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2007年3月25日日曜日

平松庚三

書評 - ボクがライブドア社長になった理由

ライブドアが行ったM&Aには賛否両論があるが、絶対に正解だったものが少なくとも一つある。

弥生の買収、だ。

なぜそれが正解だったか?

平松庚三その人がいたからである。

ソニー退社後、経営者を歴任してきたこの人なくしてライブドアが未だに会社として機能することは難しかっただろう。有能なスポークスマンであり、優秀な組織管理者であることが必要な段階に至っていたライブドアは必要な時期に必要な人を得たということで幸せだった。小飼氏が以前テレビで言っていたが、ままごとみたいな会社だったオンザエッジを会社としての体裁を整えることが彼の仕事だったといっている。そうすると、彼の去った後に上場企業にまで拡大した会社をマネージすることが新たに求められていて、それが平松氏だったんだろう。

2007年3月20日火曜日

私刑と公刑

リンチと裁判制度と「祭り」と「美人投票」

という投稿より。

そう考えてみると、そもそもなんで「私刑」は禁止されてるんでしょうか。

ということを僕も考えてみた。

「私刑」が禁止される理由は「復讐の連鎖を止める」ためだと思う。例えば、喧嘩で相手を傷つけたということがあったとしよう。傷つけられた相手は傷つけた相手に仕返しをする。仕返しされた人は更に仕返しをする。それが高じれば殺人に発展し、殺された人の身内が相手を殺し、その身内がまた殺すという連鎖が発生してしまう。これがまかり通ると社会が不安定になってしまう。

これは「復讐」や「私刑」が一人あるいは複数の人格によって実行されることによって発生する。私刑が否定されるべき点はここだ。公権力が刑罰を科すということは、公的な仮想の人格によって刑罰が執行されることで、復讐の相手を消滅させ、連鎖を断ち切る点にある。

この投稿でもハンムラビ法典のことが取り上げられているが、この法典で定められていることは「復讐」を認めるということだ。この法典が復讐を公式に認めることによって、復讐の繰り返しに歯止めをきかせている。

つまり、私刑が禁止されている理由は復讐の連鎖を止めることにより、社会秩序を保つということだ。逆に公刑においては、犠牲者や社会全体の多くが納得する量刑にならないといけない。

2007年3月18日日曜日

検察の役割

正義は誰の仕事なのだろう?

これは考えさせられた。ロッキード事件というと「検察の正義」を世間に示したエポックメイキングな事件として知られるが、実はこれが検察の世間への阿りだったというのだ。別の投稿でも書いたが、本当は世間は検察の正義、司法の正義を疑っているのではないかと思う。もし、検察がこれで社会正義を矯正できるなんて思い上がっているのだとしたら、足元をすくわれるに違いない。