2008年5月2日金曜日

何が争われたのかを考える

あまり脈絡はないが源平の争いの話。

鎌倉幕府を開いた源頼朝が平氏を滅ぼしたというのは有名な話。貴族化した平氏に不満を抱く武士を従えた源氏が武家政権を確立したと言われている。だが、ちょっとだけ違う見方をすると景色が変わってくる。
源頼朝の妻の実家は北条氏。この家系は平清盛と同じ平氏。しかも、嫡流に近い。巡り合わせが違えば清盛の役回りは北条時政だったかもしれない。すると、この源平の争いは平氏の嫡統争いだったということも出来る。
実際、鎌倉幕府は頼朝の血筋が絶え、実権は北条氏が握った。今の政局で政権交代が取り沙汰されるが、突き詰めると20年前の自民党の主流争いになる。しかも、田中派の中だけのものに近い。スケールが小さくなったものだ。

井上康生が引退

「柔道人生に悔いなし」 井上康生、引退を正式表明

井上は「我が柔道人生に悔いは無しという気持ちです。先生方、友人、家族、ファンのみなさんに支えられて幸せ者だった」と語った。

結婚してオリンピックを目指すも、残念ながら引退となってしまいました。ただ、10年以上のブランクを経て現役に復帰したクルム伊達公子(伊達、第1シード中村も破り4強) の例もあるから、競技を完全に辞めないで欲しいものだ。会社(綜合警備保障)に所属して競技をしているが、会社員としての勤めを全うすれば競技は続けても いいよね?まあ、彼の場合は殆どプロみたいなものなのだろうが。スポーツ選手が「引退宣言」なんかせずにのびのび競技を続けられる環境があればなぁと思 う。

「中国」という社会システム

中国国内での聖火リレーが続いているが、カルフールなどのボイコットが再燃しているそうだ。このカルフールボイコットは派手に見えるがフランスにしても、 他の国にしてもあまり気にしなくて良いと思う。カルフールは小売店だ。仮に中国における販売が振るわなかったとすれば、それは仕入の減少につながる。そし て、日用品小売店であるカルフールにおいてあるモノの主な生産は中国自身が担っている。
つまり、カルフールで買い物をしなければ中国自身が損をするということになる。生鮮食料品なども国内生産のものが中心に売られているわけだから、ボイコッ トすると中国国内経済に打撃が与えられる。カルフール中国で発生した損失は国境を越えずに中国国内の経済を痛める結果になる。それに、中国の消費者は「実 利」主義なので、いかに運動が展開されようと良い商品やサービスは必ず売れる。

これらの運動はメディアへの露出が大きいので、びくびくしている向きもある。しかし、どの記事を読んでも運動は学生を中心とした若者が行っていて、それ以 外の参加者は目立っていない。これは僕の想像だが、この運動には学生以外の人は関心がないのではないかと思う。そう思うのは、中国は儒教的階級社会がまだ 残っているからだ。
儒教というより、伝統的な科挙システムが残っていると言った方が正確だ。科挙というのは中国の官僚制度を1500年にわたって支え続けた選抜システムのこ とだ。このシステムでは儒学の理解度や表現力、歴史知識などが問われ、試験に合格すれば官僚として登用される。官僚は「士大夫」と呼ばれる。士大夫とは士 農工商の最上位に位置する特権階級であり、社会システムを作ることが出来る。士大夫以外には政治的な権利は基本的には認められない。
中国は近代化の課程でも科挙を捨てたわけではなく、科目を儒学以外に変えて維持していた。大学生などはこの科挙に合格したエリートであり、現代の士大夫と いうことができる。だから、学生は国家意識が高いし、今回のような事件に過敏に反応するようになる。現在の選抜過程には中国共産党への「忠誠心」や「貢 献」というものが含まれるから大学生ともなれば愛国というより中国共産党への忠誠が高い人達ばかりなのだろう。

官僚および官僚予備軍である学生以外の人々は自分の生活と党中央との関係性や国家との一体感が比較的薄い。「上に政策あれば、下に対策あり」というのはそ の証左で、国家の決定と自分達の生活が連続していると感じていないわけだ。エキセントリックな反対運動をしている人たちは中国人全体から見ると「極」少数 と思ってよい。彼らが中国共産党のプロパガンダに忠実なあまり起きてしまう事件なのだと。
だから、問題は中国共産党の国家観や国際感覚が世界とずれていることだということになる。そして、その国家観を決めるのは共産党の極限られた上位者のみ。 その上位者は学力と中国共産党の思想に対する忠誠心によって選抜される科挙システムで補充される。中国の民主化や複数政党化などを期待する向きもある。北 京オリンピックなどがその契機になると思っている人もいるだろうが、この社会システムによって為政者が選抜される限りにおいて、自然に民主化されるという ことは期待できないと思う。

