「日本は民主主義だし、革命の必要がない」というのは先日までは僕もそうだと思っていた。だが、その民主主義を体現する選挙で何が変わったろうか?幾人もの首相が生まれては消えたが、彼等の内の何人が選挙で約束したことを実現しただろうか。何人が約束を違えることを堂々と説明しただろうか。
中央省庁の役目が終わり、その整理縮小が叫ばれて久しいが、相変わらず官庁は膨張し続けている。あの小泉首相ですら官庁の解体には手をつけられなかった。官僚個人が悪いのではなく、不要なのに無くならないのが悪いのだ。そんな壁を破壊するのに古より政府打倒の暴力闘争があった。
エジプトの民衆蜂起は将にムバラク体制という壁にみんなが立ち向かったわけだ。軍隊が民衆蜂起に敵対しないという予想があったからこそだろう。でも、日本では霞ヶ関焼き討ちは起きない。決して軍隊に暴力で圧殺されたりしないのに。
日本で革命が起きないのは皆が幸せだと思っているからだろう。実際、世界で日本人は圧倒的に豊かだ。貧富の差も小さく、路上生活者ですら世界の貧困者より豊かだ。そんな幸せな社会を革命によってご破算にするのは大きな損失だ。
「茹で蛙」理論というものがある。グラグラ煮たった鍋に蛙をいれると直ぐに飛び出すが、水からゆっくり温めていくと蛙は温度が上がったのに気づかず茹で上がってしまうというもの。実際には水温の変化を感じて蛙は鍋から飛び出すらしい。
不安はあっても豊かな今の日本は蛙が飛び出すほどの温度にはなってないのだろう。政府や官僚が横柄な運営をしない限り、焼き討ちに至ることはないのだろう。とすれば、無能であっても人当たりが優しい菅首相の方が横柄な小沢一郎より、結果的に人を馬鹿にしてしまう鳩山よりマシというのが彼が首相をやれる理由かもしれない。
ならば、日本で革命を起こすには、強権的な政治手法の小沢一郎に首相をやらせてみるのが良いかもしれない。強権的な社会主義政策による財政悪化に疑獄事件が重なれば、民衆が鍋から飛び出す温度に近づくかもしれない。
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