日経新聞の30面にいわゆる"BC級戦犯"裁判の特集が連載されている。今日の記事は戦時中に毎日新聞が掲載した「百人斬り"超記録"」という記事に基づいて死刑となった二人の少尉の話だ。戦意高揚のために裏付けもないヨタ話が記事となり、裁判では"証拠"となったのだから驚く。判事はよっぽど真面目だったのだろう。
しかし、真面目な判事は日本刀で本当に100人も斬れるかは確かめなかったらしい。記事にある関孫六のような新刀は細身なので直ぐに刃こぼれして斬れなくなる。毎日研ぎに出して切れ味を保たなければいけないが研ぎ士が同道したという話はない。
これだけでも普通ならヨタ話で終わりだが、記事は最後の方で「据え物斬り」なら100人斬りは可能だと言っている。(記事は「可能かもしれない」と書いている。裏付けのない新聞記事で断罪されたことを書く記事で重要な部分を更に裏付けのない推論で書くのは記者が可能だと思って書いているということだ)たとえ据え物斬りだとしてもたった1本の刀で100人も斬ることは出来ない。そもそも、据え物斬りでは「競争」にならないではないか。この記事は様々に証言に迫りながら結局は裁判は正しかったと言っている。
記事は最後に「戦闘中の殺戮行為」が訴因であり証拠である"記事"で書かれていることなのに、判決が「捕虜や非戦闘員の殺害」に置きかえられたことを取り上げて「この点では粗雑と言わざるを得ない」と書いている。渋々といった感じだ。だが、この一点をもってこの裁判は「全てにおいて不正だった」というべきだ。
記事はこの粗雑な裁判が「戦犯裁判報復説」に格好の材料を提供したと結ぶ。「戦犯裁判は報復ではないが、こういういい加減なものがあるから他のものまで疑われてしまう。困ったものだ」という言い方のように感じる。
もしそうだとすれば、この特集には最初から予断が含まれている。特集が証言や裁判記録から裁判のあり様を検証しようと言うのであれば、この予断は排除されないといけない。そう、この記事は「証言や裁判記録を法律に照らすと、この裁判は不正であった」というべきなのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