2009年6月26日金曜日

通販がコンビニ・百貨店を抜いたということを考える

日経新聞 6月26日 朝刊 一面
「通販、コンビニ・百貨店抜く」

インターネットとカタログ・テレビ通販を合計した通販市場の売り上げが8兆円規模に上り、コンビニと百貨店の規模を抜いたのではないかという話。

最近ではインターネットで普通に買い物をする様になった。自分の消費の割合を考えると規模が逆転するのは当然。ただ、コンビニや百貨店と違うのは業界最大手の楽天ですら、取り扱いは7000億円足らずだということ。

コンビニや百貨店、スーパーやショッピングセンターが最大手は1兆円を越えることを考えると小粒感がある。というのは、ネット通販の開業に必要な資本の規模が圧倒的に安いのだ。そのため開業も継続も比較的小規模でプレイヤーが分散しているというのがネット通販なのだろう。

楽天はその中で、自ら販売をするのではなく、ネット通販のインフラを整備する側に回ったから規模が大きく見える。通販の主体を、自ら仕入れ販売するものと定義すると楽天は通販業者ではなく、市場運営者なのでプレイヤーの規模は桁が二つ変わってくる。

小さな販売主体と、さらに小さな購入主体をマッチングする市場を提供したのが楽天成功の要因だし、凄いところだと思う。記事では「返品ルール整備課題」があると業界の信頼性に疑問を投げかける。楽天はここを突破口として行政=官僚が介入してくることを警戒していて、先の薬事法改正に反対した原因でもある。楽天は今後は業界の秩序を打ち立て行政に対する防壁となることが求められよう。官僚に手を突っ込まれる前にカウンターを食らわせて欲しいものだ。

郵政民営化が良いと思うわけ

あるところで「民営化をする理由は何?」と聞かれたので答えることにした。

国営企業が国営たる理由は何だろうか。三つ考えられる。

1)その事業が国民の福祉に欠くべからざるものであること。
2)その事業が民間企業が展開することが出来ないほど大きな投資が必要であること。
3)その事業が経済合理的には国民が贖えないほど高い価格でしか提供出来ないこと。

郵政三事業をみてみると、この三つを満たすものは一つもない。まず銀行事業である。今や3大メガバンクもあれば、地銀も提携などで力をつけ、地方の辺境にも出張所などのネットワークが張り巡らされている。テレホンバンキングもネットバンキングも地方の不便さを感じないほどだ。地銀同士、メガバンク同士のネットワークもあり、セブン銀行ではATM利用料が無料になるケースがあって、全国サービスのゆうちょがある必然性がない。それでも銀行の支店やコンビニがないという地域には、それこそ官営で金融機関の共同窓口を開設すれば良い。

簡保は全く必要ない。保険の金融機関窓口販売やネット保険など様々な保険があって簡保がなくとも保険サービスがなくなるとか、国民が困るということはない。

郵便はどうか?今やヤマトや佐川のメール便は郵便と変わらない料金だ。全国に配達している。小包が小包が配達出来るのに信書を配達する能力がないなんてことがあるわけない。

こうして見ると三つの条件を満たす事業は一つもない。しかし、社会インフラとして「経済合理性がないから止める」と突然言われてはいけないから国営で事業継続を担保するのだという。つまり、民間企業は経済合理性がないと支店閉鎖などでサービス提供しなくなるというのだ。果たしてそうだろうか?

郵政三事業に共通しているのはサービスネットワークであるということだ。ネットワークを維持するコストは参加者の数に比例し、ネットワークの価値は参加者の数の二乗に比例する。価値は売り上げと思えば良い。つまり、民間企業にとって日本全国を繋ぐネットワークを維持することが利益の源泉なのだから経済合理的に一部から撤退するなんてことはしない。

かつて、交通網が未整備だったり通信技術が未発達だった時代、郵政三事業には大きな意味があった。当時日本全国に信書をどこにでも届けることが出来る郵便ネットワークを作ることは育ち始めたばかりの民間資本には無理だった。銀行も保険も精々地方都市までで、その周辺まではサービス網は広げられなかった。しかし、今ではネットワークを張り巡らす資本十分に育ち、既存の企業もいる。

つまり、時代が変わって郵政三事業が必要ではなくなったのだ。これは日本が豊かになったということの裏返しで大変に良いことなのである。郵政三事業が民営化されるとアメリカに200兆とも300兆とも言われるゆうちょと簡保の資産が奪われるという。「な〜に〜!やっちまったなぁ!アメリカが日本に強盗に来る」

実際には強盗には来ない。ゆうちょと簡保がアメリカに投資するかどうかは彼らの投資判断で、アメリカに投資するのであればそれが魅力的だったからだ。それが嫌なら、ゆうちょから貯金を引き出して、地元の銀行にでも預ければ良い。それか国債を買っても良い。ゆうちょに預けるのと結果は同じだ。

