2009年6月30日火曜日

全体主義

SAPIO誌上で小林よしのり氏が沖縄・北海道を「全体主義」と指摘している。沖縄・北海道在住の人はもとより、論壇からも批判があるそうだ。だが、沖縄や北海道など辺境の地が全体主義になるのは当たり前であろう。

梅棹忠夫は「文明の生態史観」で彼が言うところの「悪魔の巣窟」=中央アジアから出てくる遊牧民に脅かされた中国・インド・ロシア・イスラムは彼らに抵抗する為に中央集権の帝国を建設するしかなかったと言っている。民族や国家、コミュニティーの存続が脅かされる時の人の反応がおしなべて中央集権的に、全体主義的になることの証左であろう。現代にあっても存続の危機に直面している国や地域は全体主義的になっている。中国とロシア・イスラムは伝統的に全体主義で、東ヨーロッパも混乱が続く中で全体主義的になる。インドは揺らいでいる。全体主義から最初に脱するのはインドなのだろう。

最大の全体主義国家はアメリカだ。アメリカは集団が自然発生的に出来上がった国ではなく、理念や宗教に基づいて人工的に建設された。だから、その建国の理念が崩れると瓦解するのだ。だから、その可能性に怯えて常に理念を確認し、互いのアイデンティティを確認しあう。それが全体主義の相を形成するのだ。

沖縄と北海道は地理的に国際紛争の最前線になってきた。また、沖縄には日本と中国の間で独立を守る為に緊張した外交を続け、日本の支配下では沖縄の独自性の危機に陥ることが多かった。北海道は入植者のコミュニティーであり、さまざまな事情により故郷を離れて北海道に生き残りをかけた人々の土地だ。

だから、この二つの地域は全体主義的になりやすいし、事実なっているのだろう。全体主義的になってしまったことは歴史の成り行きであり、恥ずべきことでもない。それによって彼らは生き抜いてきた。その事実を認めずに避けて通ることの方が問題である。

国際化時代の現代にあっては辺境であることは大きなアドバンテージだ。新しいビジネスも、新しいカルチャーも、辺境で自然に発生する多様性の中から出てくる。そのチャンスを実にするためにも、全体主義のくびきを脱して多様な意見を許す社会を取り戻さないといけないのではなかろうか。

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