2007年12月20日木曜日

佐世保銃乱射殺傷事件に思う

佐世保のスポーツジムで発生した銃乱射殺傷事件は被疑者が自殺したことで事件の真相は闇に葬られる形となった。何故、被害者が死ななければならなかったの かは永遠の謎だ。古くからの友人と通っていたスポーツジムのインストラクターを殺すに至った経緯は語られることはない。被疑者が早々に特定される中、自殺 を許してしまったことは警察の捜査体制を見直す理由になるだろう。

だが、被疑者の猟銃所有について取りざたされるのには疑問が残る。確かに警察が猟銃所持を”あからさまに”挙動のおかしな者に許したとすれば犯罪を助長し たと言う点で法律・法令の運用不適切が指摘されるべきだろう。だが、被疑者は数年にわたって銃を所持していて、その間なんら犯罪に加担したわけではない。 まるで、事件を予見できたかのような報道が続くが、それは本当なのだろうか?

確かに、銃は人を傷つけることにも利用できるが、所詮道具である。被疑者が殺人を決意することにどれだけ影響したのだろうか?猟銃を所有していなければ事 件は防げたというが、猟銃が無ければナイフや他の凶器を使っただろうし、自家用車で殺したい相手に突っ込んだって目的は達成できる。その意味で、今回の事 件はこれ以上背景が分からない以上、再発の防止には「みんながお互いの不安や不満をオープンに話して、殺意を持つような状況に追い詰めたり、追い詰められ たりしないようにしよう」という程度しかないような気がする。

不思議なもので、通り魔殺人犯が包丁を使ったって包丁の販売を規制する人はいない。自動車で事故が起きても同じだ。しかし、銃だとすぐに規制強化の声が上 がる。不思議な話だ。道具が事件を起こしたとでもいうのだろうか?そういう結論ならば、包丁も自動車も規制対象にしよう。この事件の背景が分からないの で、結論を書きたがるマスコミは猟銃を犯人にしたてあげる。そんなものに乗らないようにしたほうが良い。

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