2008年7月16日水曜日
原油高を逆手にとる
卸業者や小売り業者はあらかじめ在庫を確保したり、休漁対象外の漁船を使って仕入れをして凌いでいる。天候不順による休漁など魚流通には不安定要素は当たり前のことなので多少の休漁で市場が混乱することはないらしい。これは漁業も同じで年間何回かの休漁は織り込み済みなのだ。だから、休漁はデモンストレーション以上のことはない。赤字の発生は確かだろうが、原材料価格が上がったから操業停止で補填を求めるのには疑問を感じる。
魚の末端小売り価格に占める漁業関係者の手取りは24%。更に燃料代はと言えば全体の数%といったところだろう。燃料価格が三倍になっても末端小売り価格は1割程度の値上がりに止まる。だから、燃料価格は大きな問題ではない。
24%の漁業関係者の手取りという小さな部分ではなく残りの76%に目を向けるとこれは流通経費ということになる。何故こんなに流通にお金がかかるかを問題にした方が建設的だ。
流通経費の大きさは『激安すし店』が出来る理由でもある。大抵の場合、彼らは魚を流通業者からではなく直接漁船から買い付ける。これで流通経費を半分以下に抑えているとすれば、魚の価格は小売り価格の半分位になる。『激安』の理由は他にも職人の働き方や機械化などにもあるが、流通経費を大幅に抑えることが可能だという証拠には充分だ。
ならば、燃料価格高騰のこの機会を捉えて流通構造自体を見直してみてはどうだろうか。多段階になっている流通構造をシンプルにして小売り価格が下がる様にして、漁船の原価がもっと小売り価格に反映されるようにすればいいだろう。
『魚離れ』を漁業関係者は嘆く。しかし、魚が売れないのは食生活が肉食中心になったからではない。単に毎日の食卓に魚を出すのは値段が高くて出来ないというだけのことだ。
今回の燃料高を逆手にとって魚の流通構造を変革し、抜本的な改革につなげて欲しいものだ。
2008年7月15日火曜日
サブプライム危機第二弾
最終的にはアメリカ政府が資本注入をするということになるのではないだろうか。国民の税金を金融会社保護に使うのは批判が集まりそうだが、危機の原因になっている不良債権は多くの国民のものだ。それなら税金によって広く国民に負担を求めるというのは不思議ではないと思うのだが。
玉虫色は誰も幸福にしない
結局、教科書への記載ではなく指導要領の解説書に「日韓に領土問題がある」という表現になったらしい。韓国政府は「深い失望と遺憾」を表明し抗議している。竹島が属する島根県では県議の超党派のグループが明確に日本の領土として記述されないことに反発している。日本政府は韓国大統領の就任に配慮して時期をずらして解説書への記載に留めたにも関わらず国内外から批判を受けている。
解説書への記載では関係者の全てが不満を感じているということだ。誰もが幸福にならない決定などしない方が良い。日本政府は隣国の大統領に幾分かの配慮はするにしても、竹島領有を明確に主張すべきだったろう。竹島に対しては主張の根拠は別にして双方に言い分がある。その言い分は交渉のアンカーであり、互いの依って立つところだ。それを安易に変えてはいけない。不誠実に映るからだ。
国民国家にとって領土問題は忽せには出来ない。北方領土問題も中国や台湾との問題も同じことだ。互いの信ずるところの主張から対話は始まる。
2008年7月11日金曜日
仕事ってナンだろう?
仕事に対する価値観は多様だ。
時間換算をする人
アウトプットベースで考える人
組織のパフォーマンスを指標にする人
…
どんな働き方をしても、全ての人が等しく報われる様にしたいものだが、それは難しい。少し前に「成果主義」というのが流行った。アウトプットベースで評価するというやり方だ。上手くいってる会社もあれば、失敗したところもある。
失敗の原因は評価方法だけ変えて、働き方を変えなかったからだと思う。時間換算の働き方でアウトプットベースの評価は出来ないだろう。同じ会社でも時間換算の働き方とアウトプットベースの働き方が混在していると厄介だ。これは仕事に対する価値観が違うってことだから。
昭和初期まで日本には『サンガ』と呼ばれる山間部で狩猟や道具作りを生業とする集団がいたという。里人とは物々交換をする以外は決して交わらなかったそうだ。これは一つの知恵だろう。
農業は農作業にどれだけ時間をかけるかが重要だ。だから、サボることなく全員が労働力を提供する。しかし、狩りや道具作りは時間ではなくどれだけ獲物を穫り、道具を作ったかが重要となる。
だから、決して一緒には働かなかった。
同じように、仕事に対する価値観が会社と違うならば、そこで働き続けることは不幸だ。
皇居のタヌキ
「タヌキの論文を天皇陛下が共著」
天皇陛下が皇居に生息するタヌキの生態を調査して論文を発表したのだそうだ。東京のド真ん中にタヌキが野生の状態で生きているとは知らなかった。航空写真などで見ると開発されまくった東京23区の中で、皇居だけが取り残された様に緑を保っている。少し離れて明治神宮の杜があり、昔ながらのね習俗が緑の維持に一役買っていることが分かる。
戦前に皇居を中心として点在していた緑は多くは宮家の敷地だった。江戸時代は御三家や大大名の屋敷。戦時下の混乱と戦後の宮家の廃止の中、かの堤義明の父親が敷地を買いあさりホテルを開発し、江戸時代から明治大正昭和初期を通じて守られた東京の緑は多くがコンクリートとアスファルトで埋められた。
世界でも、王族の邸宅が煌びやかさより自然との共生を体現しているのは珍しいと思う。日本人の心性は便利さより自然への畏敬が基にあるのだろう。僅かに残された居住スペースを有効に利用したり、狭い中で工夫して産業を興すのはそれがためだと思う。
無用な公共工事や山林の放置は"日本人らしさ"がない話だと思う。