2009年6月20日土曜日

必要な仕事か?

日経新聞 6月20日 朝刊 39面
「農政職員56人処分 在庫データ捏造 謝礼・旅費の着服も」

横領である。企業なら懲戒解雇なみの処分が下るだろうが、そのことはおいといて…。この仕事、必要か?と思う。

米や麦の在庫量を調査するのは何のためだろうか。食糧流通の統制は行政にとっては大切なことらしい。曰わく、

「食糧流通量が減ると価格が上がって市民が困窮する」
「食糧流通量が増加すると価格が下がって生産者が困窮する」
「流通業者の中には買い占めなどで不当に価格を釣り上げようとするものがいる」

流通量によって価格が上下するのは自然なことだ。何でもそうだが価格は流通量を調整する制御弁であり、生産量を調整する制御弁だ。その制御弁を固定化し、流通量や生産量に自由度を与えないと需要の増減に供給が対応出来ず、不足したり過剰になることが頻発する。なぜなら、供給は規制によって統制出来るが需要は出来ないからだ。
だから、流通統制を国家が行うとその業界の商材は途端に魅力を失う。だから、流通統制などせずに自由化した方が良い。自由化すると買い占めなどがおきて社会生活に影響があるというのは雰囲気として、というところであり、実証的ではない。
仮に、買い占めが起きたとしても、あまり心配することはない。物資の移動や情報の伝播に時間とコストがかかった時代には、流通チャネルが限られたために買い占められると他に選択の余地がなくなり消費者が被害を被った。
だが、今やものも情報も低価格で移動出来るようになり、消費者は容易に購買先を変えることが出来る。だから、買い占めは無意味だし、買い占めを無意味にするほど自由な流通が確立していれば心配ない。生産にしろ流通にしろ、自分達の仕事がなんら付加価値を生んでいないことに早く目覚めるべきだろう。

臓器移植法改正

「臓器移植法改正案」が衆院を可決した。自民・民主ともに自由投票とし、議員にとっては、自身の哲学をかけた投票となった。推進派反対派双方に言い分があり、なかなか難しかったろうと思う。

自分や自分の家族が提供者になると考えると複雑な感情が芽生える。だが、直観的には良かったと思う。救える命が増えることは「より正しいこと」だ。

人を臓器の培養装置の様に「資源化」して良いのかという意見がある。海外では臓器売買に伴う犯罪もあるというし、慎重を期すべきことというのも理解出来る。犯罪を誘発する様なことをして良いのか。悩みどころだ。

TBS「スマイル」感想

昨日の「スマイル」は神ならぬ身が何を基準に判断を下すのかということについて考えさせられた。差別を受けて追い詰められた人が、愛する人を得て、その人を守るために殺人を犯してしまった。

ドラマを見ている方は全てを知っている。いわば神の視点を持っているが、裁判員にはそれを見通すのは無理だ。そういう立場になった時にどうやってベターな判断を下すのか。量刑は正しく判断出来るのか。

裁判員制度が始まったこのクールでは、裁判員をテーマとしたドラマが相次いだ。全てを見ている訳ではないが裁判員制度の負担を取り上げるものが多い。だが、現実には無責任を決め込む人も多いだろう。あまり意見を言わず、他の人の意見に流されるままという人が多いだろう。ベターな判断を下すのはますます困難になるかもしれない。それでも思うのだ。優秀な人が一人で判断を下すよりも、多くの人が苦しみながら判断し、その過程で社会が学びを得ることの方が、神ならぬ身にはふさわしいのだと。

2009年6月19日金曜日

業界消失

総合電機メーカーという呼び方がある。日立、東芝、三菱電機の3社を指す。総合家電メーカーというとパナソニック、三洋電機、シャープのこと。総合エレクトロニクスはNECと富士通。それぞれに業界を形成し、しのぎを削ってきた。

