2010年12月20日月曜日

官僚制は身近に存在する

民主党のスローガンのひとつは「脱官僚」だった。しかし、官僚制の研究が示しているのは「民主主義の未成熟の結果としての官僚依存」である。すなわち、「官僚を統治する制度としての民主主義の未成熟」が指摘されているわけだ。かつて牛尾電機の牛尾会長が小泉内閣への入閣を請われた時に、「娘が"朱に交われば赤くなる"から政治家にはならないで」と言われて辞退した様に、選挙や政治任用によって優秀な人が政治に参加するのではなく、政治家が"必要悪"とばかりに優秀な人が敬遠する職業となっているのは、国民が国家経営を敬遠するのと同義で、民度が低いと言われても仕方がないだろう。

会社でも同じことで、従業員が経営者にオンブにダッコでは本当に働いているとは言えない気がする。経営者が様々な事情で弱っている会社はたくさんある。その場合にも会社が機能するのは官僚制が敷かれているからだ。危機にあって官僚制が一時しのぎに機能した会社は、延命に役立った官僚制によって滅亡に向かう。官僚制は自己肥大を招くので会社の危機と関係なく組織が大きくなる。危機にあってリストラで組織縮小を図ろうにも細分化された仕事を盾に改善が行われない。

官僚制の打開には組織を粉々にするしかない。血を入れかえて官僚制を排したマネジメントを再構築するのだ。ただし、解雇規制が強く多様な事業展開をしていない中小企業では難しい。血を排出出来ないのでリストラが業績につながり難い。

そう考えると事業再生のオプションって本当に限られている。