2011年2月18日金曜日

数値分析〜高校ではもっと「統計学」を教えるべきだ

今日、少し時間が出来たので会社の数値分析をした。会計数値を使ったものだが、かなり妥当な当社の収益モデルが出来た。まぁ、一部の部門なので他の部門の収益モデルも作らなくてはいけないが。

こういう分析をして思うのは、高校などではもっと統計学を学ばせるべきだということだ。世界に冠たるトヨタをはじめとして、戦後日本の製造業の隆盛にはデミングが伝えた分散分析や仮説検定などの統計手法の応用が役立った。トヨタ方式にも統計分析がなくては始まらない。

なのに、学校教育で重視されていないのは問題だ。特に高校では実践的な課題解決を含めて力をいれるべきだと思う。

2011年2月15日火曜日

年金問題の解決案

鳴り物入りで民主党政権に入閣した与謝野大臣は「税と社会保障の一体改革」を担っている。団塊世代が年金受給期に入るに連れて急増する社会保障費。年金と保険は「付課方式」になっているが、年金を支払う世代が受け取る世代より遥かに多かった時代には維持出来たこの方式も、その構成比率が逆転した現在では持続可能な制度ではなくなっている。

年金にせよ、保険にせよ、"税金"とは違うのだから「再分配」の制度として扱ってはいけない。「積立て」=〉「運用」=〉「(必要な時に)受け取り」というサイクルが必要である。ところが、年金も社会保険も集めたものを基本的には単年度で支給する。だから、年金や保険は払う世代が多かった時代には支払いが安かった上に支給しても余ったので、バカみたいな「ハコモノ」が沢山建てられた。

基本的には積立て方式に以降するべきだと思うが、今受け取っている人には積立てがない。一方でこの世代が一番金融資産を保有している。ならば、ある程度の積立てが賄えるまで金融資産に課税すれば良い。

金融資産に課税した上で相続税や譲与税は廃止する。一定額の課税控除を設ければ、高齢者の手元で塩漬けになっている資産が若年層に移転する。若年層は社会保障が「積み立て方式」になることで無用な将来不安を持たなくなるため、活発に消費するようになる。資産が移転することで金融資産課税の徴収額は減るだろうが、消費が活発になることで税収は上がる。税収の一部を積み立てに補填する。

積み立て不足がある程度解消されたら、年金事業は民間に売却する。人員も含めて民営化し、政府機能をスリム化する。売却益は国債の償還にあて、国債利払いの軽減を図る。社会保障も民営化出来るものは民営化して、国債を少なくしていく。年金も保険も自動車保険の自賠責のような仕組み(強制)と希望者が入る二本立てにするべきだと思う。

2011年2月13日日曜日

エジプト ムバラク大統領失脚の捉え方

エジプトのムバラク大統領が9月の任期まで辞任しないという会見から一夜にして逃げる様に辞任した。民主化が成就したかの様な報道や中東や北アフリカ地域の独裁あるいはイスラム政権への影響などが取り沙汰されている。しかし、この政変にそういうポジティブな評価を単純に下すのはどうだろうか?

「極東ブログ」で指摘されているように、ムバラク大統領が全権を軍に委譲したことは、軍事クーデターであり、その軍と繋がりの深いアメリカが今回の政変を支持したのはエジプトの政治的態度が従来からは変わらないという確信があってこそだろう。イランが「民衆活動」としてのムバラク辞任を支持したのはアメリカから主導権を奪うためで、軍と反ムバラク民衆との離反を狙ってのことだろう。しかし、余程のことがない限りこの政変がイスラム革命に繋がることはないだろう。

軍の管理下におけるデモとそのデモを背景にムバラク独裁を軍が転覆したというのが今の状態であるなら、これが本当の民主化に繋がる保証はない。つまり、今回の政変が示したのは相変わらず中東や北アフリカでは軍が最強の政治的プレーヤーであり、これから幾多の民主化プロセスが踏まれるが、そう簡単な話ではあるまいということだ。