製紙会社の謝罪広告

本日付けの日経新聞の31面に日本製紙、三菱製紙、北越製紙、紀州製紙の謝罪広告が掲載されていた。例の古紙偽装に関するものだ。業界うち揃っての謝罪、一様に再発防止を誓っているが、古紙以外に偽装はないのかと思ってしまう。

さすがに少ない

4連休前の金曜日。さすがに通勤する人が少ない。連休初日の混雑を避けようと思えば早めに休むのは当たり前だが、こんなにみんなが休むと意味はないかも、と思う。

2008年5月1日木曜日

暫定税率復活

4月最後の日に暫定税率が復活した。わずか1ヶ月のガソリン値下がり祭り。祭りの後の様に値段が元に戻ったガソリンスタンドは閑散としているという。ただ、貯蔵に制限のあるガソリン、買い控えは長続きはしない。1リットルあたり25円に満たない値下がりは生活にどれほどの影響があったろうか。100リットルを消費する場合でも2500円。ひと月数千円というところか。
ガソリン価格は移動手段が限られる地方の方が深刻。しかし、税率復活で公共工事が一息ついたわけだから生活費にとってはプラスマイナス0といったところか。
暫定税率維持を公言している宮崎の東国原知事が週刊誌で袋叩きにあっているらしい。ネタに事欠かない人だ。マスコミも暫定税率の有無による社会生活への影響を掘り下げて追求して欲しいものだ。ゴシップばかりで深みに欠ける。

乳業各社に受難

家庭用バターの品薄が始まっているらしい。スーパーなどでもバターを置いていないところが出てきている。

日経新聞 5月1日朝刊 十面 「バター品薄、国が増産要請」によると複数の要因が重なっているということだ。
大きく四つの要因が書かれているが、生乳減産が最大のものだと思う。2006年に生産過剰を理由に生乳の廃棄や乳牛の処分をしたらしい。生乳廃棄はまだしも(もったいない話だが)乳牛を処分したために急な増産に応じれなくなったというものだという。
酪農家が急に増えたとは思えないので、生産過剰は需要が減ったということだろう。酪農家(ホクレン)は単純に廃棄や乳牛処分に踏み切った。しかし、市況が厳しいのは乳業各社も同じ。そこで、乳業各社は人気が出てきた付加価値の高いチーズ増産を決めて工場増設や生乳調達に動いた。単に減産という選択をしたホクレンと全く違う方針だ。
チーズという新しい需要開拓、海外需要の増加など外部環境の変化に合わせて動いた乳業各社が、努力することなく廃棄や処分を決めた酪農団体のしわ寄せを受ける結果となった。
ユニーとイズミヤが地方スーパーと連携してメーカーへの交渉力を高めるなか、乳業各社にとっては受難がしばらく続きそうだ。

2008年4月30日水曜日

中国の製品ボイコットなどを気にしないほうが良い・・・

中国でフランス製品がボイコットの危機にさらされている。
カルフールに始まり、自動車なども不買運動が始まっているらしい。

だが、この不買運動に過剰に反応しないほうが良いのではないかと思う。ボイコットは若者を中心に携帯で運動参加が呼び掛けられたことが発端らしい。若者の暴走に加え、党中央の操作もあったのではないかと思う。

だが、中国人は「カルフールでの買い物を止めよう」という足でカルフールに買い物に行ける人たちだ。決して嘘を言っているわけではない。その時の心情は本 気なのだろうが、自分の生活の利益にも正直で、カルフールの商品の品質の良さや値段に惹かれていれば、絶対に買わなくなることは無い。

だから、過剰に反応することはない。カルフールでは北京オリンピックの帽子を従業員がかぶって営業をしているらしい。面子を立てるためのポーズは必要だ。だが、その程度のことをしておけば良い。業績に深刻な影響が出ることはないだろう。

SNSを巡る攻防

日経新聞 4月30日 朝刊 一面
「ソフトバンク中国ネット大手を傘下に」

ソフトバンクが中国のネットサービス会社を傘下に収めるというニュース。mixiよりも会員数の多いSNSを抱えている会社らしい。母数の違いを考えれば当然か。世界でもSNSを抱えるネットサービスの奪い合いが激しいのだとか。収益源は広告。

結局、ネットサービスは広告モデルの収益構造が変わらない。より分散したが、草創期にバナー広告を表示し始めた時から大幅に進化したところはない。他に収益源は作れないのだろうか?

