2009年4月8日水曜日

君が代不起立の12人を処分 卒業式で都教委

「君が代不起立の12人を処分 卒業式で都教委」(共同通信)
http://www.47news.jp/CN/200903/CN2009033101000932.html

無理が通らなくて良かった。
処分された教員は「不当」として訴える構えのようだが、処分はどう考えても正当だと思う。

そもそも「国旗」「国歌」に敬意を払うのは、それが自分の国のものであれ他国のものであれ当然だ。
国旗や国歌は国民統合の象徴の一つであり、「国家」という物語を共有するための装置の一つである。
国家は国民の福祉を維持する「装置」であるが、その維持には国家の総意を国民が守るという「約束」が必要になる。
「国旗」や「国歌」に対する敬意はその「約束」を確認する手段であり、教育課程の中でその約束を認識させることは必須だと思う。

しかし、日本の「国旗」は「軍国主義」の象徴であるから敬意を払わないという人はいる。
かつて軍事力によって外交紛争を解決しようとした日本を軍国主義と指摘するのは間違ってはいまい。
しかし、「軍国主義は"悪いこと"」というのは普遍的な価値ではない。
アメリカ、ロシア、中国は未だに外交紛争の解決手段として軍事力を行使しており、その意味でかの国々は未だに「軍国主義」である。
戦時中の日本と同様に、明示的にせよ暗示的にせよ軍事行動中は国民に犠牲を強いる。
彼らには彼らの基準としての"正義"に基づいた軍事行動なのだから、「軍国主義は"正しいこと"」なのだ。
戦時中の日本も自分達の正義に基づいて"正しい"判断をして軍事行動を行った。
その判断が誤っていたというのはあるだろう(当時のアメリカとの経済力の違いを考えればアメリカとは開戦するべきではなかったとか、米中の二面戦争はやめるべきだったとか)。
しかし軍国主義をとっていたこと自体が間違っていたとは言えない。

国歌は天皇のことを歌っていて民主主義国家の国歌としては不適当だという人もいる。
しかし、日本国民を象徴する存在として考えると天皇が国家に謳いこまれるというのは自然ではないだろうか。
天皇には先の大戦で国民を戦争に巻き込んだ責任があり、その天皇のことを口にするのは嫌だという人もいる。
しかし、個人であれば今上天皇は当時は少年であり責任はない。
また、昭和天皇にしても内閣を通じて間接的に国政に関与していたわけで、その殆どは内閣に委ねられていた。
内閣は天皇の勅命によるものであるから天皇に全く責任がないわけではなく、むしろ任命した内閣が引き起こしたのであるから責任はある。
しかし、先に書いたように軍国主義自体が悪いという価値観が普遍的でない以上、戦争を起こしたこと自体に責任があるわけではない。
責任は戦争に負けたこと、負けるまで内閣に戦争を続けさせてしまったことにあるわけで、そのことに関する天皇の責任は戦争直後に国民の総意として解消されていると思う。
天皇家が未だに国民統合の象徴として残っていること自体がその証拠である。

更に、国家は国民に優先しないのだから、国家を称揚するような国旗や国歌には敬意を示さないという人もいる。
そういう方には「どうぞ他国に移民してください」とお願いしたい。
最初に書いたように国家は国民の福祉を最大化する装置であり、それを維持するためには国家を維持するという「約束」が必要である。
その国家自体が不要であるという意見はあっても良いが、ならば是非日本以外に国家という装置を必要としない新天地を見つけて移住して欲しい。

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