資は子育てが一段落ついて可処分所得が増えた団塊世代の旺盛な消費だった。有り余るマネーが野放図に土地投資に向かい、どんな事業もソコソコの成功を収めた。バブルは日本の歪な人口ピラミッドが招いた徒花だった。

しかし、今回の円高は意味が分からない。バブル崩壊後、失われた10年などと言われながら円は高いままだった。お蔭で日本企業はただでさえ高い生産性を際限なく改善し続け、更に海外に生産拠点を移し、いわゆる"デフレ"を招いた。"景気回復"を旗印に歴代政府はバラマキを続け、小泉政権で一時的に減ったものの、現在では財政状態は最悪だ。

そんな先の見えない日本で円が買われ円高になる理由が良く分からない。欧米経済が金融危機を脱し日本は置き去りになった。ギリシャの財政破綻は欧米経済を痛めたが、日本の財政も破綻寸前なのは変わらない。ギリシャを見ていると破綻の原因となった放漫政治が過大な"ポピュリズム"に基づくものだと分かる。

小泉政権後、日本は折角の財政健全化への道を自ら塞ぎ、ギリシャの様に「政府が雇用を創出する」とまで言い出した。際限ない財政支出はいつか破綻を招き、預貯金を通じて国債に投資されている国民の資産を奪うだろう。その時に目敏い投資家は円を売り浴びせ鞘をとって儲けるに違いない。それは金に汚いとか言うことではなく、状況を利用する知恵だ。

そう考えるとこの理解不能な円高も様々な思惑が絡みあった結果なのだろう。そして、円高は決して日本経済を利さないだろう。

2010年6月25日金曜日

決勝トーナメント

今日の朝から日本で沸き起こった感動は清々しいものだった。

決勝トーナメントへの進出は正直難しいのでは?と思っていた。確かに「負けなければ良い日本」と「勝たなければいけないデンマーク」では心理的にも日本の方が優位だ。だが、立ち上がりからボールを支配してコートを大きく使って攻めるデンマークは日本より余裕も力もあった。最初の本田のゴールはFKが決まるはずがないという油断だったのだろう。

日本を含めてそれまでの試合ではFKは1点しか決まってなかった。日本チームも何度となくFKを浮かして外していた。だが、本田のFKはキーパーの手をすり抜けて決まったのだ。

デンマークがあの位置でFW陣をファール覚悟で潰しに来るのは戦術として決まっていたのだろう。日本チームもあのくらいの位置で何度となくFKを蹴られている。だから、あのゴールはその常識を超えた本田の個人技が光った。遠藤のFKはベテランならではの相手の裏をかいた、いや相手をオチョクっているかのようなものだった。

本田がこじ開けたデンマークの動揺を遠藤が拡げた。結局、デンマークには勝利の為のオプションが極端に減ってしまい、パワープレイに走らざるを得なかった。日本チームは上背のある外国チームとの対戦で準備が十分だったからパワープレイは都合がよかったかもしれない。

ただ、この三戦で日本チームは「日本サッカーの型」を見出だしたような気がする。イタリアやブラジル、イギリスなどの強豪国が持っているような、ハマると必勝というような型を。

次は29日。また、夜更かしだ。

2010年6月24日木曜日

鳩山首相の失敗は安倍首相、麻生首相の失敗と同じ

鳩山政権が短命に終わったのは必然であった。小泉政権が「経済成長」という実利を追求したのに対して、それに続く安倍政権は「美しい日本」という保守イデオロギーを声高に主張した。小泉政権の「規制緩和経済成長路線」を郵政民営化反対議員を復党させることで曖昧にした。そのために他で良い政策を行っていても全体的に反動に見えてしまった。

安倍首相の人気の理由は若さに代表される既得権益との対決であった。それが元来の保守思想の表明によって、どちらかと言えばソフトな保守である無党派が鼻白らんで離れていったのだ。麻生首相も同じだ。

民主党が連続して国政選挙で大勝した理由は選挙中は少なくともイデオロギーが見えなかったからだ。それが鳩山首相が「友愛」イデオロギーを持ち出したことでソフトな保守の無党派が距離を置いた。鳩山首相の最大の勘違いは普天間基地が有権者の関心事だと思ったことだ。

誤解を怖れずに言えば普天間基地は多くの有権者にとって関心の外だ。日米安保賛成しているわけじゃなくとも日米関係が悪化することで日本が不安定になることには反対する。「最低でも県外」は日米関係をはじめとする外交の安定があってこそで、それが出来るならやれば良いんじゃないという程度の感心だった。それがフワフワした友愛イデオロギーと沖縄基地問題で元気になる社会党のサヨクイデオロギーのダブルパンチで有権者は嫌気がさしたのだ。

結局、政界や「論壇」が乗り越えていないイデオロギーの枠を有権者はとっくに乗り越えているのだ。

小泉首相に有権者があれほど熱狂した理由は彼がイデオロギーではなく「郵政民営化」をはじめとする規制緩和改革という政策だけで勝負したからだ。残念なことに自民党や彼の後継者は彼の靖国参拝や帰国した拉致被害者を北朝鮮に行かせなかった保守的な行動が支持されたと勘違いして安倍首相は「美しい国、日本」とぶちあげてしまった。鳩山首相も一緒だ。有権者は「脱官僚」に期待して鳩山民主党を応援した。

菅首相はその轍を踏まないだろうか?

