2008年5月7日水曜日

パンダよりも大事なことがあるだろうに

手みやげのパンダ「日中友好のシンボル」 胡・中国主席

胡主席は夕食会の席上、4月30日に上野動物園のパンダのリンリンが死んだことについて「大変残念だ。パンダは日本の皆さんに大変人気がある。日本国民の リンリンへの気持ちを理解している」と述べ、パンダの提供を提案。福田首相は7日の首脳会談の冒頭で「日本国民に対するプレゼントをうれしく思う」と重ね て謝意を表明した。

パンダ外交といわれるカードを切ってきた中国。その見返りなのか、

日中共同文書、「人権」巡り表現調整 チベット念頭に

共同文書ではチベットには直接言及せず、一般的な表現で、アジアや世界で大きな役割を担うようになった両国が国際社会の普遍的価値を共有するとの意思表示をする方向だ。

と腰砕け。更に、

歴史問題では、戦争や侵略に対する日本の「おわび」や「反省」は盛り込まず、歴史を踏まえた未来志向の表現とすることで合意。「戦後日本の平和国家として の歩み」への前向きな評価が明記される見込みだ。この表現は、06年の安倍前首相訪中時の発表文書でとられたが、両国関係の基本原則をうたう共同文書に記 されるのは初めて。

と、「過去との決別」をうたう。

しかし、と思う。歴史問題はそもそも日本の国内問題に端を発する。日中間の戦後保障は両国間で取り決めが既にあるはずだ。だから、戦後の補償は終わってい ると両国は認識するべきだ。日本からも中国からも今後ともこの話題はするべきではない。一点残るとすれば、戦後補償は日本と中華民国との間で結ばれたもの であるから、中華人民共和国との間には補償が結ばれていないと主張することも出来る。だが、共和国は民国の存在を認めておらず、その版図を含めて自国の領 土であると主張しているのであるから、民国に対する保障は共和国に引き継がれているものと考えてよいだろう。共和国がこの部分で補償を主張すれば、それは 民国すなわち台湾を独立国として認めることになってしまう。
人権問題は共同声明に盛り込むことが出来なければ、玉虫色の宣言などはしない方が良いと思う。そもそも、人権問題は「国民に対する国家としての責任の取り 方」の問題であり、それが日中間で隔たりが大きいのであれば無理に共同声明にすることはないのだ。例え、チベット問題に絡めて共同宣言を取り交わせたとし ても、それほど実効性のあるものとはならないだろう。

パンダが贈られて、みんな嬉しいと思うのだろうか?日中の友好関係の「結果」としてパンダが日本に来るのであれば別だが、逆に日中友好を促進する「契機」 としてパンダが贈られるのであれば、それはパンダにとっても不幸な話だ。パンダにせよ、オリンピックにせよ、外交と無関係ではいられないが、だからこそ安 易に受け入れると外交上の弱点となりかねない。パンダを左手に右手で握手を求めるような外交に日本も乗らないで欲しいものだ。

0 件のコメント: