2008年6月26日木曜日

ファシリタティブな日々

ファシリタティブな日々である。

ファシリテータになるのは自然な流れで、その理由の一つは僕が新参者であるということだ。新参者なので過去のいきさつを気にせず「確認」することが出来る。停滞する会議の実に80%は過去のいきさつに対する"見解"や"愚痴"だ。しかし、発言の前提となる"いきさつ"を話さずに言うものだから、他の人にとって唐突になってしまう。そこで聞くと「お前だって知っているだろう」と脱線。だけど僕はその前提がないからいくらでも遠慮なく聞ける。
二つ目は僕には多様な経験があるということ。ベタベタの現場の話から雲を掴む様なビジネスチャンスの話まで理解出来る。その事がメンバーに対する理解に役立っているし、議論を整理するのにも役立っている。
もう一つは僕は議論のただ中で気分を変えることが出来る。議論をしているて「最初に言えよ」という場面がある。それはお互いに思い込みがあったり期待があるときだ。だけど、そういう期待は必ずしも報われれとは限らない。期待を悪い意味で裏切る結果に一々目くじらをたてるものではないだろう。人間は互いに誤解をするというのは僕の考え方のベースだ。だから勘違いがあっても腹はたたない。そのことを指摘してお互いに学習する機会なのだと思う。

だが、、、今の自分の行動がファシリタティブだとは思っていない。僕はファシリテータとしては気が短すぎる。独断的に事を進めすぎる。その点が欠点なのだと思う。