だが、今やこれらのメーカーを一括りに「〜メーカー」と呼べなくなった。東芝は半導体と原子力発電に資源を集中している。三洋電機は電池に集中し、シャープと言えば液晶だ。富士通は情報機器の製造販売からシステム開発やソリューション提供に傾く。
いずれも得意な分野に資源を集中して総合の看板へのこだわりを捨てている。この数年で、企業それぞれの戦略が大きく変わってきた。同じ業界で右にならえで成長出来る時代はとっくに過ぎてしまい、同業と言えない程に企業は変貌を遂げてきた。特に電機業界は様変わりした。
週刊ダイヤモンドの特集は「百貨店」だ。ここ数年の合併で大きくは4グループに集約された。ただ、それぞれで戦略の方向性は大きく違う。高級さを維持してこれまでの物販中心からサービスに商材を変えていくところ。文化事業で集客を図ろうとするところ。徹底的な合理化を進めるところ。扱う商材の構成も店舗の基本構成も大きく違う百貨店が出てくるのだろう。

今はまだ百貨店という名称でつながっている業界も近いうちに消失するのだろう。ショッピングモールとの違いが分からなくなり、食品売り場も高級スーパーと同じになってくると全て「大規模小売店」とおおざっぱにまとめるしかなくなるかもしれない。

低価格ブランドがますます増える

「ナルミヤ、低価格ブランドを百貨店向けに投入」
http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20090619AT1D180BQ18062009.html

「子供服大手ナルミヤ・インターナショナルは8月末、主力の百貨店で低価格の新ブランドを投入する。女子小中学生向けで従来より30〜60%安い。百貨店でも消費者の低価格志向が強まっていることに対応する。大人と同じように最新の流行を取り入れ、ファッションに関心を持ち始める10代女子に売り込む。」

年頃の娘をもつ家庭には嬉しいニュースだ。昨日の投稿でも書いたが(http://blog.goo.ne.jp/kenta_f0219/e/cae7d0c02226e39836f717bd98b2294d)、日本の小売商品の価格はこれまで給与所得者の歪な所得曲線によって高めに推移してきた。日本のサラリーマンの給与水準は20〜30代は低く、40代以上は高くなっていて、所謂団塊世代が多い時期には総所得が高いため消費も旺盛であった。団塊世代が40代になると企業はそのコスト増に対してより高価格な商品を次々と世に送った。だが、そんな高価な商品は売れなくなり企業業績が傾きだす。勿論、バブル崩壊という事件もあったが、それも団塊世代の高給に支えられていたのだから歪さがゆり戻されたときに企業業績が悪化することは目に見えていた。企業は次々と給与水準の見直しをはかり、よりフラットな給与体系が出来上がった。
この給与体系は40代の期待された収入を押し下げることになり、一気に消費は冷え込みバブル崩壊の余波が長引く結果となった。しかし、企業はそれに反応して商品価格を調整し始める。それはデフレといわれたが、実は適正価格への調整だったと考えるほうが妥当だ。百貨店は歪な給与体系の恩恵を全面的に享受した。そのため給与体系が是正され、小売価格が適正に調整されるとこれまでのマーチャンダイジングでは全く商品を揃えることが出来なくなってしまった。

ナルミナの選択はそのことを考えると正しいのだ。逆に今までの全ての価格を見直したものが勝ち残るということなのだと思う。

ジャストシステム社長交代

「ジャストシステム社長交代 浮川社長は会長に」(IT Media)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/19/news012.html

「ジャストシステムは6月18日、福良伴昭常務が代表取締役社長に昇格する人事を発表した。浮川和宣社長は、代表権のある会長職に就く。」

福良氏と言えばジャストシステムが現在の「一太郎」の前身である漢字変換ソフトを開発する際にアルバイトとして入社し、その後社員となってからずっと同社の製品開発を牽引している人物。入社当時歯学部の学生だった福良氏をジャストシステムに入社させるのにあたって浮川氏が福良氏の父親に頭を下げたという話しを聞いたことがある。

一太郎の存在は特異である。マイクロソフトのワードが全盛を誇る中で、日本語ワープロ、日本語文書の作成で未だにビジネスシーンでもファンは多い。また、日本語変換のノウハウは今では多くの携帯電話に導入されていて、意識しているいないに関わらず殆どの日本人は同社の「ATOK」を利用している。10年ほど前からは日本語の全文解析などビジネスインテリジェンスの分野にも進出し、「日本語」に拘ったビジネス展開を図っている。

