2010年6月19日土曜日

賢い政府はクラウドに劣る

菅首相の支持率が高いらしい。でも実は安倍首相よりも低く、福田首相よりも少し高いだけ。この程度の支持率は高いとは言えない。そんな菅首相の支持率は彼の主張にあるのでは…とも思ったが、どうだろう。

彼は「増税しても政府が賢い使い方をすれば高い経済効果がある」と言った。でも、自民党が公共事業をばら蒔いても経済効果はほとんど無かった。だから、菅首相は「賢い」という枕詞をつけるのだが、事前に客観的にそれが「賢い」かどうかを判定する方法があれば、この主張は正しい。

しかし、社会を単純に紐解いて正しい答えを導き出すことは出来た試しがない。なのに選挙で主張されるのは「私達は対立候補よりも正しい選択が出来る」ということばかり。政府に正しい選択が理屈や実績がないのに何故そんな言葉に騙されるのだろう。

菅首相を始め、社民党や自民党の左派(亀井氏など)などの中道左派の人たちに共通するのは「限りない自己の無謬性に対する自信」と「傍迷惑なまでの正義感」である。それは同時に「有権者を愚民と見なすエリート(選民)意識」と「政敵を悪人に仕立てるプロパガンダを正当化する卑怯さ」を持っている。要は「俺が一番頭が良くて正しいのだから、多少馬鹿な国民を騙したとしても結果的にばら蒔きでみんなを豊かにしてあげるのだから文句を言うな」というものだ。これは彼の金正日の考え方にも共通する封建領主の意識だ。

残念ながら、このような自身の考え方の危うさに当人達はナカナカ気付かない。封建制度下の一部のエリートが意思決定することで招く失敗を避ける為に生まれたのが「多くの利害関係者が対等に取り引きすることで最適な選択を継続する"市場"」というものだ。市場には希望すれば誰もが参加可能である。19世紀から21世紀にかけて世界がそれまでの何倍もの勢いで成長したのは、それまで一部のエリートだけの力で行われていた投資や意思決定が市場を通してみんな=クラウドの叡智を集めたからだと思う。

菅首相は財務省の考え方に傾倒するのは自身に官僚と同じ「選民意識」や「無謬性」があるからだが、これからの時代はエリートが意思決定するのではなく多くの人が意思決定に関わるシステムを作ることが重要になる。だが、菅首相が考えるのはみんなより政府の方が賢くあることが出来るという前時代的な封建社会なんだと思う。