ゆうちょや簡保は投資先が国債に限られるので正しい投資判断能力がないというのは賛成出来る。野放図な投資がされないように、ゆうちょ自身が投資審査委員会などで査定をするべきだろう。金融庁も放漫経営にならない様に監視を強化すべきだ。その意味でメガバンクの頭取経験者が日本郵政のトップに就くのは当たり前のことだ。

「郵政民営化でゆうちょと簡保の金がアメリカに流れる」という定説は、こうして見ると根拠に乏しいことが分かる。アメリカにも優良な投資先があれば流れるだろう。でも、それよりも魅力的な投資先が日本国内にもあるわけで、そういった資金ニーズの高い産業に真っ先に投資される様になるのだから良いではないかと思う。

他にも質問されたことがあるが、まずは郵政民営化が良いと思うわけ−というより、国営でやる理由がないと思うわけについて投稿。

2009年6月25日木曜日

嫉妬は醜い

<a href="http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090623/198327/?bvr">「有能な部下はいらない!」上司の嫉妬と出世欲</a>

男の嫉妬は醜いっていう話し。

そう。醜いのです。しかも典型的な嫉妬と分からないだけに醜いし自覚もしにくい。

最近こういうことがあった。親会社も一緒になったある重要な会議で、その場では幾つかの重要な事案について情報交換と意見交換が進んでいたのだが、突然そこに出席していた常務が「コレをしろ」「アレをしろ」「これは誰がやるんだ」などと仕切り始めた。全体の流れとしては彼は状況を把握していれば良いだけで、何も発言する必要はなかった。

なんでそうなったのかということについて考察すると、その会議で一番ものが分かっていなかったのが彼だったからだ。実務的な会議だったため、業務現場の現状についての情報交換や意見交換が主なものになった。普段から業務を把握していれば良かったのだろうが、業務が分からないので全く会議に参加できない。それが他の発言者への攻撃になって態度に出てしまったというところなのだろうと思う。

実際、財務関係の実務や金融機関との交渉においては力を発揮できる人なので、こんな所で存在感をアピールしなくとも、と思う。部下が力を発揮するのを喜べる精神というのはとても大切なものだ。

野党のあまりにも愚かな公約

民主党や国民新党などの野党が、政権を奪取したら郵政民営化を凍結することを公約にすることを合意したのだそうだ。なんと…。救いのない話だ。郵政の上場凍結に加えて郵便・銀行・保険の一体営業に戻すと言っている。民主党は「郵便民営化は推進するべきだが、かんぽの宿の売却は不透明なところがあるので追求する」と言っていたが、やっぱり民営化反対だったのだ。

2009年6月24日水曜日

過剰品質

欲しいものが十個あるとして一万円を使えるとすると千円ずつで十個買ったりはしない。五千円で一つ買って、二千円で一つ買い、千円で二つ買って、二百円で四つ買って、百円で残りの二つを買う。
そこで、使えるお金が半分の五千円になったとしたら、五千円と二千円で買ったもののグレードを落として買うことになる。安いものを買い控えても五千円の減収はカバー出来ない。だから、高いもののグレードを落とす。いや、そもそも高いものが必要なのか考え直す。

昨今のアパレル不振は不況によって消費者がこの様に「買い控え」るために起きているのだという。果たしてそうだろうか。アパレルメーカーは今の嵐をやり過ごすためにリストラをして身を潜める。しかし、景気が回復しても往事の売れ行きは取り戻せないのかもしれない。

一昨日の記事でも書いたように、アパレルの売れ方は確実に変わってきた。だから、高い価格を裏打ちする過剰品質を見直して全く新しい商品像を作り上げなければいけないのだろう。

「アタシんちの男子」最終回

昨日、フジテレビの「アタシんちの男子」が最終回だった。

ホームコメディにありがちなご都合主義が随所に見られたが、「家族」というものが血統によって"なる"ものではなく、人と人の喜怒哀楽の積み重ねの中で"作られる"ものだというのがコンセプトだった様に思う。展開として主人公が「母親十か条」という課題をクリアするために兄弟や仲間と協力して進んでいくというのはロールプレイングゲームの様であった。さしずめ高島礼子演じる弁護士の小金井響子はストーリーガイド、田山涼成演じる田辺義男は村の長老といったところか。山本耕史演じる時田修司はゲームの変化をつける蝙蝠キャラで最終的には風に社長を譲るあたりなど美味しいところは持っていった。

最終回でつるの剛士演じる国土豊がどこかの御曹司という様な設定が登場したが、伏線も何もドラマは終わってしまった。母親十か条も最終回で残りの4つがまとめてクリアされていて、ドラマの長さ(1クール11回)についてもっと考えた方が良いのではないかと感じる。最近のドラマは朝日テレビ以外は必ず1クール11回。多少の伏線があるドラマにしようとするとちょっと短いのではないかと思う。

ということで、堀北真希も可愛かったし、それなりに満足。あと、仮面ライダー多くね?

