2009年6月20日土曜日

必要な仕事か?

日経新聞 6月20日 朝刊 39面
「農政職員56人処分 在庫データ捏造 謝礼・旅費の着服も」

横領である。企業なら懲戒解雇なみの処分が下るだろうが、そのことはおいといて…。この仕事、必要か?と思う。

米や麦の在庫量を調査するのは何のためだろうか。食糧流通の統制は行政にとっては大切なことらしい。曰わく、

「食糧流通量が減ると価格が上がって市民が困窮する」
「食糧流通量が増加すると価格が下がって生産者が困窮する」
「流通業者の中には買い占めなどで不当に価格を釣り上げようとするものがいる」

流通量によって価格が上下するのは自然なことだ。何でもそうだが価格は流通量を調整する制御弁であり、生産量を調整する制御弁だ。その制御弁を固定化し、流通量や生産量に自由度を与えないと需要の増減に供給が対応出来ず、不足したり過剰になることが頻発する。なぜなら、供給は規制によって統制出来るが需要は出来ないからだ。
だから、流通統制を国家が行うとその業界の商材は途端に魅力を失う。だから、流通統制などせずに自由化した方が良い。自由化すると買い占めなどがおきて社会生活に影響があるというのは雰囲気として、というところであり、実証的ではない。
仮に、買い占めが起きたとしても、あまり心配することはない。物資の移動や情報の伝播に時間とコストがかかった時代には、流通チャネルが限られたために買い占められると他に選択の余地がなくなり消費者が被害を被った。
だが、今やものも情報も低価格で移動出来るようになり、消費者は容易に購買先を変えることが出来る。だから、買い占めは無意味だし、買い占めを無意味にするほど自由な流通が確立していれば心配ない。生産にしろ流通にしろ、自分達の仕事がなんら付加価値を生んでいないことに早く目覚めるべきだろう。

臓器移植法改正

「臓器移植法改正案」が衆院を可決した。自民・民主ともに自由投票とし、議員にとっては、自身の哲学をかけた投票となった。推進派反対派双方に言い分があり、なかなか難しかったろうと思う。

自分や自分の家族が提供者になると考えると複雑な感情が芽生える。だが、直観的には良かったと思う。救える命が増えることは「より正しいこと」だ。

人を臓器の培養装置の様に「資源化」して良いのかという意見がある。海外では臓器売買に伴う犯罪もあるというし、慎重を期すべきことというのも理解出来る。犯罪を誘発する様なことをして良いのか。悩みどころだ。

TBS「スマイル」感想

昨日の「スマイル」は神ならぬ身が何を基準に判断を下すのかということについて考えさせられた。差別を受けて追い詰められた人が、愛する人を得て、その人を守るために殺人を犯してしまった。

ドラマを見ている方は全てを知っている。いわば神の視点を持っているが、裁判員にはそれを見通すのは無理だ。そういう立場になった時にどうやってベターな判断を下すのか。量刑は正しく判断出来るのか。

裁判員制度が始まったこのクールでは、裁判員をテーマとしたドラマが相次いだ。全てを見ている訳ではないが裁判員制度の負担を取り上げるものが多い。だが、現実には無責任を決め込む人も多いだろう。あまり意見を言わず、他の人の意見に流されるままという人が多いだろう。ベターな判断を下すのはますます困難になるかもしれない。それでも思うのだ。優秀な人が一人で判断を下すよりも、多くの人が苦しみながら判断し、その過程で社会が学びを得ることの方が、神ならぬ身にはふさわしいのだと。

2009年6月19日金曜日

業界消失

総合電機メーカーという呼び方がある。日立、東芝、三菱電機の3社を指す。総合家電メーカーというとパナソニック、三洋電機、シャープのこと。総合エレクトロニクスはNECと富士通。それぞれに業界を形成し、しのぎを削ってきた。

だが、今やこれらのメーカーを一括りに「〜メーカー」と呼べなくなった。東芝は半導体と原子力発電に資源を集中している。三洋電機は電池に集中し、シャープと言えば液晶だ。富士通は情報機器の製造販売からシステム開発やソリューション提供に傾く。
いずれも得意な分野に資源を集中して総合の看板へのこだわりを捨てている。この数年で、企業それぞれの戦略が大きく変わってきた。同じ業界で右にならえで成長出来る時代はとっくに過ぎてしまい、同業と言えない程に企業は変貌を遂げてきた。特に電機業界は様変わりした。
週刊ダイヤモンドの特集は「百貨店」だ。ここ数年の合併で大きくは4グループに集約された。ただ、それぞれで戦略の方向性は大きく違う。高級さを維持してこれまでの物販中心からサービスに商材を変えていくところ。文化事業で集客を図ろうとするところ。徹底的な合理化を進めるところ。扱う商材の構成も店舗の基本構成も大きく違う百貨店が出てくるのだろう。

今はまだ百貨店という名称でつながっている業界も近いうちに消失するのだろう。ショッピングモールとの違いが分からなくなり、食品売り場も高級スーパーと同じになってくると全て「大規模小売店」とおおざっぱにまとめるしかなくなるかもしれない。

低価格ブランドがますます増える

「ナルミヤ、低価格ブランドを百貨店向けに投入」
http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20090619AT1D180BQ18062009.html

「子供服大手ナルミヤ・インターナショナルは8月末、主力の百貨店で低価格の新ブランドを投入する。女子小中学生向けで従来より30〜60%安い。百貨店でも消費者の低価格志向が強まっていることに対応する。大人と同じように最新の流行を取り入れ、ファッションに関心を持ち始める10代女子に売り込む。」

