2008年5月9日金曜日

米民主党大統領予備選挙に関連してアレコレ

オバマ氏「20日の勝利宣言」検討

ということで、ようやく民主党の予備選挙が決着を迎える模様だ。クリントンは今回の予備選挙の初期に投票期日を勝手に早めたとして予備選挙から除外されている二州の選挙結果を算入する様に要求している。クリントン側は現状のままでは選挙に勝てないと判断したに等しい。

と ころで、この選挙は「予備」選挙だっていうことを以前にも投稿した。本選挙になる前にこれだけ話題になるのだから民主党にとっては大変なプロモーションに なったと言えるかもしれない。だが、考えてみれば大統領を争うという意味では本当は「オバマ VS クリントン」ではなく、「マケイン VS (オバマ Or クリントン)」となるはずだ。なのに本番前にこれだけエネルギーを使っていいものだろうか?と思う。
オバマが勝とうとクリントンが勝とうと、本選では「マジョリティ VS マイノリティ」という構図になることは明白だ。「白人男性 VS (黒人 Or 女性)」。そうなった場合に、アメリカの有権者は保守的な投票行動を取るのではないだろうかと思う。

さて、予備選挙に関連して弁論勝負の米国人、沈黙の日本人という記事から。

米国民主党の大統領選候補者選で、ヒラリー・クリントンのネガティブキャンペーンに腹を立てたバラク・オバマが、「ヒラリー、恥を知れ!(Shame on Hillary!)」と発言した。それに応じてヒラリーが「あんたこそ、恥を知れ!(Shame on you!)」とやり返し、この一幕が話題になった。

どちらも気が強いことだ。記事では、

ところが最後に“泣きを入れている”と思われても仕方がない一言を言ってしまった。

と福田首相が党首討論で「かわいそうなくらい~」といった発言を取り上げている。あの発言は情けなかった。怒っているのであればオバマ氏のように「恥を知れ」と言えば良かったのだ。(言ったら言ったで、不適切発言だから取り消せと野党が煩いだろうが)その方が潔かった。

この記事では「発言による」主張を日本人も積極的にするべきではないか?と説かれている。

日本人が文章文化だと考えると、講演会では静粛過ぎる聴衆が、一転ブログの世界で大胆・活発に書き込み合っている日本の事情が理解できる。某ブログ調査データによると、世界のブログ書き込み言語のシェアで日本語は37%と英語の33%を凌駕しているという。英語ユーザーの人口が日本語ユーザーの数倍であることを勘案すると、これが本当なら驚くべきことだ。

この調査結果を見たときには驚いたが、日本人が文章文化であるとすれば納得できる。すると、日本人の「主張」に対する能力というのは海外に比べても見劣り しないということだろう。問題は「口頭による主張」という手段だけの問題だ。会社でも会議なのでなかなか発言しない人がいる。日本企業でも出世していくタ イプというのは口が達者な人が多いので、発言をしない人は「無能」とか「考えていない」と判断されがちだ。しかし、口頭による表現が訓練されていないだけ で実際に批判精神もあれば建設的な意見ももっているということになる。だから、「KJ法」など書くという手段をブレーンストーミングに組み込むのは日本の 風土に合うのかもしれない。

変える時は大きく変える

日経新聞 5月9日 朝刊 4面特集
「電子政府へ活気づく官民」

2000年から始まった政府のIT化は8年経っても思ったような効果が上がってない。納税申告の電子化などは手続きが煩雑で利用が進まない。インターネットでオンライン利用出来るサービスでも所管省庁や部署によって認証が別々の場合もある。
つまり、サービスが横グシで統合されてない。一つにはあらゆる行政サービスに共通で使えるIDがないことだ。基本台帳が「国民総背番号制」と忌避されたが、複数のサービスを一括で扱うには共通IDは必須だ。
今の電子政府の議論は個別の行政サービスを単にITで置き換えるという程度の話。それでは効果も限定的でコスト削減もそれほど見込めない。例えば、住民票移動手続きをすれば関連する情報が一括して更新される様な横断的な考え方が必要。それを「出来る範囲で」などとやっていては話は進むまい。
小さく変えるのも大きく変えるのも、実際の労力はそれほど変わらない。ならば、大きく変えた方が経済的だ。