2008年4月28日月曜日

仲村みう 仕事復帰

仲村みう 仕事復帰に思わず号泣

しばらく前にブログなどは復活していたが、本格的な仕事復帰となったそうで、

『もう(芸能界には)戻れないかも』と落ち込んでました

なのだとか。
U-15関係の出版社の取締りが厳しくなった時期に姿を消したので、それと関係あるのかな?と思っていたら、親族問題だったのだとか。


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青学准教授への批判が止まらない件

青学の瀬尾佳美准教授への批判が止まらない。

僕もこのブログを見たが、「アホやな~」と思い放っておいた。だが、批判の嵐は激しさを増すばかり。青学は学長名で釈明する事態に。

問題になったのは以下の文章。

光市の事件に死刑は重い

繰り返すが私は死刑廃止論者ではない。麻原なんかさっさと首絞めたらいいと思っている。だが、光市の事件に関しては死刑は重すぎるように思えてならない。 犯人が少年だからだ。私は少年に対する死刑には原則反対だ。理由は日本では18歳になっても選挙権がないから。選挙権もないのに、義務だけあるのは気に入 らない。年金の掛け金を何千万も横領している公務員がなんのお咎めもない一方で、いくら重大犯罪人だといっても子供を死刑にするのは私の「正義感」には合 わない。もちろん、だからといって何をしてもいい訳ではないが、国が死刑という形で犯す殺人には、熟慮が必要だと思うのである。最低でも永山基準くらいを ラインにしてほしいものだ。永山事件の死者は4人。対してこの事件は1.5人だ(まったくの個人的意見だが赤ん坊はちょっとしたことですぐ死んでしまうので、傷害致死の可能性は捨てきれないと思っている)。一審、二審の判断は、相場から言えば妥当なところではなかったろうか。

好意的に読めば以下のように解釈できる。
「永山事件の[殺人被害者としての]死者は4人。対してこの事件[の殺人被害者としての死者]は1.5人だ(まったくの個人的意見だが赤ん坊はちょっとし たことですぐ死んでしまうので、傷害致死の可能性は捨てきれないと思っている[ので、殺害ではない可能性が半分あるとして敢えて0.5人とカウントしてい る])。」
ここまで好意的に解釈しないと分からない文章を書くというのは人を教える立場としてはどうかと思うが、その点はおいておこう。
この文章での主張は「少年犯罪での死刑摘要は永山事件に準拠せよ」というものだ。その主張のために「4人」対「1.5人」が書かれている。しかし、4人に 対する比較であれば彼女は2人と書くべきだっただろう。4人殺害でなければ死刑摘要にあらずと言っている訳だから分かりにくい「1.5人」を使って強調す る必要はなかった。しかし、この事件に対する釈明の記事で彼女は「説明部分が省略された記事が出回っていて真意が伝わっていない。本当はこう書いていた」 と次のような文章を書いている。

まったくの個人的意見だが赤ん坊はちょっとしたことですぐ死んでしまうので「傷害致死」の可能性は捨てきれないと思っている。ひとつが傷害致死の場合「殺人」の数は1。殺意があったなら2。どちらと信じる理由もないのでここでは1.5としておく

確かに、ここまで書いていれば誤解はなかったかもしれない。しかし、この教授、「キャッシュ」というものをご存知で無いらしい。今、出回っている文章は殆 どがGoogleのキャッシュのコピーだ。この記事での引用も同じくGoogleが後生大事にコピーして保存していたもの。そこには彼女がいう「ひとつが 傷害致死の場合「殺人」の数は1。殺意があったなら2。どちらと信じる理由もないのでここでは1.5としておく」という説明部分は一切載っていない。

自分の「永山基準を遵守すべし」という主張の補強として1.5人という数字を出しておいて、それが批判されると実際に書いたものを改竄して誤魔化そうとしている。更に批判が行われるのは確実だ。