2009年6月23日火曜日

レキジョなんかより年季が入ってます

最近コンビニなどで戦国武将の解説本が売られている。人気なのは真田幸村と大河ドラマで一躍有名になった直江兼続など。ゲームなどで現代的にアレンジされた戦国武将は「格好いい」らしい。ただミーハーなだけでなくレキジョは色んな本でその武将を調べるのだとか。

でも、こちとら小学生の時に子供向けの日本史の読み物を読んで以来の歴史好き。年季が違うのだ。なんといっても最初に読んだ戦いは大化の改新の天智天皇の蘇我討ち。最初にファンになった武将は楠木正成。千早城攻防戦は子供心に興奮した記憶があるが、後に三国志演義などを種本に脚色したものだろうと知って、中国の歴史に興味を移したものだ。

名高い「関ケ原の合戦」は歴史上二回ある。天智天皇の皇子、大友皇子(即位していたとして弘文天皇と諡される)と天武天皇の間で起きた「壬申の乱」が最初である。つまり、天下を二分しその後の日本の形を左右した戦いは共に関ケ原を舞台としていたわけだ。

GoogleMapsで関ケ原の辺りを「地形図」モードで見てみると何故ここが戦いの場となったのかが良く分かる。濃尾平野から琵琶湖に抜けて南下し京都に至るには、関ケ原を通って行くしかない。天武天皇も徳川家康も招集した兵力をいったん濃尾平野で集結させて京に向かったので、ここを通らざるを得なかったわけだ。そして、迎え撃つ側はこの狭い場所で迎え撃つのが戦略となり、ここは古来戦場となる運命にあった。

これ以外にも関ケ原を舞台とした戦いはあったのだろう。それほどに関ケ原は要衝であったのだろう。歴史は戦国時代だけではなく、古代から連綿と続く。その広がりの中で歴史を見ていって欲しいものだと思う。

温暖化対策の目標は低目?高目?


日本経団連、「敗戦」の裏側

「6月10日、麻生太郎首相は日本の温暖化ガス削減の中期目標を発表した。2020年までに2005年比で15%削減するというもの。同4%減を主張したが、受け入れられなかった財界の重鎮たちは敗戦の弁を繰り返した。」

温暖化対策で二酸化炭素などの"温暖化ガス"削減を目指すのはあまり意味がないと思うが、「世界は物語で動いている」ので、これも世界を動かす物語になってしまったということだ。

今回の政府の決定「2005年に対して-15%」が高目なのか低目なのか妥当なのかは分からない。他国はに比べると遜色のない目標と言えるが、ヨーロッパなどは1990年対比で60%の削減を言い出していて、それと比べると1990年以降ずっと排出量が増えている日本では目標が低いと批判されても仕方ないという言説がある。ただし、ヨーロッパは全く排出ガス規制のなかった東欧諸国を統計に取り込んでいて、そこに西欧諸国の「普通の」対策を行うと60%の目標も軽くクリアできるという。日本には対策されていない領域が極端に少なく自動車にしても日本車の排出ガス基準は世界一なのでハンデがあることは間違いない。

そう考えると表の数字の中で民主党の30%というのは何を考えているんだろう?とクビを捻りたくもなる。政権が近づいてきて、この主張を実行に移さないといけなくなったときに慌ててもしかたがない。温暖化ガス削減は企業に対して求めて国民から拍手喝采を夢見ているのかもしれないが、実際には企業が負担した費用は商品やサービスを通して国民のもとに降りかかってくる。そのとき国民が高い負担を忌避したとき、国内産業が痛まないという保証はない。温暖化対策プロモーションはある程度浸透しているようだが、国民は過大な経済的負担を認めてはいない。企業が創出した利益からその負担を拠出することを民主党は考えているようだが、それも笑い話だ(去年のリーマンショックで派遣労働者の雇い止めが問題になったときに、民主党は企業の内部留保を取り崩して雇用し続けろと経営センスのないことを露呈した)。

実現可能で継続可能な温暖化ガス削減は究極的には消費を抑制するということになる。あまり電化製品を使わない、買わない。外食を控える。地産地消。買わなければ企業が利潤を上げることが出来ず、最悪は倒産してしまうが、それを前提としてそういう対策が打ち出せるのだろうか?人間に限らず、地球上に生きている生物がある程度利己的に生きているのは当たり前の話だ。しかし、それもある程度である。継続可能な社会を前提とすれば、企業の使命は社会を豊かにすることで、経済的にも道徳的にも豊かさを追求する。消費者も同じことで、その複雑な人と人の作った組織の揺らぎの中に実現可能な解決策があるのだとおもう。