2008年5月8日木曜日

知事はトップセールスマン

青森県を売って売って売りまくる──。

という記事より。

三村申吾知事は元衆議院議員だったという。自民党と公明党の支援をうけて県知事に当選したが、自民らしくない県知事だと思う。「県を売りまくる」という言葉は宮崎の東国原県知事と合い通じるものがある。

国 際観光振興機構によると、外国人観光客の人数で日本は約670万人で世界第32位なのだそうだ。第1位のフランスは7,600万人。約10倍の開きがあ る。星野リゾートの星野社長は「観光に必要なのは自然資源と歴史と適度な利便性」と言っている。日本には温泉を初めとして自然資源に恵まれている。三村氏 のインタビューでも韓国のビジネスパートナーに観光資源をムダにしていると指摘されている。歴史はいうまでも無い。1000年を超える歴史を連綿と記録し ているのは中国をのぞけば日本くらいだ。そして、不用なほどの道路インフラ。観光を売り物にするのにこれほど恵まれている国もあるまい。

政 府は観光庁を作って「観光立国」を目指すという。だが、と思う。観光を売るのは国で無い方が良い。精々県知事くらいの方がフットワーク良く売れるだろう。 国がやるのは地方空港の国際化や成田羽田の拡張などだ。まかり間違っても「観光客の割り当て」などをしてはいけない。観光を売りにするのは、それに活路を 見出した自治体にさせるべきだろう。観光立県に向かないところもある。そういう自治体には別の売り方があるものだ。
青森には三内丸山遺跡がある。 この遺跡からは驚くほど遠い地方が産地の石器などが発掘されているらしい。十三湊は中世の奥州藤原氏時代までロシアや中国東北地方との交易が盛んだった。 元々海外に近い地方なのだ。古代には蝦夷地と呼ばれ中央政権の力が及ばない地方だった青森だが、だからこそ違う経済発展があった。中央集権の束縛を断ち切 れば、産業振興の道はいくらでも見つかるものだ。

刺身を使い回しー船場吉兆

経営再建中の船場吉兆で再び不祥事が発覚した。今度は客が食べ残した食材を使い回したという。これは言い訳のしようがない。報道では衛生面の問題が取り上げられていたが、それより重大な問題がある。
客に提供して対価を頂いたものは所有権が客に移動している。食べ残しは廃棄処分を前提として客が権利放棄したものと見ることが出来るので、それを無視して他の客に出したとなると客を騙して権利を奪ったということになる。出された客も騙されたことは同じで、詐欺罪が適用されるのではないだろうか。
厳密に使い回しされた料理を特定し、その被害者を特定することは難しい気がするので立件は難しいと思うが、客の信頼を回復するのは難しいだろう。

群発

今日の1時台の地震のこと。1時過ぎから2〜3回地震が連続して発生した。最後のものが大きくて思わず起きてしまった。いずれも茨城沖が震源地。嫌な感じがする。

2008年5月7日水曜日

日中共同声明記事のヘッドライン

再送:東シナ海ガス田開発問題で大きな進展、解決にめど=日中首脳会談 (朝日新聞)
日中共同声明を発表 ガス田開発問題など解決への道筋明示できず 日中首脳会談 (産経新聞)

日中共同声明の記事を比較すると面白い。朝日新聞と産経新聞では評価が正反対だ。

朝日新聞は記事の冒頭で

福田康夫首相と胡錦濤・中国国家主席は7日、会談終了後に共同記者会見に臨み、懸案の東シナ海ガス田開発問題で大きな進展があったことを明らかにした。福田首相は「長年の懸案に解決のめどがたった」とし、胡主席も「問題解決が見えてきた」と表明。

と書いている。発言を取り上げて、事実を伝えているだけの様に見えるが、朝日新聞がこの共同声明を良い結果が出たと評価していることが伺える。
逆に、産経新聞では

福田康夫首相は7日、中国の国家元首として10年ぶりに来日した胡錦濤国家主席と首相官邸で会談し、「戦略的互恵関係の包括的推進に関する日中共同声明」 に署名した。声明では、両国首脳が毎年相手国を相互訪問することや環境分野や食の安全などでの協力をうたったが、東シナ海ガス田開発問題や中国製ギョーザ 中毒事件といった懸案は会談で早期解決を確認するにとどまり、具体的な道筋を明示できなかった。

