2009年7月5日日曜日

市場主義の中で何が規制されるべきか

日本の政治は振れ幅が大きすぎる。

バブル崩壊後にアメリカの繁栄を横目で見ていた日本では「市場に任せる」ことの可能性を感じて次々と規制緩和が行われた。その成果は確実に上がり、バブル崩壊があったと言えど日本のGDPは成長を続けた。しかし、今世紀に入って、ホリエモンた村上ファンド、リーマンショックなどがあり、派遣切りや年金問題など社会不安が増大すると、やっぱり市場に任せるなんてとんでもない。規制をしなければダメだと言い出す。

日本は長らく国家が産業を育成し、国民の生活を支えてきた。東南アジアの国々が戦後の復興期に「開発独裁」などと批判されたことがあったが、そのモデルは自民党独裁の日本だった。日本は戦後数十年「開発独裁」国家であり、それが復興を力強く推し進めてきた。そのため、少しでも経済が不安定になったり、社会に不穏な影が落ちると「独裁色」が強くなってくる。

独裁というのは「強力な権力者が多くの弱者を支配する」と思われがちだが、独裁には「多くの弱者が一部の力ある人に依存して、支配してもらう」という構造の場合もある。日本はどちらかと言えば後者で、だから直ぐに「小泉か小沢か」「麻生か小沢か」「麻生か鳩山か」と個人の名前が挙がってしまう。政党政治の基本は個人ではなく、積み上げられた政治理論や哲学によって、独立した政治理念が形成され、それを体現する人を首班としてより近しい意見を持った人が終結するというものだ。ところが日本では人が変わると主義主張は簡単に変わってしまう。

今回の規制強化も「至上主義か否か」という二元論で語られてしまうのは、政治理論や哲学の積み上げがないからで、積みあがっていない薄っぺらさが二元論として現れている。そのような単純な構造に足を掬われないためには様々な側面から政策も経済も見ていって、それらの意見を対等な重みで評価して奥深いやり方を追及するべきなのだと思う。

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