2007年7月4日水曜日

クールビズの実際

7月に入り、クールビズが各社で本格的に始まったようだ。明らかに半袖ノーネクタイのサラリーマンが増えて来た。かくいう僕も7月からスーツは止めている。

半袖ノーネクタイ姿のサラリーマンを観察しているとクールビズって何だろう?と首を傾げたくなる。殆どは今まで着ていたであろう夏用スーツに半袖のワイシャツを着てネクタイを外しているだけだ。

スーツというのはネクタイで胸元を締めて完成するファッションだと思う。だから、ネクタイを外しただけだと不完全なだらしなさを感じさせる。また、スーツのジャケットは袖からワイシャツのカフが覗いていないと格好がつかない。つまり、クールビズが格好悪いファッションにしかなってないのだ。

クールビズでスーツスタイルをするのであれば、スーツの生地は麻で色味も明るい爽やかなものにしたい。胸元は細めのものやアスコットタイで軽めに飾って欲しい。ワイシャツはスーツスタイルならば長袖だ。生地に涼しげなものを使って暑苦しさを除きたい。

年長者や上位職はスーツスタイルとしても、若い人などはもっと砕けたスタイルでも許されるかもしれない。年長者も若者も休日の格好というのは止めて欲しいものだ。

2007年7月3日火曜日

久間防衛相が辞任、「原爆発言」で引責

久間防衛相が辞任、「原爆発言」で引責

これ以外にも沢山記事が出ているけど、全部ピックアップするのも疲れるのでこの記事だけ取り上げる。

この問題は「政治家の発言の軽さ」それに尽きる。

釈明しているように「アメリカの理論」は久間氏の言う通りだろう。あの国はいつも自分が「正義」だと思っている。詭弁を弄するのはお手の物だ。しかし、アメリカが日本の非戦闘員を大量虐殺したことと戦後処理の間には何の関連性もない。

アメリカの理論は「日本は自由主義陣営に残れて幸せだ」という前提に立っている。それと、日本は自力では自由主義政治体制を築けない」という侮りだ。

元々、日本は戦中を通じて民主主義を堅守していた。新聞だって発行されていたし、選挙も行われていて首相だって交代している。日本が独裁とかファシズムっていうのは間違った認識だ。その民主主義を明治からゆっくり時間をかけて日本は身に付けてきたのだ。だから、日本がたとえ共産圏の一党独裁に支配されようと早晩民主主義を復活させたと思う。

ソ連をはじめとした共産圏にあった国々は専制体制から独力で民主主義を達成したところはない。それらの国と日本は土台が違うのだ。アメリカは日本が戦前から民主主義であったことは認めないだろう。民主主義=正義=勝者の公式が崩れるからだ。だけど、勝敗は時の運だ。日本は民主主義国家として自立していたが、国力が充実していなかったため残念ながら戦争に勝つことが出来なかった。

アメリカは新興国日本に恐怖して徹底的に衝撃を与えた。非戦闘員を虐殺した。久間防衛正は「アメリカの主張は~~だが、日本の政治家としては我が国を貶めるこの主張には賛同できない。ましてや非戦闘員を大量虐殺した言い訳としては受け入れがたい。しかし、日本政府はこの大量虐殺を含めた戦中のアメリカの行為に対する補償を和平条約によって放棄した。だから、補償については日本政府がアメリカに成り代わって対応する。政府一員という立場を離れ、政治家として日本人としてはアメリカの戦中の非戦闘員の大量虐殺に対しては怒りを覚えるし、許すことは出来ない」と言うべきだった。

公認は小池補佐官だという。選挙までのつなぎという位置づけだろうが、自民党いや安倍首相もここまで来たら思うところを正直に発言するべきだろう。

2007年7月1日日曜日

後に続くものの心得

この間のドラマ「バンビ~ノ!」の最終回の話。

市村正親演じる宍戸鉄幹がバッカナーレを離れどこかに旅立った後、内田有紀演じる美幸と佐々木蔵之介演じる桑原と北村一輝演じる与那嶺が後を任される。店が終わった後、その三人が飲んでいる場面で桑原が「鉄幹がいなくなったときの心構えが出来ていなかった」と反省をしていた。桑原は鉄幹がいない時(ランチなど)は厨房をまかされていたが、完全に自分がリーダーとなって引っ張っていくという心構えが出来ていなかったということだ。

桑原は鉄幹の考えの下で厨房を管理する管理者としては力があっても、自分がリーダーとなって料理に対する理想ややり方を考え(レシピや店の味を考え)それをお客に出すということについては想像していなかったのであわてていたのだ。

次に控えているものは常に後を襲えるように準備を怠ってはいけないということなのだろう。自分はそんな心構えが出来ているだろうか?

Leadership と Followership と 「ワンピース」

ONE PIECEという漫画を読むと「LeadershipとFollowership」について良い例が示されていると思う。

この漫画は日曜日にフジ系列でアニメ放送もされている。主人公は「海賊王」を目指す海賊ルフィ。ルフィには剣豪のゾロ、泥棒のナミ、料理人のサンジ、狙撃手のウソップ、医師で鹿のチョッパー、考古学者のロビン、船大工のフランキーがいる。彼らの間のやり取りはリーダーと部下のあり方について、ある理想的な形が示されているように思う。

ルフィはとても「わがまま」で「理想主義」なリーダーだ。物事の本質を直感的に掴むことが出来る。周囲の状況が目まぐるしく変わる中で、一見すると自分の興味があることにしか力を割かない。それを部下達は文句を言いながら、得意分野の中で各自が対応していく。しかし、とても重要な場面でルフィは決断をしてそれを仲間たちに告げる。例えば、人数も実力も自分達よりも大きな海賊一味をぶっ潰すとか、まだ仲間になる前のナミやロビンに自分から助けを求めさせるとかだ。そして、その決断が如何に困難であろうと仲間達はそれを達成するために全力を尽くすのだ。

決断するまでは色んな意見や文句を言っていた仲間も一旦ルフィが決断をすると一切文句は言わず(愚痴は言うが)、敵を倒す。仲間達はそれぞれの得意分野、強いゾロやサンジは敵の中でも強い相手を次々に倒していく。ナミは戦場を走り回って情報をかき集め、仲間達の戦いをサポートする(時には敵を倒すこともあるが)。ウソップは勇気がないように見えるが、性格は最もルフィに似ている。ルフィの決断の中でも最も激しいものを黙って実行するのはウソップだ。例えば、世界政府の旗を燃やす(つまり、世界政府に喧嘩を売る)などだ。だが、それらは一々相談しながらやるのではない。仲間達が自然と役割分担して敵に立ち向かうのだ。

そして、ルフィは最も強力な敵を受け持つ。最初に敵陣に乗り込んで最後まで敵陣で戦いをする。そして、戦いが終わった後はルフィは仲間達の中でも最も役に立たないし、わがままであっても積極的に仕事をしようとはしない。非常時は先頭に立って戦うのに、平常時には仲間の後について回るという感じだ。リーダーシップというもののある種の理想形がここに示されている様な気がする。

リーダーであるルフィは、①平時は部下任せだが、②非常時には決断するべきときに決断して、③率先してリスクをとる。フォロワーである仲間達は、①リーダーが決断するまでは、様々に意見を述べるが、②決断が下されると従い、③各自の職責を全うする。

これはルフィをはじめとする登場人物の意識が高いことがもたらすことだが、グループやチームの中でのリーダーシップとフォロワーシップというのは、この様に働くべきなのではないだろうかと思った。