2009年4月16日木曜日

日本漢字能力検定協会の理事長一族は「天晴れ!」だと思う

日本漢字能力検定協会の大久保理事長と副理事長が揃って辞任するという話。

この理事長一族は天晴れだと思う。

漢字能力検定なんていう、その資格で仕事が出来るわけでもないものの検定試験だけで70億以上のビジネスに育て上げたわけだから立派なものだ。

協会の沿革を見てみると、1975年には任意団体として協会は設立されており、それから1992年に財団法人化されるまでの17年間は文部科学省に認可されるわけでもなく漢字検定を実施してきたわけだ。

それが受験者からの希望もあって法人化となったわけだ。

ここ7年間で70%の受験者数増加を実現し、「漢字検定」を資格のブランドとして確立したのは大久保理事長らの手腕によるところであろう。

創業者が創業者利益として何がしかの果実を得るのは当然のことだ。

それが広い家屋敷だろうと、過分に豪華なオフィスだろうと関係ない。

銀行に借金して経営が立ち行かないというのなら未だしも、年率10%以上の成長を遂げている優良企業の創業者なのだから責められるところはないはずだ。

大久保理事長が経営している会社が協会から下請けをしているということも批判されているようだが、そもそも漢字検定という受験システムや評価システムを支えているのはこれらの企業が提供するシステムやサービスだ。

それを外せば漢字検定自体が提供できなくなるのだから仕方がないし、その様に仕組みづくりをした理事長はやはり天晴れだ。

理事長は非難されている理由が分かってないんじゃないの?と朝のニュースバラエティで"みのもんた"が批判したらしい。分かっていないのはみのの方だ。

一代で築き上げた事業を役人に持っていかれるのは本当に悔しいに違いない。

そのことを少しでも肯定的に報道するマスコミがあっても良いと思うのだが。

2009年4月15日水曜日

電鉄会社のビジネスモデルについて考えてみた・・・

ちょっと思うところがあって電鉄会社のビジネスモデルについて考えてみた。

電鉄会社のビジネスモデルは「西の小林・東の五島」のころから線路の両端に消費者と消費地を創出してそれをつなぐインフラで利益をえるというのが有名だ。でも、今回考えてみたのは「電車と駅とバス」のビジネスモデル。

電鉄会社の多くはバスを運行するかバス会社を子会社としている。バスは駅周辺に路線を持っているわけだが、そのバスの役割と駅、電車の関係を考えてみた。

バスは駅周辺を周回することによって電車の乗客を集めることを役割としている。だから運賃は原価を割らない程度であれば良い。儲かることが目的ではないのだからそれで十分だ。乗客が少なくて、どうしても原価割れしてしまうような場合は公営バスなどが原価割れで乗客を集める。
電車は集められた乗客を目的地に運ぶという最も価値のあるサービスを提供している。その上、輸送効率が良いので大きな利益を稼ぎ出すことが出来る。
駅は当初は大きな役割はなかったが、駅ナカや駅ビルなどの登場によって乗降客のついで買いや新しい目的地の創出によって、新たな乗客の獲得など利益を上乗せすることが役割となっている。

バスは乗客が受け入れ可能な運賃以下の原価で乗客を数多く集めることによって、電車の利益創出に役立っている。乗客は安い運賃で最寄の駅まで辿りつくことが出来て利益を享受する。電車は乗客が損益分岐点以上乗り込むこむので大きな利益が創出され、乗客は安い価格で行きたいところまで正確な時間に辿りつくことが出来る。駅は乗客に新たなアミューズメントを提供し、電車の乗客を増やす上に駅自体も利益を創出する。

だから、バスと電車、駅では評価基準が違ってくる。
バスは乗客数が評価基準となる。乗客数が最大となるルートと運行時間の選択がバスの成功要因となろう。
電車は如何に大量の乗客を正確に運ぶかということが評価基準となる。乗客を最大とする運行間隔や行き先が電車の成功要因となる。
駅は乗降客を如何に満足させるか、滞在時間を長くするかということが評価基準となる。テナントの開発、誘致、マーケティングが成功要因だ。

という分析を今の仕事に応用してみるとどうなるか
・・・考え中(−−)

2009年4月12日日曜日

かんぽの宿でリストラが始まる…かもしれない

4月12日 日経新聞朝刊 2面
「【社説】不正も将来も見えない「かんぽ」問題」

かんぽ問題ではマスコミは日経新聞をのぞくとほとんどが鳩山総務相に同調した。
しかし、この問題は郵政民営化を阻止しようとする郵政官僚が担当大臣を操って仕掛けたものだと思う。日本郵政側に落ち度はない。
日本郵政の「かんぽの宿事業」の事業計画が赤字で「弱気」だと鳩山大臣は見直しを指示したらしい。ずーっと赤字でその理由が開業時の割高な投資と政官による利益誘導による負債の大きさに起因するものなのだから、手の施しようは限定的になる。消費減退によって売上の積み増しが難しい以上、コスト削減に走らざるを得ず、それは従業員のリストラや宿のクオリティを下げるなどとなってしまい、ますます事業が縮小する結果となろう。

結局、鳩山大臣の横槍によって誰も幸せにならないという結果になってしまった。

敗軍の将

日経ビジネスに先の千葉県知事選挙で3位に終わった白石真澄氏のインタビューが載っていた。敗因を「知名度以外に見つからない」と言っているが、果たしてそうだろうか?知名度が選挙の結果を左右するのであれば、森田健作は2選目の知事選挙を戦っていたはずだ。知名度だけでは当選しないことは前回の千葉県知事選挙の結果が物語っている。
彼女が言っているように知事選挙ではマニフェストは似たり寄ったりになる。同じ地域の問題を扱い、予算などの制約が一緒であれば違いは出にくい。ならば何が勝敗を分けたのか。
前回の敗戦後、森田健作は4年後を期して県内でタウンミーティングを開くなど地道な活動を続けてきたという。その中で地域の人と触れ合い信頼関係を構築出来たことが勝因と言えるだろう。白石氏は県内での活動を始めたのは昨年の暮れ。浸透度が違い、追いつけないほどの差になっていたと思われる。
政治にしても何にしても、結局は人だ。その人が「やりきる」ことが出来るのかを人は知りたがっている。それを判断するには直接会って話を聞かないといけない。街頭演説でも本当に「やろう」としているのかを信じさせるパフォーマンスや人間力が必要なのだろう。

浸透度と人間力。これが今回の勝敗を分けた鍵なのだろう。