2009年7月8日水曜日

2000億じゃ規模が小さすぎる

民主党が政府の無駄遣いを調査した結果、洗い出したのは2000億足らずだったそうだ。もちろん巨額だし、無駄遣いはないに越したことはない。ただ、何十兆にも及ぶ国家予算に比べたら、大した金額ではない。どうもアプローチが間違っているように思う。

国家予算の圧縮は前年比で1割とか2割といった規模でしなければいけないと思う。それには小さなことを積み上げてというのも良いが、思い切ってやめるものを決めた方が良い。あるいは、一気に2割の人員削減を断行した方が良い。

優秀な人材が流出して国家運営に支障が出ると言われるかもしれないが、優秀なら民間で富の創出に力を発揮して欲しい。成熟した経済社会に戦争直後のような統制経済は不要だ。だから、省庁は社会からこぼれ落ちた不合理や不公正を事後に救う程度で良い。さぁ、国家に縛られた人材を解き放て!

2009年7月7日火曜日

電子カルテが問題だ

日経新聞 7月7日 朝刊一面
「パナソニック医療ロボに参入〜まず薬剤師支援」

パナソニックが医療ロボット分野への参入を果たす。薬剤師の調剤支援をするロボットだという。

昔、同じ様なビジネスの立ち上げに関わったことがある。ICタグで医薬品を管理し、調剤などの薬剤師業務を支援するというものだ。ビジネスとしては失敗に終わったが、関わることで面白い視点を得た。

注射薬の振り分けをするロボットは既に複数の大学病院で実用化されている。問題は薬品の種類。全てを網羅しようとすればロボットは巨大になる。使用頻度や薬品のリスクによってロボットで扱うものと棚で管理するものは分けた方が良い。

ロボットを使うには電子カルテとの連携が不可欠だ。これが曲者。電子カルテの普及はまだまだ。手書きのカルテではロボットへの入力の分だけ薬剤師の負担は増える。何でもそうだが、システムに最初に投入されるデータをどうやって作るかが一番重要になる。

関空失敗に学ぶ

日経新聞 7月7日 朝刊一面
「関空路線の撤退加速」

関空に閑古鳥がないているそうだ。開港当初から利用者が増えないことが問題となっていたが、関空が大きな失敗だったことが明らかになった。元々、伊丹空港と関空はそれぞれ国内線と国際線で住み分けをするということになっていた。しかし、それは伊丹空港の発着数を減らし、関空の発着数が思ったように増えないという状況を作っただけだった。

オマケに関空は国内線も発着するようになって、大阪に国内線用の空港が二つあるということになってしまった。それに加えて神戸空港である。需要に対して空港の供給が多くなってしまい、全ての空港で赤字になるという共倒れに終わってしまった。伊丹空港を廃止しなかったことで、人と物の流れが変わらなかったことで、既存の業者や地元は喜んだかもしれないが、結果的には巨額の関空開発費を溝に捨てる結果となった。

福岡空港を移転するという話しが前々からあるそうだ。福岡空港は街中にあるため、拡張することも出来ないからというのがその理由だが、仮に離れた場所に空港が出来たとして、恐らく福岡空港は廃止されないだろうと思う。そもそも、あんなに便利な空港は日本には他に無い。それを廃止することには多くの反対が出るだろう。結果、新空港は国際線を主体とするということになる。だが、福岡空港からは他の国際空港に向かう便もあるのだから、福岡から別の国際空港に飛び、そこから国際線に乗り換えるということが起きそうな気がする。

よっぽど福岡空港と新福岡空港の連絡が便利でなければ関空の二の舞になる可能性が高い。そんなことはやめて、福岡空港周辺地域の買収などに力を入れた方が良いのではないかと思う。

賢い政府は期待できるのか?

日経新聞 7月7日 朝刊一面
「日本の軸を問い直す(上) 今こそ「賢い政府」に」

日経新聞の主幹のエッセーらしく、麻生政権の構造改革つぶしに批判を加えている。更に、小泉改革の負の遺産を「改革の行きすぎ」ではなく「改革の不徹底」と指摘したのは久しぶりに新聞らしいエッセーを読んだ。民主党の一部やマスコミの一部は為にする反対を繰り返しており、小泉改革を批判する。だが、小泉改革は構造改革の「一部」でしかない。小泉政権は全面的な構造改革に対する激しい抵抗を打ち破るために敢えて郵政民営化のみの一点突破で改革を推し進めた。その点で小泉政権は近年になく「賢い政府」だったのだと思う。

小泉政権に続く三つの政権は小泉路線を継承できなかったのではない。小泉政権時代からポスト小泉政権で改革をひっくり返そうとしていた、政界官界の勢力が民主党の力を借りて改革勢力を叩き潰したという方が正しい見方だ。その勢力は各政権の見方側にいて、それが政権の基盤を危うくし、短命で終わってしまった。ことほど然様に政府は「変わらない」ものなのだ。そんな政府に「賢さ」を期待してもよいものだろうか?