地方でオフコン販売とシステム開発をやっていた小さな企業が強みを作り出して徹底的に研究してここまで大きくなってきた。これまで集中的に資源を投入して成長してきた同社が更に成長を遂げるには、この強みを梃子に広くITソリューションを展開していくことになると思うが、この段階に来て経営の若返りを図るというのは時期的にも良い選択だろうと思う。福良氏がこれまで以上に日本語に徹底的に集中投下していくのか、それとも周辺の技術開発に拡大していくのか、その選択が楽しみだ。

ラーメンチェーンの限界

吉野家が多角化の一つとして買収した低価格ラーメン事業から撤退する。基幹事業である吉野家の出店を加速するため経営資源の集中をはかり、不採算事業を見直すことの一環だ。倒産に至ったラーメン一番の営業譲渡をうけ展開したが営業赤字解消にはいたらなかった。

ラーメン、特に低価格ラーメンというのは食事という位置付けなのだろうか。それよりもラーメンはスナックに近いのかもしれない。最近流行りの「本格」ラーメンは価格も1000円に近く、豪華で栄養も満点(バランスはどうかと思うが)。でも、低価格ラーメンはそれより軽い「小腹を満たす軽食」やスナックに近い。

"食事"である牛丼の吉野家が"スナック"である低価格ラーメンに参入し、その特性にアジャスト出来なかったのだろう。市場環境が許せば時間をかけてノウハウの蓄積が出来たのだろうが、時期を逸してしまった。今後、ラーメン事業の営業譲渡などをするかどうか。撤退したラーメン事業店舗のアルバイトやパートはグループ内の他の店舗に異動して雇用は確保するというが、事業自体の譲渡先は現時点では見つかってないらしい。

ラーメンチェーンと言えば、最も成功しているのは「日高屋」だろう。店舗数も多いが、それでも店舗は創業の埼玉県と東京、関東近県に限られる。ラーメン一番は創業が大阪で10年足らずの間に全国広い範囲に出店を果たしている。意欲的とも言えるが、「Out of Control」:経営者の制御の外になってしまい非効率になってしまったということなのだろう。吉野家は全国展開しているのでエリアマネージャが各所にいるから、それを活用できればよかったかもしれないが、民事再生で傷ついたブランドイメージや出店先大家とのトラブル解消にも時間がとられ、思うようなスピードで改革できなかったのだろう。

ラーメンに限らず、チェーンの展開というのは人の育成と密接なかかわりがある。日高屋は狭いエリアで集中出店(ドミナント戦略)することによって、食材の配送などの効率を上げると共に、各店舗をマネージャがキメ細かにフォローすることで成長してきた。実は吉野家なども同じだ。それを無視したラーメン一番にはいずれこういう最後しか待っていなかったのかもしれない。

2009年6月18日木曜日

アイシテル〜海溶〜の感想

昨日は日本テレビ「アイシテル〜海溶〜」の最終回だった。

親子とか子育てということについて考えさせられるドラマだった。

多感な時期の親との関係というのは双方にストレスがあるモノだ。
子供の時に自分や自分の兄弟と親の関係が一時的に緊張してしまうことは良くあった。
大人になった今では当時の親の年齢に近づくにつれ、親にも何かが分かっていたわけではないということが分かる。
まあ、未だに親と角突きあわせる人もいるが・・・それも含めて人それぞれに悩み育てていたのだろうと思う。