と辛口な評価をしている。具体的に踏み込んだ内容は話し合われずに儀礼的なものだったと低い評価を下している。

今後の推移がどうなるか分からないが、共同声明での発言を言葉通りに受け取ってはいけないだろう。資源問題では「協力」などと甘い言葉を並べているが、こ の問題の本質は「領土問題」である。排他的経済水域の問題であって、軽々に協力とか譲歩とかしてはいけないことだと思う。それを中国がゴリ押ししているわ けで、日本も強い態度で押し返さないといけない問題だと思う。
ギョウザ問題などは中国の産業界の生産品質の問題であり、それは中国側が改善できれば日本の公共セクターだろうと民間セクターだろうと輸入再開に踏み切 る。日本の「食」が中国にある程度依存していることがこの問題を政治問題化してしまっているのだが、政治問題から外してしまうべく日本側は努力したほうが 良い。具体的には食料自給率を上げるための国内農業生産量の拡大であり、そのための「農地解放」「農業規制緩和」だ。
今回の胡錦濤来日は日本にとって得るものは少なかったと思う。リップサービスで獲得できたのがパンダ寄贈という程度では何のための政治かと思う。

パンダよりも大事なことがあるだろうに

手みやげのパンダ「日中友好のシンボル」 胡・中国主席

胡主席は夕食会の席上、4月30日に上野動物園のパンダのリンリンが死んだことについて「大変残念だ。パンダは日本の皆さんに大変人気がある。日本国民の リンリンへの気持ちを理解している」と述べ、パンダの提供を提案。福田首相は7日の首脳会談の冒頭で「日本国民に対するプレゼントをうれしく思う」と重ね て謝意を表明した。

パンダ外交といわれるカードを切ってきた中国。その見返りなのか、

日中共同文書、「人権」巡り表現調整 チベット念頭に

共同文書ではチベットには直接言及せず、一般的な表現で、アジアや世界で大きな役割を担うようになった両国が国際社会の普遍的価値を共有するとの意思表示をする方向だ。

と腰砕け。更に、

歴史問題では、戦争や侵略に対する日本の「おわび」や「反省」は盛り込まず、歴史を踏まえた未来志向の表現とすることで合意。「戦後日本の平和国家として の歩み」への前向きな評価が明記される見込みだ。この表現は、06年の安倍前首相訪中時の発表文書でとられたが、両国関係の基本原則をうたう共同文書に記 されるのは初めて。

と、「過去との決別」をうたう。

しかし、と思う。歴史問題はそもそも日本の国内問題に端を発する。日中間の戦後保障は両国間で取り決めが既にあるはずだ。だから、戦後の補償は終わってい ると両国は認識するべきだ。日本からも中国からも今後ともこの話題はするべきではない。一点残るとすれば、戦後補償は日本と中華民国との間で結ばれたもの であるから、中華人民共和国との間には補償が結ばれていないと主張することも出来る。だが、共和国は民国の存在を認めておらず、その版図を含めて自国の領 土であると主張しているのであるから、民国に対する保障は共和国に引き継がれているものと考えてよいだろう。共和国がこの部分で補償を主張すれば、それは 民国すなわち台湾を独立国として認めることになってしまう。
人権問題は共同声明に盛り込むことが出来なければ、玉虫色の宣言などはしない方が良いと思う。そもそも、人権問題は「国民に対する国家としての責任の取り 方」の問題であり、それが日中間で隔たりが大きいのであれば無理に共同声明にすることはないのだ。例え、チベット問題に絡めて共同宣言を取り交わせたとし ても、それほど実効性のあるものとはならないだろう。

パンダが贈られて、みんな嬉しいと思うのだろうか?日中の友好関係の「結果」としてパンダが日本に来るのであれば別だが、逆に日中友好を促進する「契機」 としてパンダが贈られるのであれば、それはパンダにとっても不幸な話だ。パンダにせよ、オリンピックにせよ、外交と無関係ではいられないが、だからこそ安 易に受け入れると外交上の弱点となりかねない。パンダを左手に右手で握手を求めるような外交に日本も乗らないで欲しいものだ。

削減、削減、削減、削減、削減

ニッポンの借金はこう減らせ! 「法人減税」が財政赤字削減のキモ

という記事より。

竹中平蔵氏が

私も最終手段として増税は必要だと思っていますが、順序としてはやはりまずムダを削減し、経済を活性化し、その上で必要な増税をすべきだと思います。こういう方針を政府が明確に打ち出して説明すれば、国民も納得するはずです。

企業の体力が落ちれば、結局従業員の所得も減るので、やはり法人減税を優先すべきでしょう。ズバリ言えば、法人税を半減すべきです。まず欧米並みに30%まで下げ、最終的にはアジア諸国並みの20%まで下げる、という心意気が大切です。

