2011年3月10日木曜日

土肥議員はハニートラップにでもあったのか

民主党の土肥隆一議員が韓国の議員団と「竹島領有権の主張を撤回する」共同声明に参加したという話。

まぁ、「日本は日本人だけのものではない」と仰る総理大臣を輩出した政党なので、今更どんな主張をする人が出て来ようと驚きません。しかし、なかなか興味深い背景だなぁと思います。まず、この声明が「キリスト教議員団」の活動ということ。日本側の参加者は数人程度で今回の会合に出席したのは土肥議員だけだった模様。韓国では150人以上の議員がこの団体に参加していて、アジア最大のキリスト教国になった韓国の現在を伺い知ることが出来ます。

「右の頬を叩かれたら左の頬を差し出す」寛容さを説くキリスト教徒が、かたや「右の頬をぶったから左の頬も差し出せ」という振る舞いに僕などは戸惑います。しかし、それは当たり前かもしれません。左の頬を差し出すメンタリティを持つ民族にわざわざそんな道徳を説かないでしょう。その言葉があまりにも自分達の思想に衝撃を与えるからこそ布教は成功するのです。

それにしても、自分の党が政権運営で窮地に陥っている時に、党の要職にありながらこの行動は呆れます。そう言えば、かの国の要人達が中国にハニートラップを仕掛けられていたなぁ。土肥議員も仕掛けられたのかな?それくらいのやむにやまれない事情があって欲しいものです。土肥議員は個人的には「日本の竹島領有の主張に疑問がある」そうですが、そこいら辺の"文化人"がチヤホヤされるためにリップサービスで言うのと違うのですから。

経歴を見たら我が母校のお隣の進学校の出身ではないか。ん〜、ミッションスクールの僕が全くキリスト教に傾倒しなかったのに、あの学校から神学校に進むとは…。韓国はアジア最大のキリスト教国だから、熱心な日本のキリスト教徒は韓国に行きたがると聞いたことがあるが。

2011年3月8日火曜日

東京都知事選挙

東京都知事選挙の立候補者の顔ぶれが明らかになってきた。 
 
正式な出馬は 
小池晃                (共産党前参院議員) 
渡邉美樹        (ワタミ創業者) 
松沢成文        (神奈川県知事) 
ドクター・中松        (発明家) 
の四人 
新聞報道によると、 
丸山和也        (自民党参議院議員) 
蓮舫                (行政刷新担当相) 
東国原英夫        (前宮崎県知事) 
村林裕                (FC東京前社長) 
そして、 
石原慎太郎        (現職東京都知事) 
といったところか。 
 
ドクター中松は典型的な泡沫候補なので、紙面をにぎわす程度であろう。そういう意味で民間出身の政党色のない候補は渡邉美樹と村林裕くらい。 
 
都知事選を占うネタは以下の三点である。 
 
石原都知事は誰を支援するのか? 
自分自身の出馬も含めて、現職の都知事が誰を支持するのかというのは重要である。石原都政が三期も続いたのは、都民が(これは法人も含む)現状維持を強く望んだからで、多少の衝突はあったとしても都民は変革を求めていないという気がする。とすると、石原慎太郎が支援する候補には大きなアドバンテージがある。 
 
石原都知事を悪役化できるか? 
石原を継ぐにせよ、超克するにせよ、"石原"を否定するアプローチは重要だ。そこで必要なのは石原を悪役として描き出すこと。都政の、あるいは国政の障害を生み出す象徴としての石原慎太郎を印象付けることが出来なければ、都知事選に嵐は起きない。その意味では早くも石原継承を打ち出した松沢氏は安定しているが、嵐が起きると石原と共倒れになりかねない。 
 
