この経営陣の混乱を社員はどう思っているのだろうか?新聞にはペンタックス社員の気持ちは載らない。経営に影響力がないとはいえ、ペンタックスの付加価値を生み出しているのは社員だ。統合するにしろ、しないにしろ、その後に社員が残らなければペンタックスの価値なんて貸借対照表に載っているだけのものでしかない。
HOYAがTOBを仕掛けるならば、ペンタックス社員にアプローチした上で早くやった方が良い。これ以上揉めるようなら、徹底的に買いたたくべきだろう。
IT系と政治関連の事件を中心にコラム風に書いています。趣味は舞台、だけど最近は殆ど観てないな~。
この経営陣の混乱を社員はどう思っているのだろうか?新聞にはペンタックス社員の気持ちは載らない。経営に影響力がないとはいえ、ペンタックスの付加価値を生み出しているのは社員だ。統合するにしろ、しないにしろ、その後に社員が残らなければペンタックスの価値なんて貸借対照表に載っているだけのものでしかない。
HOYAがTOBを仕掛けるならば、ペンタックス社員にアプローチした上で早くやった方が良い。これ以上揉めるようなら、徹底的に買いたたくべきだろう。
統計は大体遅れるので今の状況との乖離があるかもしれない。しかし、ここ数年日本経済はM&Aや株式市場にばかり気を取られ肝心の生産力をないがしろにしてきたのではないかと考えさせられた。特に、「卸・小売業や運輸などの生産性が米国の五割以下」というのは衝撃的。中小企業が生産性を引き下げているらしい。大規模小売業向けの物流業に身を置いてみると思いがけずアナログなことに愕然とさせられる。
だが、逆に言えば、これらサービス分野ではIT化による生産性の向上が可能ということでもある。数年前に比べIT化のコストも下がった。今、表立って効果の見えにくいIT投資の決断をすることが求められる。
自民党の山崎拓と加藤紘一の二人が中韓訪問を検討しているらしい。この二人は小泉前首相と共にYKKなどといわれ次代を担う政治家といわれたが、山崎拓は小泉に飼い殺しにされ、加藤紘一はクーデターに失敗して下野した後復活した。時代は彼らの世代を通り過ぎて、安倍氏の世代に。夢よもう一度とばかりに存在感を示したいのだろうが、老害の謗りは免れない。
小泉前首相は表舞台から姿を消した。前例を考えると潔さが際立っている。選挙民の気持ちに沿ったものだろう。大衆政治家と言われた彼らしい。山崎拓と加藤紘一はそれが分からないから負けたのだ。昔なら長生きした政治家はそれだけで上り詰めるチャンスがあったが、今は時代が変わったと思うのだが。
三井物産とモスの二社が生鮮野菜の物流網にICタグを活用して効率化を図るという話。
半年ほど前までICタグ業界にいた。このニュースに接して、ICタグの利用は「付加価値が高く、モノの情報価値が高いところ」に活用のチャンスがあるのだと思った。
モスは生鮮野菜の産地などの情報管理に苦労していた。このソリューションではその情報がモノと一緒に流通するので、管理が楽になる。また、モノはいったんモスの物流センターに入るので、そこで情報を収集することが出来る。
この様に、ICタグはモノと情報の価値が高いところでしか有効ではないだろう。だから、電子マネーでは有効に使われるのだ。すると、高価なアクセサリーや芸術品につけるというのもいいかもしれない。
教育再生会議の第一分科会で教育予算の配分に「成果」や「実績」を考慮する素案が提出され、議論された。学校選択制を前提して、特色ある実力校に多くの予算が分配されることになる案だ。分科会メンバーが「教育にもコストパフォーマンスを上げる仕組みが必要」と発言したことで、反発が予想されている。
だが、待てよ。教育予算の原資は税金だ。国民が汗水たらして働いて、会社の人事担当者が税務署の代わりにだだで徴収して国庫に収めた貴重なお金だ。それを効率良く分配して何が悪いのだろうか。
公共工事の談合はいけなくて、教育予算配分の談合はいいのか?違うというなら予算折衝をするべきだ。教育は効率一辺倒ではいけないという意見もあるかもしれない。じゃあ、その理由は?日本の将来を担う子供を預かっているから?でも、公共工事も国民の安全や利便性を確保するためのものだろう。無駄な工事が問題だというなら、無駄な教育はないのか?
この取り組みは教育の結果を「見える化」することがポイントだ。その結果、教育予算が削られるとしたら、それは教育のやり方が悪かったのだろう。
こんなことより、教育の質を計る基準についてもっと議論を深めるべきだ。将来、社会で必要とされる人物像を生み出す教育の質を何によって計るのか。志望者数、競争率、進学率、全国模試の成績、生徒の学力向上の度合いなど考えてみれば色々とあるはずだ。納得性の高い基準を示して欲しい。
確かに、メディアは権力の監視を期待される。権力が民意と乖離していないかを、報道を通して事実を知らしめることによって権力者に突きつけるのだ。そのメディアが権力に監視されることは許されないというのが主張の様だ。
だが、このマスコミは一体何によって監視されるのだろう。監視というのは、「する」側と「される」側が同等の力を持っていることが必要だ。この場合マスコミは立法と行政と司法に並ぶパワーを持っているということだ。ならば、マスコミを監視する役目はこれら三権が持つべきだろう。
民主主義国家では特に多様な主義主張を公表するための手段が不可欠だ。その手段としてのメディアをテレビ局は特権的に利用している。いくらインターネットが普及したとしても未だに地上波にはかなわない。能動的に情報を取りにいかないといけないインターネットは受動的に情報を受けさせるテレビより影響力は小さい。そのことをテレビ局はもっと自覚しないといけない。
ただ、テレビの影響力は徐々に小さくなっていくだろう。まだ、ブログにしても不完全な発展途上のメディアだ。だが、この数年のウチに壁を越えるサービスが出てきた時に既存のマスコミが変わってなければ、あっという間に置きざりにされることになるだろう。
知事選を象徴したのは東京都知事選だった。あれほどメディアが後押しした浅野氏は大差をつけられて敗退。この選挙はまるで芝居の様。不器用で口下手な剣の達人と口巧者な余所者が戦って達人が勝った。
達人を裏切った友人の登場や芸人や宗教家の狂言回しも加わって華やかな舞台だった。結末には意外性は無かったが見せ物としては良く出来ていただろう。
石原都政は今回の苦境を乗り越えたことで、より強くなる。振り返った時にどう評価されることになるか、都民がどの様に利益を得るか、選んだ者は責任を持って注目していかないといけないだろう。