2011年2月3日木曜日

「八百長」を今更認める協会と国の欺瞞

大相撲の八百長問題が取り沙汰されている。部屋内での死亡に至ったいじめ、野球賭博に続きやっと本丸の「八百長疑惑」に手がかかった。

「ヤバい経済学<http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A4%E3%83%90%E3%81%84%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6-%E5%A2%97%E8%A3%9C%E6%94%B9%E8%A8%82%E7%89%88-%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%B3%E3%83%BBD%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%88-%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%B3%E3%83%BBJ%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%96%E3%83%8A%E3%83%BC/dp/4492313788>」

では大相撲のことが分析されている。

「勝ち越しが決まっている力士(A)とあと一勝で勝ち越し出来る力士(B)が当たったときの勝敗は、(B)の方が有意に勝率が高い」

というのがその統計的な分析結果です。このことから導き出されるのは、優勝争いに関係が無く、昇進や降格に関わる勝ち越しを決めた力士が、昇降格の線上にいる力士に勝ち星を売る八百長があることだ。

数字は嘘を言わない。

しかし、八百長の存在自体は週刊誌などで報じられ、協会は勿論、NHKだってマスコミだって、文科省だって承知のこと。

それにほっかむりしてきたことに問題があるのだ。

僕は、個人的な意見としては、「興行」であるのだから演出としての八百長はあるだろうし、否定は出来ないと思う。しかし、現在の相撲の興行が演出よりももっと真剣な「力比べ」である以上、また様々な格闘技やスポーツが真剣勝負を前提として人気を博している以上、「八百長」が起こりうるシステムを改めなければいけない。「番付」や「横綱の格」といったものは様式美としては美しいが、それは興行相撲として別に残し、真剣勝負の大相撲は手を抜くことが許されない試合システムにしなければいけないのではないだろうか。

2011年1月30日日曜日

菅政権を襲うたくさんの危機

菅首相は「たとえ支持率がゼロになろうとも」「石にかじりついてでも」総理の座から下りないと言っている。ただ、菅政権の支持率は民主党の支持率に影響を与えるので、さすがにゼロになったら与党からも圧力がかかるだろう。もしかしたら与党から賛成者が出て不信任が可決するかもしれない。

菅首相は予算関連法案を人質に野党を引きずり出そうとしているが、野党は是々非々であたるべきだ。菅首相には、有権者は協議に応じない野党を支持しないという期待を持っている。これはある程度実現するだろうが、それによって形振り構わない政治姿勢が認められれば支持率は急降下するのではないだろうか。

すると4月危機よりも予算成立後の5月や6月の危機もあるのではないか。

2011年1月27日木曜日

韓国は日本や中国よりも強い「学歴重視社会」をどの様に乗り越えるかが問題だ

日経ビジネスOnLineの記事より

記事要旨
1)韓国の国立大学KAISTの1年生が「成績が良くない」ことを悲観して自殺したことが社会問題となっている。
2)KAISTは成績が落ちるとその分高い授業料を払うことになっていて、高い場合は1,600万ウォンにのぼり、年収の三割を越す。
3)普通高校を出る学力がないとKAISTの授業にはついていけず、高い授業料を課せられ辞めたり、自殺を選ぶことがある。
4)官奴出身の朝鮮中期の科学者であり発明家として大活躍した蒋英実の様な人材はKAISTの様な制度では現れない。世宗大王が彼を抜擢したように、可能性を高めるような選抜方式が韓国には必要ではないか?