肝心の永山基準だが、4人殺害が死刑の条件とでもなっているのだろうか?判決では永山則夫が不幸な生育環境で犯罪に走らざるを得なかったとしても、同じ環 境にあった兄弟は犯罪に走っていないのだから生育環境は死刑を回避する理由にならないと言っている。つまり、人数が問題になっているのではなく、劣悪な生 育環境を理由に情状酌量する理由はないと言っているのだ。今回の事件でも元少年の家庭環境が劣悪で情状酌量の余地があるという判断がされたが(一・二 審)、最高裁は「それは本当かね?」と言って差し戻したわけだ。

永山基準
死刑の選択は(1)犯罪の性質(2)犯行の動機(3)犯行態様、特に殺害方法の執拗(しつよう)さ、残虐さ(4)結果の重大さ、特に殺害被害者数(5)遺 族の被害感情(6)社会的影響(7)犯人の年齢(8)前科(9)犯行後の情状―を考察し、その刑事責任が極めて重大で、罪と罰の均衡や犯罪予防の観点から もやむを得ない場合に許される

殺害人数は永山基準の一つでしかない。

つまり、この文章には二重三重に過誤がある。死刑回避の論拠になりえない「永山基準」を持ち出したこと。被害者数を1.5人としたこと(一・二審を通じ て、被告は起訴事実を認めており、この点は最高裁でも確定している。だから、被害者二人は殺害されたのだ。裁判事実として傷害致死の可能性は否定されてい る)。その後の釈明記事で投稿内容を改竄したこと。

更なる釈明を待ちたいものだが、ブログが制限されている状態では無理だろうか。

福岡空港を移転させるな!

以前にも書いたが、福岡空港の話題。
福岡空港は日本で一番便利な空港だ。空港からビジネス街まで地下鉄で数分の距離。手続などを含めても30分程度あれば十分だ。その空港に移転の話があるという。

新福岡空港にみる財界人の駄目さ加減

またぞろ建築利権なのだろう。大規模な工事をみんなしたがる。確かに福岡空港には現状のままでは拡張の余地は少ない。住宅が周辺に密集しているし。移転して空港を拡張するという発想も分からなくはない。
しかし、同じ苦労をするなら空港周辺の住民に対して立ち退きを要請してはどうだろうか?移転保障をして土地を買収するのだ。そして、空港を現在の場所で拡張させるのが一番良い選択だろう。
仮に、海上に新空港が出来たとしても、現在の福岡空港はなくならないと思う。恐らく、地元の反対があるだろう。福岡空港は現在の規模では発着数も限られ、 国際空港としても力不足というのは確かだ。だが、本当に国際空港として規模を拡大したいというのであれば、手遅れだと思う。韓国が空港の国際化と大型化で は先行してしまっている。福岡から海外に出る場合、一番便利なのは韓国経由で乗り換えることだ。海上空港に1時間以上かけて行くことを考えれば、そちらの 方が便利だし、恐らく新空港は空港利用料が高いので割りに合わないだろう。

福岡には自民党の大物政治家(山崎拓など)が多い。そのため、空港移転にしても多くの綱引きがある。もし、本当に彼らに”政治力”があるのであれば、住人の立ち退きに対する説得に発揮して欲しいものだ。

2008年4月27日日曜日

意外と平穏だった聖火リレー in 長野

長野の聖火リレーは6名の逮捕者と5名の怪我人を出して終了した。意外と平穏に終わった。中国国旗とチベット国旗がひしめいているところをズームアップしてテレビは放送をしていたが、それであの程度ということは全体的には平穏に終わったということだ。もちろん、近県の警察官を総動員しての大警備が効を奏した。

その点で、チベット側も中国側も抑制された活動をしたのだろう。中国国内のエキセントリックな様子に比べれば数段大人だったと思う。中国の政府当局も人民の抗議活動に自制を求め始めた。フランス政府の政治声明に対する抗議に民間企業を狙うのは民度の低さを示している。その事に中国政府が気付いたのか?
単に方便という可能性もある。さて。平和の祭典オリンピックはいよいよ本番を迎える。世界がイデオロギーで分割されていた頃より世界は複雑怪奇になった。政治化したオリンピックでは何がおきてもおかしくない。テロは中国の警戒体制では防げないだろう。北京への観戦ツアーへの参加は考え直した方がいい。