2010年6月22日火曜日

菅首相によれば、生産性をあげなくても企業は生き残る

http://www.j-cast.com/m/2010/06/21069238.html

菅首相が街頭演説で「日産自動車の社長の給料が高いのは首切りがうまかったからだ」「すべての会社で首切りした社長が偉いなら日本中に失業者が溢れてしまう国民全体を考えたらリストラする経営者ほど立派というのは大間違いだ」

と言ったのだそうだ。

現実主義者としての菅首相はユートピアを夢見るポピュリストとしての菅首相に負ける様だ。たとえ理想があったとしても理想実現のための第一歩が砂山では頂上には辿り着けない。たしかに、「リストラしない経営者」の方が立派である。しかし、正確には「リストラせずに倒産させない経営者」が立派なのだ。

かつて記者会見で「社員が悪いんじゃありません。経営者が悪いんです。」と泣きわめいた経営者がいた。彼の会社は倒産する訳だが、立派な経営者だったのでクビ切りをしなかった。その結果何千人もの失業者を生み出した。(正確にはこの社長すら敗戦処理を押し付けられただけであり、その責任の多くは実質的な決裁権を離さなかった会長にある)

つまり、「リストラをして倒産を回避した経営者」は「リストラをせずに倒産した経営者」より余程立派だということだ。当時の日産は倒産寸前だった。ゴーンがリストラをしたのは何万人もの倒産による失業者を出すより立派だった。

なにより日産が倒産寸前まで追い詰められたのは高すぎる従業員の人件費が理由の一つだ。日本では年功賃金と解雇規制で一人あたりの人件費は上がる一方だ。逆に生産性を向上させる改革や商品開発は停滞していた。付加価値を生む仕事がおざなりになって生産性がまったく上がらないのだ。

それでも会社の利益がそこそこあれば、無理して生産性をあげる必要がないと安住するのを「大企業病」という。成果に重きをおかない大企業や官僚機構にありがちなことだ。そんな状態の日産に乗り込んだゴーンはたしかにリストラを行ったが、それは必要なリストラだった。

「生産性が上がらないが人件費は上がる」→「開発費を抑える為に商品競争力が落ちる」→「競争力がないので売り上げが下がる」→「人件費以外のコストを切り詰めるが仕事のやり方を変えないので生産性は上がらない」→「業績が悪くても組合は他社と同じ水準の昇給を求める」→「売り上げが下がり生産量は落ちているのに解雇出来ないので生産能力が過剰で生産性改善のプレッシャーがかからない」→…。

こういう状況を打破するには過剰な能力を先に落とすしかない。それによってマインドが変わると自然と生産性が上がり利益が出て持ち直してくるのだ。世の中の全てのリストラが必要なものとは言えないが、少なくとも菅首相が批判した日産のリストラは必要だった。これが必要ないとなれば、努力しなくとも生活が豊かになるユートピアがどこかにあるのだろう。

2010年6月21日月曜日

相撲会の野球賭博騒動に関して

賭博は何故いけないのかという問いに対する明快な答えはない。公営ギャンブルや極私的な賭けまで世間で許されている賭博は多い。なので、事件になるものとならないものの区分けは司法関係者でも意見が分かれるのだそうだ。

しかし、今回の騒動は「野球賭博」だから事件になったと言って良い。かつてプロ野球が今ほどメジャーなスポーツではなかったころ野球賭博はプロ選手を巻き込んだ大掛かりなものだった。賭博に関わって野球会から追放された人もいた。大物プロ野球選手とヤクザが仲が良いとかいう話も賭博と無関係ではないし、野球選手のファッションがチンピラ風なのも同じだ。

相撲にせよ野球にせよ、ボクシングなどの格闘技でも賭博とは無縁ではない。というのも、プロスポーツが元来賭博から得た利益によって選手を養うものだったからだ。大金持ち同士が自分のお抱えの相撲取りを戦わせて自慢し合う。相撲取りは旦那からの手当てとその試合を興行し賭けの胴元で一儲けした親分からも小遣いを貰う。江戸時代にヤクザと相撲取りが義兄弟の契りを交わすのは当たり前だった。

戦後はそこに野球が加わりプロ野球はスポーツとしての体裁が整うまでは、オーナーも山師の様な人も多かった。この事はプロスポーツの本質を示していると同時に賭博が決して暴力団だけのものではないことも示している。

マスコミは今更ながらに「野球賭博」や相撲取りとヤクザ社会のつながりを取り上げるが、これは数十年に渡って続けられてきたことで、これまでのマスコミの怠慢も問題にされるべきだろう。

相撲も野球もこれまで少なからず裏社会と関係してきたことは率直に反省すべきだろう。その上でなるべく健全な興行がうてる努力をして欲しい。そしてマスコミは公になってから騒ぐのではなく、正しい報道をして欲しいものだ。