自分がいつか親として同じような壁や悩みにぶつかるのだろうと思うと人事ではなく、とても面白く見ることが出来た。

外需依存ニッポンを疑う

日本は外需型か?というのは非常に大きな命題だ。僕は実は日本は内需型の経済構造を持っているのではと思っている。日本の人口は今年を境に減少していくという。しかし、人口構成を見てみると、消費意欲が旺盛な64歳までの所謂現役世代の人口が減少に転じたのは平成元年前後。つまりバブル崩壊の直前に消費人口の中心は減少傾向に陥っていたわけだ。それに金融政策があいまってバブル崩壊後に経済が復調するまでに10年を費やした。
すると実は日本の経済成長は1億を超える旺盛な消費意欲をもった消費者に支えられた「内需型」の経済構造であったのではなかったかと思うのだ。現役世代が減少に転じたころに始まったのが、中国などの国外への製造拠点の移転。これは労働人口の減少によって高騰した国内労務費を避けるために製造業が国外に脱出したと見るのが正解で、国外に脱出した分、国内の労働需要が減少したので労働者の給与が上げ止まることになった。しかし、給与水準が高かったのは高給取りの団塊世代が職にしがみついていたからで、メディアで騒がれるほどの年収を得ていた人は労働者の中心である30代までにはほとんどいなかったのだろう。
とすれば、年齢を重ねるだけで異常な高給をとっていた団塊世代が引退していくこの数年は平均給与は下がっていっても、実質的な給与水準は変わらない。ということは、商品価格が下がっていく現在の傾向は、これまでの商品価格が歪な消費者の収入に応じていただけで、今の商品価格が妥当な水準であると見ることも出来る。とすれば、日本はいよいよ本格的に「外需指向」の産業構造を成り立たせなければいけなくて、そんな時に実態にそぐわない「外需依存ニッポン」に踊らされて内向きの政策を打ち出しても意味がないと思う。

弟の敵は兄ちゃんがとる

昨日行われた党首討論の話。
鳩山民主党代表は政権を取った暁には西川日本郵政社長を解任すると表明した。「かんぽの宿」問題への対応が理由としているが、入札の過程に明確な疑惑があるわけでもなく、ただ世論がそう言っているからでは政治家としての見識を疑われる。弟が事実上の更迭に追い込まれたのを兄が敵を取ると言っているよいなものだ。
世論を追い風にしているのは他に理由がないからとも言える。世論が西川退任に賛同しているのは設問が「西川退任に賛同出来るか」となっているからだ。これほど報道情報が偏向していると世論は正確な判断は下せない。例えば、西川続投を決めた経営委員会を支持出来るかとすれば、また違った結果となろう。
日本郵政は株式会社とは言え国が株式を全て保有する会社だから国有法人と同じように政府や国会が社長を決めるべきという意見がある。しかし、民営化を前提とする以上、最も尊重されるべきは株主総会の決定である。日本郵政の株主は日本政府であり、その代表は首相であり代理人は財務相だ。それが紆余曲折はありつつも続投で決したのだから総務相は従うべきだった。
日本の政治上の決断は首相が行う。各担当大臣は首相の決定に従うものであり、従えないなら更迭されるか自ら辞任するしかない。内閣の中で首相は唯一選挙によって選出された人であり、その判断が最も優先される。担当大臣は首相に選ばれた人であって、その権限は首相に依拠する。
兄ちゃんは敵打ちに熱心にならない方が良い。西川退任はマスコミ受けや郵政職員受けは良いが、決して国民のためにはならない。そもそも郵政民営化は郵便局が何故かやっている銀行や保険を民間に解放するのが本旨だ。良く民営化されたら田舎の人口の少ないところには銀行もないのだから不便になるというが、それは逆で郵貯があるから民間銀行が出店しないだけのことだ。今は安価にATMを設置出来るし、人口が減る中で口座を増やしたい銀行はきめ細やかなサービスを展開している。
民営化されて窓口のサービスが悪くなったと言うが、これは郵政職員が客に迷惑をかけながらボイコットしているだけで、責められるのは職員の方だ。もちろんサービス低下しないように指導する責任は社長にあるが、サービスが悪くなったというなら民営化を責めるのではなく窓口の職員を責めてみてはどうだろうか。

地方分権と市町村合併を関連付ける“愚”

