2011年3月1日火曜日

地方の時代は田舎の時代ではない

「地方の時代」なのだそうである。 
 
宮崎の東国原県知事誕生に続き、大阪の橋下知事が支持を受け、名古屋では名古屋市長選挙と県議会リコール、愛知県知事選挙を川村市長大村候補連合が勝利するという出来事まで起きた。東京都知事選挙は波乱が期待できる。 
 
しかし、これは本当に「地方の時代」の体現なのだろうか? 
 
「地方の時代」という言葉は1970年代からあるのだそうだ。40年も言い続けてその時代にならないということはもう無理なんじゃない?という気もする。地方の時代は換言すれば「地方分権」である。地方の行政サービスは地域ごとの事情に合わせてやった方が良いのだから最小単位自治体に任せて、権限を中央省庁から委譲して欲しいという話しだ。 
 
しかし、掛け声だけで一向に進まない。それもその筈で、地方に財源と権限を渡して自由にさせると言っても、権限はいくらでも渡せるが財源となると疑問が出てくる。多くの地方自治体は、その地域の税収だけで行政サービスも産業振興も出来ない。人口と雇用が東京や名古屋・大阪などの大都市に集中しているため、都市以外の地方、つまり田舎には十分な財源がそもそもないのだ。地方交付税とは、端的に言えば東京で収奪して田舎にばら撒くというもので、これがないと維持できない地方自治体は多い。 
 
その証拠に、東国原知事は一期で知事を退いた。財源、税源が無く、地方交付税は用途が決まっている宮崎のような田舎では「地方の時代」を体現するような行政は決して行えない。つまり、地方分権では力のある中核都市以外は、そのままの姿では存続できないということである。だから、地方分権論議が盛り上がらないのだ。 
 
だから、「地方の時代」という言葉は誤解を招きやすいので「田舎の時代」と言い換えるべきだ。そうすると未だに実現してない理由が分かる。逆にこれからは池田信夫も言うように、「都市の時代」にならなければいけないのだと思う。 
 

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