既存政党は存在感を発揮できるか? 
現時点で都知事選に名乗りを上げている政党は共産党だけだ。自民党は現職知事の出身母体であり、党幹事長はその息子でもある。その中で現職の丸山参議院議員が名乗りを上げるとなれば混乱は必至だろう。かつて、埼玉県知事選で森田健作が立候補を巡ってもめた経緯もある。丸山氏は党歴も短いし、それほどの混乱はないかも知れないが禍根を残すだろう。 
民主党は深刻である。独自候補が蓮舫大臣以外に見つからない。それ以外では東国原氏を支援するくらいしか手はない。松沢氏は既に石原氏と連携を模索しているので出身母体の民主党とは距離を置くだろう。これほど国政政党が地方政治への影響力を失っているのだ。 
 
大本命は松沢氏になるだろう。対抗は蓮舫大臣あたりが出馬すれば話題になるだろう。大穴は渡邉美樹氏か?渡邉氏が都政の矛盾を石原氏にこめて攻撃すれば良い線いくと思う。東国原氏は出方が問題になる。あざとい立ち回りに見えないように工夫しないといけない。

2011年3月3日木曜日

入試が最優先の事業ならば、大学には常勤職員はいらない

日経オンライン「常識の源流探訪」〜携帯カンニング工夫するヒマに勉強しろよ!〜で伊東 乾が

「そうなんです、学生の単位取得だとか卒業だとか、あるいは卒業後の進路とか、そういうことは大学全体を揺るがすようなことにはなりません。逆に、入試で何かあったら、学長や入試責任者は下手すればクビが飛びかねないかもしれません。そういう現実認識が大学の中にあります。」

と語っている。

なるほど…。大学の本分が高等教育の授業と最高の学習環境の提供であれば、入試はそのサービスを受ける希望者(需要)が大学の定員数(供給)を超える場合にスクリーニングをする為に必要になる。大学の学生は、元々はタダみたいな授業料で教育を受けていた。そこには税金による補填があったので、入試によって税金を使っても、その後に公益に貢献できる優秀な人材を選別するという建前もあった。

文科省が予算を獲得するために無闇矢鱈と大学の新設を許したが、国からの補助金という"需要"があったために参入は盛んだった。通常、参入が盛んになると価格が下がって淘汰されるが、補助金と価格統制があるために価格競争の代わりに学生獲得競争が激化した。学生数は補助金額(売上)を決める要素だから、学生を入学させることが最重要事業となった。入試は実は学生の大学に対するロイヤリティを高める効果がある。

問題の難しさや頭の良い競争相手を叩きのめして勝ち上がっていく過程で学生はその大学の学籍を得ることに満足を得る。だから、そんなに沢山合格者が出て欲しくない。推薦入学やAO試験などは正規の入学者に「あいつらと違って俺の学籍には価値がある」と思わせる装置になる。金メダルでも純金製とメッキでは大違い。だが、推薦だろうと何だろうとメダルには違いないから彼等も満足だ。

斯くして入試という事業が拡大していく。その引き換えに本来の"最高の学習環境"というサービスはお座なりになってしまう。入試がメイン事業ならば、大学には常勤の職員は必要ない。精々冬の3ヶ月間必要になるだけだ。いっそのこと入試に合格したら卒業証書も上げれば良い。

2011年3月2日水曜日

松沢知事が東京都知事に立候補するのは、神奈川県知事の仕事が面白くないからだろう

松沢 神奈川県知事が東京都知事に立候補を表明した。石原知事の了承も取り付けるという政治家らしい根回しを忘れない。石原知事はこういう行為に好感を持つタイプだろうから、応援するに違いない。 
 
神奈川県知事の座を擲って東京都知事に挑戦するのは、それくらい神奈川県知事という仕事が面白くないからだろう。 
 
というのも、神奈川県は県内に横浜市、川崎市、相模原市と政令指定都市を三つも抱えている。神奈川県の人口は900万人で、三つの市を合計するとおよそ580万人。人口の約65%は政令指定都市で県の権限は及ばない。東京に面した三つの市が東京都の連携を阻む様に働いている。 
 
このことから神奈川県知事は「湘南市長」と揶揄されることも多く、日本で第二位の人口の県でありながら、県知事が及ぼせる影響の範囲は茨城県くらいなのだ。これではとてもではないが、面白かろうはずもない。 
 
