2011年7月29日金曜日

「高速鉄道事故」は中国の“あり方”のエポックとなるかもしれない

中国・浙江省で発生した高速鉄道の事故は温家宝首相が「高速鉄道整備において安全性の軽視があった」ことを示唆し、隠蔽疑惑の追求にも言及する事態となった。鉄道省の腐敗や特殊性などが取り上げられているが、首相の事故への全面的なコミットに少し驚いた。過去に起きた事故や不正では、基本的には政府の無謬を主張していた中国共産党政府がアッサリ瑕疵を認めたのだ。報道された鉄道省職員の対応や多額の賠償金などは中国政府の一般的な対応だった。

それが何故変わったのか?今回の事故の犠牲者は"高速"鉄道の利用者だ。普通の鉄道より高い運賃を払うのであろうから、ある程度の経済的余裕のある高所得層だろう。遺族もそれなりの所得がある都市生活者だろうから、社会的影響も強い。

中国が目覚ましい経済発展を遂げ、それが政府の軛を離れ国民が自信を強めたとき、「従順な国民を守る国家」という物語は力を失う。そこに「国家が威信を誇示するために国民の生命を犠牲にした」という疑惑が起きたのだ。中国という国のダイナミズムは国の形をどう変えていくだろうか。政府の力が弱まって、普通選挙といった政治的多様化が進むのか、逆に"天安門"のような引き締めが起きるのか。

前者であれば非常に大きな転換点となるだろう。

2011年7月26日火曜日

マーケット主義

「マーケットにニーズがあっても、求められている価格で提供出来なければ、その企業には存在価値がない。」破綻寸前の会社は概して「顧客のニーズと合わない商品やサービス」を売っている。しかし、顧客のニーズに合わない商品やサービスだから破綻するのではない。

例えば、あまり美味しくない、いや不味い定食屋。客もいないのに潰れもしない。おそらく、その店は地代などの固定費が安く、一見さんや物好きの客だけで成り立つのだろう。ニーズに見合ったコスト構造になっているわけだ。

或いは「副業」で定食屋をやってるだけで、不動産収入で食っていけるなどの場合もある。要は、キャッシュが続けば倒産はしない。まさに、"Cash is queen "。

「最初からニーズがある商品やサービスなんてない」。楽天の最初の出店は数軒はだった。システムや報酬など、数度にわたる改変を経て、日本一の仮想ショッピングモールになった。「小さな箱の洗剤」は幾ら市場調査してもニーズはなかった。商品やサービスが発売されてはじめて"出現する"ニーズもある。

潰れた会社は「ニーズに合った商品やサービスを提供出来てない」「僅かな収入でやっていける原価構造になってない」。更に重要なことは「商品やサービスを変えていない」ことだ。変えることを止めた商品やサービスは直ぐに他社にキャッチアップされる。変え続ければ顧客の満足は高まるし競争相手にもつけこまれない。

"変えること"や"変わること"を社是にする会社は多い。だが、"変えること"や"変わること"を評価する会社は少ない。大抵の場合は「最初に決めた目標を変えずに達成したか」が評価される。「部下の管理」で評価されるのなんて最悪だ。

マーケットを第一に考える人は"市場に正解がある"と思いがちだ。しかし、"結果として"市場でニーズが"確認"出来ることはあっても、商品やサービスのアイデアになるニーズが"存在する"ことは希だ。なら、若手芸人と同じ様に「これがウケるのではないか?」と試してみることだろう。一度に何個ものネタを試せば少しはウケ方も違ってくる。

どのネタがどれだけウケたか?は(笑)という成果の前では大した問題にならない。それよりもどうやって思いつくかが大事だ。市場に答えはないが、ネタを振りかければ市場は答えを出してくれる。だから、市場にニーズが"ある"なんて思ってはいけない。アイデアを試してニーズを"確認"すると思うべきだ。

2011年7月25日月曜日

何故、働くのか

デイル・ドーテンの「仕事は楽しいかね?」を読み返している。人は誰でも「凄い人材」になれる。自分を縛っているのは自分自身だ。その枠を外すのも自分だってことだ。
毎日違う自分になるっていう考え、試してみることに失敗はなあという金言は重要だ。怖じ気づいていることが馬鹿馬鹿しくなる。失敗するのは成功の基準があるからだが、それは夏の逃げ水の様なものだ。追いつけるわけがない。
仕事をするというのは「何か人と違うことをする」ってことなんだ。同じことをすることもあるだろうけど、それならなんでその人がやらないのか?無駄じゃないか?

「仕事を楽しくするのは僕自身だ」

試してみることのチャンスを逃さないようにしよう。