"変化"に対して最も早く反応するのは消費者個人である。時代の移り変わりを敏感に感じるのは生活者個人しかいない。次に反応するのはベンチャー企業や目端の利いた中小企業。ベンチャーキャピタルや個人投資家がそれに続く。次は普通の中小企業が反応する。大手企業の中でもベンチャースピリットが旺盛な企業は反応するかもしれない。この辺りで新聞やテレビなどのメディアが気づく。あぁ、ネットメディアはとっくの昔に気づいて反応している。

メディアが反応すると、徐に大企業が動く。大学などの研究機関もそれに続く。変化への対応が大きなうねりになってから、やっと地方自治体が気づく。最後にやっと登場するのが国となる。個人が日々刻々と対応するのに比べて、国は数年単位でしか変化に対応できない。変化に対応して向きを変えた頃にはとっくに違う方向にトレンドが流れてしまっている。"恐竜"とはよく言ったものだ。だから、行政がビジネスに及ぼす影響力は極力小さくしなければいけない。

TBSで「官僚の夏」というドラマが始まった。通産省が「国民車構想」なるものを主導したという設定だという。実際には自動車業界は政府が主導しなかった産業である。政府はこの業界を無視していた。一時自動車会社を整理統合するというので(これによって誕生したのが日産自動車)、自動車メーカーの数を制限するといったことをしようとしたが、それも失敗に終わった。仮にこれが実行されていればホンダは自動車メーカーにはなれなかった。トヨタはGM車を下請けで生産するだけだっただろう。政府が自動車業界を軽く見て、鉄鋼や通信に力を入れたことが、鉄鋼の斜陽を招き、通信のガラパゴス化を招いた。

ある程度民間資本が育ってきた後には、如何に産業育成というものに政府が役立たないかということがここに如実に顕れている。

2009年7月5日日曜日

市場主義の中で何が規制されるべきか

日本の政治は振れ幅が大きすぎる。

バブル崩壊後にアメリカの繁栄を横目で見ていた日本では「市場に任せる」ことの可能性を感じて次々と規制緩和が行われた。その成果は確実に上がり、バブル崩壊があったと言えど日本のGDPは成長を続けた。しかし、今世紀に入って、ホリエモンた村上ファンド、リーマンショックなどがあり、派遣切りや年金問題など社会不安が増大すると、やっぱり市場に任せるなんてとんでもない。規制をしなければダメだと言い出す。

日本は長らく国家が産業を育成し、国民の生活を支えてきた。東南アジアの国々が戦後の復興期に「開発独裁」などと批判されたことがあったが、そのモデルは自民党独裁の日本だった。日本は戦後数十年「開発独裁」国家であり、それが復興を力強く推し進めてきた。そのため、少しでも経済が不安定になったり、社会に不穏な影が落ちると「独裁色」が強くなってくる。

独裁というのは「強力な権力者が多くの弱者を支配する」と思われがちだが、独裁には「多くの弱者が一部の力ある人に依存して、支配してもらう」という構造の場合もある。日本はどちらかと言えば後者で、だから直ぐに「小泉か小沢か」「麻生か小沢か」「麻生か鳩山か」と個人の名前が挙がってしまう。政党政治の基本は個人ではなく、積み上げられた政治理論や哲学によって、独立した政治理念が形成され、それを体現する人を首班としてより近しい意見を持った人が終結するというものだ。ところが日本では人が変わると主義主張は簡単に変わってしまう。

今回の規制強化も「至上主義か否か」という二元論で語られてしまうのは、政治理論や哲学の積み上げがないからで、積みあがっていない薄っぺらさが二元論として現れている。そのような単純な構造に足を掬われないためには様々な側面から政策も経済も見ていって、それらの意見を対等な重みで評価して奥深いやり方を追及するべきなのだと思う。

自動車優先都市−東京

昨日の日経新聞 一面のコラム「春秋」に自転車の3人乗り規制緩和について書かれていた。

母親が自転車に子供を乗せる場合、これまでの規制では二人乗りはOKだが、三人乗りは禁止。だが、現実的に幼い兄弟を持つ母親は無理やりにでも二人を乗せて行動せざるを得ない。そのため、「十分な安全が図れるのであれば」という条件付で三人乗りが解禁された。