日経新聞 6月17日 3面
「市町村再編 ひと区切り 平成の大合併、今年度で終了」

1999年から始まった市町村合併。結果的に市町村は全国で4割減り、財政基盤が強化されたと政府は成果を喧伝する。しかし、行政のスリム化は果たせず、経常収支が悪化しているのだそうだ。今あるものを止めることが如何に難しいかが良く分かる。スリム化するためには驚くほど強力な抵抗を押さえつけてリストラを断行しなければいけない。それが出来るものだろうか?
市町村合併は地方分権の受け皿作りとして与野党ともに更なる合併を望んでいるという。だが、「なぜ地方分権と市町村合併が関連付け」られるのだろうか。地方分権を進める為には自立した経済単位を構成する、ある程度の大きさの自治体が必要なのだそうだ。果たしてそうだろうか。
自治体が分権に耐えられるかどうかは自治体の経営の工夫にかかっている。どれほど大きな自治体でも産業が充分に発達していなければ自立は出来ない。北海道や沖縄が未だに「開発途上」(開発庁があるんだ)なのは広さや人口ではなく如何に"売れる"産業が重要なのかということを表している。
自治体はそれぞれの歴史や偶然、あるいは政策によって発展を遂げてきた。小さくとも自立している自治体もあるし、大きくともやっていけない自治体もある。だが、栄枯盛衰は理。全てが永遠に繁栄し続けるということはない。
だから、政府が出来ることは精々自治体の競争を促す程度なんだろう。助成金を餌に人を操ろうとするのはいい加減止めた方が良い。

2009年6月17日水曜日

タブーをテーブルに載せる

どんな組織でもタブーがあって、誰も言えない雰囲気が醸しだされているものだ。具体的にタブーを口にして窓際に追いやられる、降格されるなどの実害があると組織は無難に過ごそうとするもので溢れかえる。そんな組織では会議を開いても一部の人だけが演説をして終わり。偶に発言があっても本論を避けたり、無難な意見で終わらせたりということで実質的な価値を生まない。
タブーが組織の動きを規程してしまうとすると、タブーを話せる組織とタブーを話せない組織ではやれることの幅が大違いになる。タブーを話すと勿論一時的には感情的にもなるし、ストレスも生じる。しかし、タブーを問題に出来る組織は前進できるだろうし、タブーじゃない問題など軽がると乗り越えることが出来る。
自分に関するタブーが話題になると嫌だなと思うだろうが、それが解消されれば自分しか抱えていなかった問題から解放されて元気になる。「元気があれば何でも出来る」(by 猪木)。
タブーを話そう。真剣に向きあおう。

思い出の岩田屋

日経新聞 6月17日 9面
「三越伊勢丹 岩田屋の完全子会社化 発表」

消費が低迷するなかで三越伊勢丹グループは地方店舗のテコ入れの一環として福岡の岩田屋を完全子会社化すると発表した。岩田屋と言えば福岡天神を彩る名門百貨店。福岡で生まれ育った身としては一抹の寂寥感を禁じ得ない。休日に天神に出掛けて岩田屋で買い物をするというのが楽しみだった。
福岡を離れて随分と経つ。最近では福岡の町の中心も広がりを見せ、若者文化は天神の南側に移っているという。都市の成長と共に消費の中心も移動を始める。
岩田屋は天神から東側にかけて複数の店舗を展開しており、長年に渡って町の中心を"作って"きた。しかし、今は中心に大型資産を持っているが為に身動きが取れなくなったというところのようだ。
三越伊勢丹は岩田屋を子会社化して三越福岡店と統合し合理化をはかるという。合理化は�事業所と物流拠点の統合�カードと外商の統合�仕入れ先一本化と取り扱いブランドの重複解消。�の拠点統合は良い。間接費でも店頭に影響が小さいものは積極的に合理化をはかるべきだ。�は顧客情報管理を一本化するということ。しかし、「岩田屋ブランド」「三越ブランド」は別物である。地方における地元百貨店のブランドは強力だ。三越、伊勢丹、高島屋と言っても地元百貨店がある地域では二番手の百貨店になる。顧客情報管理を共通基盤で共有するのは良いと思うが、相互営業は意味がないので販管費を削減する以上の効果はない。
最後の仕入れ先やブランドの一本化は意味があるか疑わしい。元々、百貨店は単店主義であり、岩田屋は複数の店舗にコンセプトを分けてブランドを入れている。岩田屋と三越に重複ブランドがあるということは岩田屋のコンセプトと三越のコンセプトに重複があるということだ。これは当たり前で岩田屋は福岡の地域一番店として幅広いニーズに応えてきた訳だから重ならない方がおかしい。
ならば、三越伊勢丹グループとしては、三越福岡店をどうするかを決めた方が良い。地域におけるブランド力の弱い三越を閉店して岩田屋ブランドをグループとして売っていく。或いは成長著しい南側に出店して棲み分けをはかる。
この動きには二幕目がまだまだありそう。