と言っている。
こういう風に考えていたら、さぞかし小泉政権ではやりづらかっただろうなと思う。今、政権内にいたら袋叩きだろう。現政権は財政出動が優先で減税なんていうものはあまり考えていない。
国民にとって不幸なのは、小泉改革の惰性が残っている中で族議員が復活してきていることだろう。財政支出の総額は小泉改革のために下がっているにも関わら ず、族議員が復活したことで道路など特定の分野の支出が大きくなってしまった。その皺寄せは族議員が活躍しない利権が少ないところに行く。といったとこ ろ。

竹中氏の言う、1)効率化による歳出削減努力、2)企業税率引き下げ、3)消費税率引き上げは同意できる案。しかし、最初の歳出削減努力が政府自体に「足 りない」と思われているところが問題。そもそも、現時点でも税収以上の支出がある。中でも、「セーフティーネット」に関わる部分に弱みがあるところが厳し い評価を与えられる所以だ。
福利厚生分野での「削減」が最初に槍玉に上がってしまったが、本当は道路や鉄道などの公共工事分野の削減が争われてしかるべき。なぜなら、この分野の支出 の割合が高いから。企業における効率化取り組みも同じだが、「最も大きな」数字から手をつけるのが良い。小さな数字から手をつけても効果はあまり無い。
効率改善をする場合、身近なところから手をつけることが多い。それから大きなところに手をつける。しかし、身近だろうが大きかろうが効率改善の手間はあま り変わらない。ともすると、身近な改善で「達成感」を覚えてしまい大きな改善に至らないことも多い。だから、手をつけるのは大きなところの方が良い。サー ビス業では「人件費」がほとんどなので給与体系や労働効率、残業の評価や見直しを進める方が良い。
公共工事では「入札金額」などが目立つが、一番注目しなければいけないのはサービス業である行政窓口業務の効率化だ。官公庁や自治体は年度で活動している ため、どうしても年明けから年前半が忙しく、年後半は暇になる。企業であれば、この期間に新商品の企画や開発などが進められるが、官公庁ではただヒマにし ているだけ。行政サービスの効率化や新しいサービス企画などは考えられない。恐ろしく無駄な話だ。

一連の年金不祥事で払い込み実績のデータ化が労働組合の反対によって日常業務でちゃんと実施されなかったという話を聞いたとき、暗澹たる気持ちになった。 コンピュータが導入されたときに「45分ごとに休憩をいれる」ということが労働者の健康のために決まったそうだ。良く分からないのは休憩時間も給料が支払 われている事実。拘束されるから支払わなければいけないのだとか。そこには労働者の「権利」や「都合」はあっても、行政サービスを受ける国民の「権利」や 「都合」というものは全く無視されているということになる。しかも、年金記録の電子化はそのほとんどを電算処理会社に外注したにも関わらず、その分の職員 人件費の削減はされていなかった。
行政サービスにはこの種のムダが本当に多い。それを助長してきたのが「労働組合」。彼らには労働者の権利という言葉はあっても、サービス受益者の権利とい う言葉は無い。労働組合の言うとおりの条件で職員を雇用したとすると、恐らく割高になって外注化したほうが良いに決まっている。しかし、そうすると職員側 は自分達の仕事が減るから外注に出すなと言い出す始末。コースの定理を持ち出すまでもなく、組織内で割高になってしまうならば外注に出すというのは当然の こと。それが嫌ならば、外注より割安でやるしかない。恐らく、労働組合も知らぬ間に「高コスト」になってしまっていることが沢山あるのだろう。

2008年5月4日日曜日

Microhoo!かYahoogleか

Yahoo!を巡るMicrosoftとGoogleの動きが慌ただしい。

Yahoo!とGoogleは広告サービスでの提携を計画している。Microsoftに対する牽制と見られるが、仮に提携が成立してもMicrosoftの買収が防げるわけでもない。Microsoftはいくら言っても首を縦に振らないYahoo!にイライラしているだろうか。

この争いはGoogleに分が悪い気がする。GoogleはYahoo!の買収には踏み切れない。買収すると独占禁止法に抵触してしまう。しかし、Yahoo!がMicrosoftに買収されると面白くない。

と思っていたら、MicrosoftがYahoo!買収断念とか。
まあ、妥当なとこ。