2009年2月20日金曜日

管理とは

「ピープルウェア」(トム・デマルコ)より
"管理とは人を働かせることではなく、働く気にさせること"

「人を働かせること」と「人を働く気にさせること」では後者の方が難しい。ただし、前者の方が時間が必要になる。働かせるには部下を仕事の間中ずっと監視していなくてはならない。それはまるでコーヒー園で奴隷を働かせる監督の様に。
逆に、人を働く気にさせれば見張っている必要はない。これはデイル・ドーテンの「仕事は楽しいかね?2」でも語られている。デマルコはパーキンソンの法則の悪影響について触れているが、同時に官僚制の下では生産性が犠牲になることも認めている。官僚制の弊害は「仕事がつまらなくなる」ことだ。
官僚制を批判しつつ、日本の例を引用しながら品質を第一にすることで生産性が向上すると主張する。「ただし、面白い仕事であれば」という条件が必要だと思う。働き手の「プライドを満足」させたり、「使命感」を感じさせたり、「好きな仕事」だったりすれば品質も生産性も高まるということだ。

だから、「管理とは働く気にさせること」であるべきなのだ。その仕事が社会的に意義があったり、チャレンジャブルであったり、やりたいと思うものである様に気を配らないといけないということだ。そして、デマルコが"ピープル"ウェアと断っているように、部下を思いやりをもって「支える」ことで働きたいと思えるようにすることがーこれは、システム開発やプロジェクトに限らずー必要なことになっていくのだ。

2009年2月17日火曜日

鳩山総務相の横車

日本郵政は鳩山総務相の批判を受けて「かんぽの宿」のオリックスへの売却を白紙に戻し、総務省への説明資料などを提出し、調査委員会や検討委員会を発足させる。鳩山総務相は早速「言い訳のオンパレード」「見苦しい」などと批判を重ねるが、提出された資料の調べもせずに根拠に乏しい。売却や入札の専門家の間では今回の入札自体に問題はなかったとの意見が多いらしい。
仮に、総務相が誤認や思い込みによってかんぽの宿売却を認めなかったとしたら、日本郵政や入札参加企業に対して賠償責任を負っても仕方ない。
鳩山総務相は「何故、今なのか?(時期)」「何故、その値段なのか(価格)」「何故、オリックスなのか」と言って説明を求めている。
時期については、民営化の際に売却期限が法律で決められていて、売却先決定後の手続きを考えると今しかないということだ。「この不況の時に買いたたかれても…」ともいうが、運営しているだけで赤字が積み上がっていくのだから、数年後に景気回復した時に売ったとしても赤字が取り戻せるとは限らない。逆に何故今では駄目なのか?何時なら良いのかを示さないといけないのではないか。法律で規定された売却期限があるのだから、法務相の時に期限通りに死刑執行をしたのと同じく、行政執行をしてもらいたい。
価格の件は鳩山総務相が理解しようとしているか分からない。そもそも、「かんぽの宿」の価値についての誤解がある。帳簿上の「資産」とした場合、かんぽの宿は確かにもっと高い。しかし、旅館業とした場合は、赤字があるから事業価値は殆どない。入札参加企業がつけた価格は、事業再生をして自分たちであればこれだけの事業価値を創出出来るという価格だ。何もしなければ、価値はマイナスなのだ。黒字の人気旅館一つだけで入札額の半分を超すのは当然で、他の旅館はマイナス査定。黒字の旅館をばら売りして、他の旅館は廃業して資産を切り売りすることも考えられるが、かんぽの宿売却にあたって雇用確保が優先されるのだから、それは無理だ。
最近の報道では、この時期と価格の問題はあまり触れられていない。鳩山総務相側にも分が悪いという判断が働いたのかもしれない。だから、今はオリックスに決まったプロセスに話しが集中している。提出された資料はこれから調べられるのだろうが、またズルズル先延ばししてタイムアップを狙っているのではないか?という疑いが頭をもたげて来る。
大体、総務相として先行きの決まった日本郵政のことなんかに関わっているばあいだろうか?それよりも未曽有の経済危機の中で塗炭の苦しみに喘ぐ地方自治体を救うべく、総務相としては経済産業省などにモノ申していくべきではないか?不正があったのならまだしも、かんぽの宿問題は大臣が熱中することではない。どうも、旧郵政官僚に操られているように見える。法務相の時の死刑執行も、執行自体が法務官僚の悲願であったとするなら操られていただけということになる。

まあ、官僚の操り人形という点では一貫しているが…。

2009年2月16日月曜日

芸術家のように仕事をしようーほかにどんなことを試せるだろう。

デイル・ドーテンの「笑って仕事をしてますか?」より

"芸術家のように仕事をしようーほかにどんなことを試せるだろう。"

「仕事は楽しいかね?」でも紹介されていたメソッドがある。いつもやっていることをリストアップする。リストを組み合わせてみる。組み合わせには一見荒唐無稽なことが含まれるだろう。だが、それは誰も思いついていない「とてつもないこと」に違いない。

オズボーンのチェックリストというものがある。
◆転用したら?
◆応用したら?
◆変更したら?
◆拡大したら?
◆縮小したら?
◆代用したら?
◆置換したら?
◆逆転したら?
◆結合したら?

「アイデアのつくり方」でも、アイデアとは既存のものの組み合わせだという言葉が紹介されている。

デイルにしろオズボーンにしろ、強調しているのは「アイデアを考えるというのは特殊な能力が必要なのではない」ということだ。

かつて、日本企業が世界市場を席巻した時、「日本にはオリジナリティがない」という妄説が広まったことがある。トヨタ方式にしろ、セブンイレブンの個品管理にしろ、日本企業のオリジナリティを証明して余りある。カリフォルニアの排ガス規制を最初にクリアしたのはホンダだった。
しばらくすると「日本人は既にあるものを改良しているだけ」という説も出てきた。だが、世の中のアイデアは全てが既存のものの組み合わせや改良でしかない。インターネットは軍事通信技術の民間転用だし、メールは手紙とインターネットの組み合わせに過ぎない。ロケット工学を金融に組み合わせると金融工学になる。

それより問題なのは、新しい組み合わせに対する態度だ。常識と違う。今まではこうしてきた。過去に囚われた新しい組み合わせに対する態度がアイデアをダメにする。

がっかりすることはない。日本に限らず新しい組み合わせに対する態度はそういうものだ。だから、拒否されても驚くことはない。
拒否されそうだから、とアイデアを引っ込めることもない。分かってもらえなくて当然だ。なら、説明の仕方を変えてみれば良い。何回か試してみれば、理解してもらえるだろう。
アイデアを話されたら貪欲に、「もっと」と言ってみよう。プレーンストーミングのルールに「悪乗り」するというのがある。どこかで止めるにしても、アイデアを暴走させるのは悪くない。

「身の回りや今やっていることを組み合わせてみよう。誰かに止められるまで。どうせ拒否されるなら"話してみよう"。どうせお腹が空くから食べないということはないのだから、拒否されるからといって話さない理由はない」by 賢太郎