2009年6月16日火曜日

自民党にはあきれかえるが、民主党には不安がある

二代連続して首相が一年で辞任し、期待された麻生首相も改革路線の旗印を降ろそうとするなど、自民党には呆れたものだ。自民党は小泉首相によって革新政党としてブランドチェンジを果たした。オバマなんかより早くて具体的で大きなチェンジだ。それが安倍首相が公務員制度改革に具体的に着手しようとして官僚の反撃にあい、追い落とされた。福田首相は粛々と実務を進めていったが安倍政権末期の参院選大敗による捻れで身動きが取れなくなった。
麻生首相はことの顛末を知っているので強面なのに公務員制度改革に踏み切れない。という間に世界経済危機がやってきて政治課題が苦手な経済問題になってしまった。与謝野大臣を引っ張り出し丸投げしたが経済問題が片付くまでは得意の外交はアジェンダにならない。
全く出る幕なしの麻生首相に対して民主党は政権交代と息巻く。自民党支持率が低下したと喜ぶが、民主党も仲良く支持率を落とした。民主党優勢に変わりはないが、あくまでも自民党に比較して。自民党を支持しなくなった人が民主党を支持するわけではない。逆に自民党がサプライズを仕掛けて支持を取り戻せばあっという間に反転する。
民主党の今のマニュフェストは農業戸別補償や年金対策などかつての自民党のばらまきと見紛うばかり。加えて、自治労や公務員組合、日教組などに支持されていて、公務員改革など出来そうな感じがしない。党幹部に日教組の重鎮がいるなど官から民へに逆行しそうだ。
自民党と民主党が共に支持率を下げた背景にはどちらにも失望している国民の姿が映る。正直に言えば次回の選挙では投票に困りそうだ。直感も理性も働かない。

いや〜参った参った…

定額給付金が消費刺激につながらないワケ

日経新聞 6月16日付 3面、10面

定額給付金をあてこんだセールを小売店が展開している。

でも、消費者の節約志向は相変わらずで売上を向上させたのは生活必需品や低価格の外食。
不要不急の消費は拡大せず、百貨店の売上は更に縮小している。

定額給付金が消費刺激につながらない理由は、貰ったお金は増やそうとは思わないからだ。お金を借りた場合、利子をつけて返済するために、人はお金を増やそうと努力する。増えたお金は更に必要としている人に貸し付けられ更に増える。お金を借りられる人も増え、更にお金が増えていく。それが貰ったお金ならば増やす必要もないので急いで使って増やせるようになろうなどとは考えない。
「生活防衛」というが、本当に生活出来ない人には生活保護もある。失業者には失業手当てがある。給料が減って生活が苦しいというなら、節約すれば大抵はどうにでもなる。
一時的に収入が減って大変な人にはローンを提供すれば良く、金融機関が小口の貸し付けがやりやすいようにしてやれば良い。
財源の裏付けもない給付金に後追いで増税が迫ってくることは国民は分かっているので臨時収入があったからと何か買おうとすることはない。それよりは新車購入の税金減額や空港使用料の補填により、税による需給ロスを減らすことが政府のやるべきことだろう。何かを買うことに伴う税金を減額する方が、消費刺激効果も高いし、それに伴うコストも安い。