だが、同時に「春秋」は我が物顔で歩道を走る自転車にも苦言を呈している。申し訳程度に「自転車専用レーンを設けないことが問題」と言っているが基本的には歩行者と自転車が互いに注意しろと言っているように思う。春秋も指摘するように、これは自転車専用レーンがそもそもない、にも関わらず自転車と言う乗り物の通行を許している点に大きな問題がある。

東京は−日本全体も−基本的には自動車優先社会である。家の近所の横断歩道は横断者が自動車が近づいているので止まることはあっても、自動車が横断者を見つけて減速することすら稀である。自動車側は自分が先に通行するのが当然と思っている。都内では自動車は片側三車線で通行できるところは沢山あるのに、歩行者と自転車が別々に通行できるところは殆どない。そもそも歩道がない場所も多い。道路は殆どが「自動車」のために作られていて、歩行者のためには道は作られない。これは本末転倒ではないだろうか。

一つ提案がある。都内は基本的に自動車の進入は禁止。その代わり、自転車専用レーンを今の自動車一車線分作って、歩道も広げる。自動車は公共交通機関の用途のみ通行可能。よっぽどでなければ、総理大臣も自動車による移動は禁止。安全上必要な場合であれば、装甲車でゆっくり移動。

つまり、「道」を歩行者が優先的に利用するものとして、その次に自転車、最後に必要不可欠な分だけの自動車と利用の優先順位を変えるべきだと思う。

2009年7月3日金曜日

売家と、唐様で書く、三代目

「"3代目"麻生がぶち壊した吉田茂の戦後政治」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090702/199182/

55年体制の立役者となった吉田茂。その孫が自民党の、がっぷり四つに組んだ選挙の初めての敗戦を招くようだ。

「売家(ウリイエ)と、唐様(カラヨウ)で書く、三代目」

という川柳がある。三代目にもなると放蕩で資産を食い潰して家まで売りに出すが、趣味人らしく「売家」という文字を唐様の書体で書くというもの。麻生太郎が政権を食いつぶしたとは思わない。食いつぶしたのは自民党の全ての議員だ。

自民党は変わった。どぶ板の大きな政府を標榜し、田中角栄に代表される泥臭い政治から、大上段に構えた改革の剣をドスンドスンと政官界に振り下ろす都会的な政党に変わった。それが、自民党自体の求心力を破壊することとなった。ある議員は昔ながらの大きな保守政党を指向し、ある政治家は小さな保守政党を指向する。中には社会資本主義的な左派も出てきて、自民党の政治思想は空中分解をしてしまった。

この分解劇を演出したのは麻生首相ではない。小泉元首相だ。圧倒的な国民と財界の支持を背景に、党内の守旧派を押さえつけて大改革の先陣を切った。近年なかった長期政権は(5年足らずで長期政権になってしまうのもどうかと思うが)、改革を推し進め、多くの政治家のポリシーを浮き立たせ、省庁を揺さぶった。守旧派は身を潜め、嵐が去るのを待って、安倍・福田に襲い掛かった。

安倍・福田の二代が短命に終わったのは、民主党の強硬姿勢もあったが、自民党が背後から支えなかったことにも原因がある。仲良し内閣とか調整内閣といった「弱い首相」を演出するような発言が相次ぎ、それを自民党の議員は跳ね返さなかった。小泉改革潰しを民主党と一緒になってやったようなものだ。民主党も必ずしも小泉改革に反対ではないものの(規制緩和や官僚改革は民主党と平仄が合った)、政権欲しさに為にする反対を繰り返した。

この記事は55年体制を麻生首相が浪費したかのように言うが、55年体制を破壊したのは小泉元首相である。しかし、破壊された55年体制をゼロベースで再構築しなかったのは麻生首相を含めた自民党自身だ。小泉元首相は「私が自民党をぶっ壊す」と言った。その通りとなった。しかし、再構築までが彼の仕事であるべきではなかっただろうか。確かに総裁多選を戒めるという点で任期満了をもって辞めたのは立派だったかもしれない。しかし、途中で改選を数回やったから多選になっただけであって、総裁だった期間が長かったわけではない。

この三代目は唐様ではなく漫画様で書くようだ。教養が知れる。しかも、漫画論を語れるほどではない。次の選挙で政権が変わっても違う書体で書く三代目が首相の座に就くだけ。変わらなさに祖父たちもびっくりしていることだろう。