先に結論を言えば、仮にKAISTの様な「懲罰的学費」をやめて、経済的負担がない条件にしたとしても、成績を苦に自殺をする韓国の若者は減らないと思う。それは記事の中にある「ヤンバン(貴族)出身で、科挙を合格して」という歴史にある。この記事では詳細に解説されていないが、「ヤンバン(貴族)出身で、科挙を合格して」というキャリアパスは説明としては不正確である。当時の制度では科挙を受験する資格は貴族出身であることと科挙の受験資格がその家にあるかということの二つである。
受験資格が「家」に付与される上に、二代続けて科挙に合格できないと科挙の受験資格が剥奪されてしまう。つまり、貴族であっても下級貴族に転落してしまうことになる。受験資格の再交付はないから、一度転落したら再浮上の目はない。あるとすれば、その家の子女が後宮に上がって皇帝のお眼鏡に適うことである。
今は親の成績が悪いから大学を受験できないということはない。しかし、親の学力や出世と子どもの学力の相関は単純に信じられている上に長年にわたる「学歴重視傾向」が社会全体に良い成績を取らないといけないというプレッシャーを与えている。更に、それが「家」の名誉につながるために、簡単にはドロップアウト出来ない。授業料が安くなっても同じで、「良い成績」が「良い人生」や家の繁栄につながるわけだから、そう簡単に激烈な競争はなくならない。
「家」を重視したり、集団圧力が高いのは日本も同じだが、日本では江戸時代ですら武士・商人・農民の間の身分移動は行われていた。身分の低い人材の抜擢も度々あったので、学歴重視と実力重視がない交ぜになっている。しかし、韓国社会は「学歴」だけが重視されるので、こんな悲惨なことになる。
更に、成績のちょっとした差にも敏感だし、経歴上の傷は長く残る。韓国人の中での差別は激しく、北朝鮮からの脱北者や在日韓国人は韓国では差別の対象になる。同じ様に、普通高校の出身者は如何に「天才」と褒め称えられようと、いや天才と言われるからこそ激しい差別に晒される。

この宿痾を乗り越える明るい未来はあると思う。昨今の韓国人の海外留学は学歴秩序を崩壊させつつあると思う。世界に乗り出した韓国人が学歴には意味が無く「何をなしたのか」あるいは「何をなすことが出来るのか」が重視されるのだということを広く認識しはじめている。逆に元々学歴偏重ではなかった日本の方が、学歴にどんどん擦り寄っている気がする。

2011年1月25日火曜日

「一人ひとりを包摂する社会」特命チーム って恐ろしい…

菅首相官邸ブログで面白い提案があったそうです。

「第12話【孤立】「一人ひとりを包摂する社会」特命チームスタート!」
http://kanfullblog.kantei.go.jp/2011/01/20110119-3.html


「包摂」という言葉はマル経用語なんですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%85%E6%91%82

<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%85%E6%91%82>

Wikipediaの解説より引用

「経済・社会は、捨象して抽象化することが可能な人間相互の関係である。他方、現実の経済・社会は、自然科学の法則を合目的的にシステム化した技術、生物としての人間、自然環境、空間など、さまざまの外生的な存在を取り込まない限り存続することができない。
これらはいずれも、自然的存在であって、自然科学が究明する独自の運動法則をもつ統一体である。経済や社会は、このような自然的存在のうち有用な性質だけを取り込んで(包摂して)活用しようとするが、自然は統一体として存在しているのであるから、有用な性質の包摂は、同時に、経済・社会にとって障害となる要素も同時に包摂せざるを得ないことを意味する。その結果、この障害となる要素が、経済・社会にさまざまの否定的帰結をもたらす。これが、経済・社会にとって外生的なものの形式的包摂(formal
subsumption)である。
そこで、経済・社会の主体は、この自然の存在が障害をもたらさないように、この自然存在を作り変えなければいけない。これは、経済・社会による人為的な自然の生産過程である。人為的自然が適切に生産されれば、形式的包摂に際して存在していた障害は消滅する。これにより、経済・社会は、外生的な自然を実質的包摂(real
subsumption)したことになる。」

これを「人」に適用するのですか。経済・社会の外生的存在となっている「孤立した個人」を社会に取り込むが「一人暮らし高齢者、児童虐待、不登校、DV、離婚、貧困、非正規雇用、孤独死、そして自殺」という『障害』も取り込んでしまう(=形式的包摂)。だから障害が起こらないように「孤立した個人」を社会に適合するべく『作り変えないと』いけない(=実質的包摂)。

おお!恐ろしい。『再教育』ですか。収容所思想ではないですか!
もしかしたら、「孤立した個人」に適合するように社会を作り変える気かもしれません。
それまた恐ろしい全体主義ですね。