鳩山辞任の最後っ屁

鳩山邦夫が総務大臣としての最後の会見で、春先に麻生首相とポスト西川の郵政社長人事についてやりとりしたと発言した。最後まで強気だった根拠がこれだったようだ。細田幹事長はこの発言を批判しているが、これには同感である。水面下の調整について公にするのは信頼関係を失う。
かつて、森元首相が拉致被害者を北朝鮮以外の第三国で発見されたことにして軟着陸させようと外国首脳と話していると発言して問題になった。これで拉致被害者の帰還に関するオプションが一つ消えた。同じような軽率さ危うさを感じる。
数ある可能性を探るのは当たり前のことで、その過程において言質をとられない様にして最終的な落としどころを決めていく。これが過ぎると不信感を招くが、オプションを持たずに最初からたった一つの結論しか持っていないと脆さを感じる。
鳩山氏は、その直載な物言いが評価されているのだろうが、アルカイダの友達発言や今回の発言の様に、自分の大きさや正しさを声高にアピールしようとするところがイマイチ信用出来ない。

※西川おろしにはナベツネも関わっていたらしい。国民の審判も受けていない政界のフィクサー気取りに振り回されるとは、政治家も情けない。マスコミが鳩山氏に同調していたのにはナベツネの影響もあったわけか。

2009年6月15日月曜日

クラウドコンセプト

「クラウド」というのはIT関連のバズワードになってしまった。だが、このコンセプトを分解してみると分散処理とかインターネットサービスとか結構昔からあるコンセプトの化粧直しだということが分かる。なので、同じ「クラウド」という言葉を使って違うコンセプトを提案してみたい。

この提案を考えたのは随分と昔のことだが、最近なるほどという商品が出て来て改めて見直そうと思う。クラウドコンピューティングは主にネットの"向こう側"のITリソースを組み合わせることで、必要な機能を手に入れることだが、僕のコンセプトは"こちら側"にある。こちら側のITリソースをより細かく単純な機能に分割して、それらの組み合わせで必要なソリューションを使う側が作り上げるというものだ。

コンピューターというのはことデジタルに置き換え可能なものには何にでもなる「万能機械」だ。だが、「何でも出来るは何も出来ないのと一緒」という様に、コンピューターは目的を持った人には使い勝手は悪い。
確かに、ノートにも計算機にも、本にもなる。だが、どの用途でも使い勝手はイマイチなのだ。
Amazonが電子ブックを発売し、POMERAというメモ専用機が発売されて人気が出ているのは、その用途の使い勝手が良いからだ。コンピューターは何でも出来る必要はなく、その人に必要ないくつかの専用機があれば良いのではないか?と思うのだ。
精々7つ程度の専用機が共通プロトコルによって連携して動けば十分ではなかろうか。

どうすれば会社の業績が上がるかを問い続ける

会社の業績が厳しい。「足元」というが今期の売上見込みが芳しくない。これは多くの会社に当てはまることである。業績が悪いのは色んな理由が見つかる。

曰く、

「不況だから」
「顧客が買わなくなったから」
「商品に魅力がないから」
「経営者がバカだから」

などなど。

でも、こんなことを繰言のように言っていてはダメだ。

「どうすれば不況でも売上が維持できるだろうか」
「どうすれば顧客に買ってもらえるように出来るだろうか」
「どうすれば魅力的な商品を開発出来るだろうか」
「どうすれば経営者に自分の考えに賛同してもらえるだろうか」

そして、

「どうすれば日本一魅力的な会社になれるだろうか」

ということを考え続けなければいけない。

日本一なんてなれるワケないって?