石原都政を「継承」する方針であろうから、都民の選択が現状維持であれば松沢都知事が誕生するであろう。

痛快なり!松田公太

一昨日おきた「松田公太 菅首相即アポ事件」(By 山内康一)は息苦しい政界で久々に痛快な事件であった。 
 
松田公太の行動が痛快だったのは勿論だが、みんなの党の議員や幹部達がそろって面白がっているのが良い。 
 
こういう事件を笑い飛ばせる集団というのは苦境に強いものだと思う。

2011年3月1日火曜日

入学試験なんかしなければいいんだ

大学入試の問題が掲示板に流出した事件。大学は携帯や通信機能付きの端末を持ち込むことを禁止するそうだ。

ならばいっそのこと入試なんか止めてしまえば良いのに。入学希望者より大学の定員総数の方が多い時代に筆記試験などで合格判定をする意味はあまりない。それよりも入学希望者は全員入学させれば良い。

全員入学させた上で、今の様な出席してれば単位がとれるといったやり方を改め、一定以上の不合格者が出るやり方に変えて、卒業しづらくしたら良い。授業のレベルも上げて、本当に勉強する人しか卒業出来なくすれば、箔をつけるために入学することなんかしなくなる。大学のレベルが"特別に"高ければ、高校や専門学校のレベルも強化される。あの高校を卒業出来れば大学を卒業する力が養われるといった評判は大切だろう。

ソーシャルメディアが普及していて、軍隊が弱いのに、日本で“革命”が起きないのは何故か?

2月24日に「中東の"革命"を見て、中国でも民主化が進むと思ったら甘い!」で後ろ楯としての軍隊の存在が無ければ革命は成功しないと書いた。では、人々の不満や意識をつなぐソーシャルメディアが発達していて、デモも届け出れば自由に出来て、時の政権が民衆弾圧に軍隊を動員する可能性が殆どない日本で"革命"が起きないのは何故だろうか。

「日本は民主主義だし、革命の必要がない」というのは先日までは僕もそうだと思っていた。だが、その民主主義を体現する選挙で何が変わったろうか?幾人もの首相が生まれては消えたが、彼等の内の何人が選挙で約束したことを実現しただろうか。何人が約束を違えることを堂々と説明しただろうか。

中央省庁の役目が終わり、その整理縮小が叫ばれて久しいが、相変わらず官庁は膨張し続けている。あの小泉首相ですら官庁の解体には手をつけられなかった。官僚個人が悪いのではなく、不要なのに無くならないのが悪いのだ。そんな壁を破壊するのに古より政府打倒の暴力闘争があった。

エジプトの民衆蜂起は将にムバラク体制という壁にみんなが立ち向かったわけだ。軍隊が民衆蜂起に敵対しないという予想があったからこそだろう。でも、日本では霞ヶ関焼き討ちは起きない。決して軍隊に暴力で圧殺されたりしないのに。

日本で革命が起きないのは皆が幸せだと思っているからだろう。実際、世界で日本人は圧倒的に豊かだ。貧富の差も小さく、路上生活者ですら世界の貧困者より豊かだ。そんな幸せな社会を革命によってご破算にするのは大きな損失だ。

「茹で蛙」理論というものがある。グラグラ煮たった鍋に蛙をいれると直ぐに飛び出すが、水からゆっくり温めていくと蛙は温度が上がったのに気づかず茹で上がってしまうというもの。実際には水温の変化を感じて蛙は鍋から飛び出すらしい。

不安はあっても豊かな今の日本は蛙が飛び出すほどの温度にはなってないのだろう。政府や官僚が横柄な運営をしない限り、焼き討ちに至ることはないのだろう。とすれば、無能であっても人当たりが優しい菅首相の方が横柄な小沢一郎より、結果的に人を馬鹿にしてしまう鳩山よりマシというのが彼が首相をやれる理由かもしれない。

ならば、日本で革命を起こすには、強権的な政治手法の小沢一郎に首相をやらせてみるのが良いかもしれない。強権的な社会主義政策による財政悪化に疑獄事件が重なれば、民衆が鍋から飛び出す温度に近づくかもしれない。