年頃の娘をもつ家庭には嬉しいニュースだ。昨日の投稿でも書いたが(http://blog.goo.ne.jp/kenta_f0219/e/cae7d0c02226e39836f717bd98b2294d)、日本の小売商品の価格はこれまで給与所得者の歪な所得曲線によって高めに推移してきた。日本のサラリーマンの給与水準は20〜30代は低く、40代以上は高くなっていて、所謂団塊世代が多い時期には総所得が高いため消費も旺盛であった。団塊世代が40代になると企業はそのコスト増に対してより高価格な商品を次々と世に送った。だが、そんな高価な商品は売れなくなり企業業績が傾きだす。勿論、バブル崩壊という事件もあったが、それも団塊世代の高給に支えられていたのだから歪さがゆり戻されたときに企業業績が悪化することは目に見えていた。企業は次々と給与水準の見直しをはかり、よりフラットな給与体系が出来上がった。
この給与体系は40代の期待された収入を押し下げることになり、一気に消費は冷え込みバブル崩壊の余波が長引く結果となった。しかし、企業はそれに反応して商品価格を調整し始める。それはデフレといわれたが、実は適正価格への調整だったと考えるほうが妥当だ。百貨店は歪な給与体系の恩恵を全面的に享受した。そのため給与体系が是正され、小売価格が適正に調整されるとこれまでのマーチャンダイジングでは全く商品を揃えることが出来なくなってしまった。

ナルミナの選択はそのことを考えると正しいのだ。逆に今までの全ての価格を見直したものが勝ち残るということなのだと思う。

ジャストシステム社長交代

「ジャストシステム社長交代 浮川社長は会長に」(IT Media)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/19/news012.html

「ジャストシステムは6月18日、福良伴昭常務が代表取締役社長に昇格する人事を発表した。浮川和宣社長は、代表権のある会長職に就く。」

福良氏と言えばジャストシステムが現在の「一太郎」の前身である漢字変換ソフトを開発する際にアルバイトとして入社し、その後社員となってからずっと同社の製品開発を牽引している人物。入社当時歯学部の学生だった福良氏をジャストシステムに入社させるのにあたって浮川氏が福良氏の父親に頭を下げたという話しを聞いたことがある。

一太郎の存在は特異である。マイクロソフトのワードが全盛を誇る中で、日本語ワープロ、日本語文書の作成で未だにビジネスシーンでもファンは多い。また、日本語変換のノウハウは今では多くの携帯電話に導入されていて、意識しているいないに関わらず殆どの日本人は同社の「ATOK」を利用している。10年ほど前からは日本語の全文解析などビジネスインテリジェンスの分野にも進出し、「日本語」に拘ったビジネス展開を図っている。

地方でオフコン販売とシステム開発をやっていた小さな企業が強みを作り出して徹底的に研究してここまで大きくなってきた。これまで集中的に資源を投入して成長してきた同社が更に成長を遂げるには、この強みを梃子に広くITソリューションを展開していくことになると思うが、この段階に来て経営の若返りを図るというのは時期的にも良い選択だろうと思う。福良氏がこれまで以上に日本語に徹底的に集中投下していくのか、それとも周辺の技術開発に拡大していくのか、その選択が楽しみだ。

ラーメンチェーンの限界

吉野家が多角化の一つとして買収した低価格ラーメン事業から撤退する。基幹事業である吉野家の出店を加速するため経営資源の集中をはかり、不採算事業を見直すことの一環だ。倒産に至ったラーメン一番の営業譲渡をうけ展開したが営業赤字解消にはいたらなかった。

ラーメン、特に低価格ラーメンというのは食事という位置付けなのだろうか。それよりもラーメンはスナックに近いのかもしれない。最近流行りの「本格」ラーメンは価格も1000円に近く、豪華で栄養も満点(バランスはどうかと思うが)。でも、低価格ラーメンはそれより軽い「小腹を満たす軽食」やスナックに近い。

"食事"である牛丼の吉野家が"スナック"である低価格ラーメンに参入し、その特性にアジャスト出来なかったのだろう。市場環境が許せば時間をかけてノウハウの蓄積が出来たのだろうが、時期を逸してしまった。今後、ラーメン事業の営業譲渡などをするかどうか。撤退したラーメン事業店舗のアルバイトやパートはグループ内の他の店舗に異動して雇用は確保するというが、事業自体の譲渡先は現時点では見つかってないらしい。

ラーメンチェーンと言えば、最も成功しているのは「日高屋」だろう。店舗数も多いが、それでも店舗は創業の埼玉県と東京、関東近県に限られる。ラーメン一番は創業が大阪で10年足らずの間に全国広い範囲に出店を果たしている。意欲的とも言えるが、「Out of Control」:経営者の制御の外になってしまい非効率になってしまったということなのだろう。吉野家は全国展開しているのでエリアマネージャが各所にいるから、それを活用できればよかったかもしれないが、民事再生で傷ついたブランドイメージや出店先大家とのトラブル解消にも時間がとられ、思うようなスピードで改革できなかったのだろう。

ラーメンに限らず、チェーンの展開というのは人の育成と密接なかかわりがある。日高屋は狭いエリアで集中出店(ドミナント戦略)することによって、食材の配送などの効率を上げると共に、各店舗をマネージャがキメ細かにフォローすることで成長してきた。実は吉野家なども同じだ。それを無視したラーメン一番にはいずれこういう最後しか待っていなかったのかもしれない。