訳知り顔の評論は必要ない。
どうすれば達成できるかっていうアイデアを考えよう。

リーダーシップ研修

社内で「会議運営」に関する研修を行うこととなった。そう、講師をすることになったわけだ。会議をうまく進めるための「スキル」を教えることを期待されているようである。

しかし、

会議をうまく進めるのは「スキル」以前に「リーダーシップ」の問題であろうと思う。

曰く、

「議題に関係ない話を延々とする」
「会議中に呼び出されて中断する」
「発言が要領を得ず、時間がかかる」
「感情的な衝突で雰囲気が悪くなる」
「結論がはっきりしないで終わる」

などなど。

これらは議長やリーダー、上司のリーダーシップの問題であろう。

議論に関係ない話をさえぎり、会議中の呼び出しをしないようにしむけ、要領の得ない発言に質問を加えて整理し、感情的な衝突をクールダウンさせて建設的に議論させ、結論を明示して参加者に行動を促すのはリーダーシップ以外の何者でもない。

さて、プログラミング研修でも受ける気分で来る人にどういう「ハンマーセッション」で自省を促そうか。ちょっと楽しみである。

パッケージとスクラッチ−企業の基幹システムコンセプトの考察

企業がシステムを導入するとき、最初に、あるいは最後に問題となるのは「パッケージ(出来合い製品)にするか、スクラッチ(一から開発)にするか」ということである。一方は「市場で稼動が実証された安価な先進的な製品を導入することが出来る」とされ、もう片方は「自社の独自性や特殊性に応じた細やかなシステムを構築できる」とされる。しかし、この様な紋切り型の説明を含めて企業が基幹システムを検討する時に何を基準として選択するべきなのかということについて考えてみるべきだ。

企業で行われていることを、多少単純ではあるが、二つの軸で分けるとすると「変わりやすい<=>変わりにくい」と「フロントエンド<=>バックオフィス」という様になる。この中で「変わりにくいバックオフィス向け」は最もパッケージを採用しやすい。仮にスクラッチで開発したとしても、長期にわたって変更を行わないため、変更が必要になったときのオーバーヘッドが大きく、コストが最終的に割高になっていく。また、この種のシステムは会計や人事など公的な規則や法律に即したものである場合が多く、企業による独自性も出にくいので汎用的なパッケージで十分なのである。
「変わりやすいバックオフィス」向けというのはそれほど多くない。請求書の様式など取引先との関係によるものが多いので、個別の対応が必要にならざるを得ず、事毎にシステム開発をするケースがまだある。しかし、この種のものにも実は半製品ともいえるパッケージが沢山リリースされている。帳票をエンドユーザが開発出来るようになっているツールやデータの変換ソフトなどである。汎用的でありかつ特殊用途でも応用できるシステムを選定して導入するべきだろう。ただし、この種のツールは会計システムなどに比べると割高である。実際に利用する頻度などによって、導入するかどうかは検討するべきだろう。その手の半製品を使って開発業務を提供する会社もあるので、それを利用するのも手である。
「変わりにくいフロントエンド」は顧客との情報交換や社内の情報共有のために採用される、所謂情報系と呼ばれるものである。比較的軽く見られがちだが、一連の情報化の波の中で最も効果を発揮したシステム群であると思う。なので、システム領域で最も目立つ製品群であるとも言える。
「変わりやすいフロントエンド」は企業やその業界の商習慣が埋め込まれていることが多い。そのため最もシステムかもしづらく、システム化した際の変更も多い。そのため、システム化されていない最後の砦であるとも言える。逆に言えば、この領域のシステム化を実現できるかどうかが企業の競争力の源泉になってもいるのだ。だから、このノウハウだらけの業務をシステムに埋め込むのはその会社にしか出来ないことで、スクラッチ開発にせざるを得ず、パッケージは採用するべきではないだろう。

そう考えていくと、四分割した領域のうち、どうしてもスクラッチにしなければいけないのは一つだけで大半のシステムはパッケージを導入した方が良いだろう。スクラッチで開発する部分は自社の競争力になっている部分であって、それ以外は多少「システムに業務をあわせる」必要があるだろうが、パッケージ導入で十分であると思う。
ノウハウをシステムに埋め込むことに抵抗されることもある。ノウハウをシステム化した途端競争力でなくなるというのである。しかし、ノウハウが人についている限り、それはその人の競争力であっても会社の競争力であるとはいえない。その人がいなくなれば無くなってしまうほどの競争力であるのだ。だから、ノウハウはシステム化しなければいけないし、システム投資の大半はその部分に注がれるべきだろうと思う。