その意味では今回の温暖化の目標はどっちつかずであまり良い数字とは思えない。まったくやらないか、やるんだったら徹底的にやるか。まったくやらなくても企業は環境対策を講じ続けるものだ。それを信ずるならば、特に民間にプレッシャーをかける必要はない。それを信じないのであれば、実現がものすごく困難な目標を掲げた方が良いだろうと思うのだ。

いずれにせよ、中途半端はいけない。

NO MORE 空港 NO MORE 赤字

日経新聞 6月23日 朝刊 3面
「日航再建 国が「監督」 路線縮小労使関係 遅れる経営改革」

政府は日本政策投資銀行とメガバンク3行が日航に対して行う1000億円規模のシンジケートローンのうち日本政策投資銀行の分に政府保証をつけることで日航再建を支援することを決定した。同時に日航の経営も政府が監視指導する。

日航は何度も経営改革を計画してきたが、不採算路線の縮小が労組や地方自治体、地方議員などの抵抗で進まず抜本的な改革が進んでいない。そもそも日本には空港が多すぎる。話題になった静岡空港も、国内線も国際線も需要が少なすぎる。静岡には産業も多く、それなりに需要がありそうだが、ビジネス客以外で高い運賃を払うかというと疑問だ。需要があったとしても便数が少ないため利用者には不便で、羽田を使う方が便利だ。

それでも静岡はまだ良い方で、その他の地方には需要が明らかに十分にないのに作られた空港が沢山ある。日航は「政策会社」として、これらの地方空港にどうしても路線を作らなければいけない。それが日航の抜本的改革を遅らせる。郵政民営化もそうだが、経済合理性というものを真剣に考えた方が良い。飛行機をいっぱいに出来るほど需要のない地方に飛行機を飛ばすことが地方経済の活性化にはつながらない。空港は寂れ、赤字の一部は地元自治体が負担するなど結局は国民の経済的負担が大きくなる。

今後日本の人口は減少していく。これからは日本国内の航空ネットワークではなく、東アジアの航空ネットワーク全体を考えた上で航空行政を考えなければいけない。その上で不要な空港は積極的に廃止するなどの対応が行政にも求められるだろう。今も空港建設の申請はあるかもしれない。でも空港はもう十分だ。むしろ減らして欲しい。空港も航空会社もこれ以上税金は投下しないで欲しいものだ。

民主党が勝っても郵政民営化は引き返せない

『民主党が勝ったら、郵便事業は…? 「民営化見直し」は"悪手"の恐れ』
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090617/197893/?bvr

民主党の鳩山代表は政権をとったら真っ先に郵政民営化の見直しを行うとアピールしている。郵政組織票を狙ったリップサービスだ。他にも農家の個別補償を行うなど民主党の公約には既得権益を守護するという姿勢が明白だ。数年前には、自民党=大きな政府
VS 民主党=小さな政府という図式だったように思うが、いつの間に逆転してしまったのか。小泉元首相の仕掛けた郵政選挙でこの図式の逆転が起きた。それまで規制維持、大きな政府推進であった自民党は突如として規制緩和、民力活用に一気に方向転換した。小泉首相は郵政民営化反対派の自民党議員の公認を許さず、対抗候補を擁立してまで規制改革を強行した。その結果、自民党の政策の方向性は小さな政府を指向するものに変容した。

従来小さな政府路線を進めていた民主党は対抗上郵政民営化反対に回らずを得ず、その結果規制維持、既存権益保護の政策を打ち出さざるを得なくなった。つまり、自民党と民主党の政策の逆転を演出したのは小泉首相であると言える。民主党にも旧社会党や社民党など保護主義的な勢力があり、大きな政府を指向する勢力があったこともこの事態を招いた原因の一つだった。そう、民主党が政権をとった場合には小泉行政=規制緩和、民力活用、小さな政府を否定せざるを得ない。来るべき?鳩山行政は規制維持、行政主導、大きな政府となってしまいかねない。

それが郵政民営化見直しに顕れるとすると、この問題は様々な点で将来を占う。仮に、鳩山政権が郵政民営化に伴って郵政民営化関連法を停止する法案を提出し可決されたとすると、ゆうちょ銀行とかんぽ生命が上場されなくなってしまう。郵政民営化の肝はこの二社を民間に開放して、巨額の貯金や保険料を金融市場に流れ込ませようという点にある。200兆円とも300兆円とも言われるお金が金融市場になだれ込めば企業活動の活性化に与える影響は計り知れない。

それに比べると、失礼ながら郵便局の民営化の見直しというのは小さな話しだ。この記事の筆者が言うように、郵便事業は物流視点で言えば「共同配送」専業ビジネスなのだが、民間企業であるヤマト運輸や佐川急便が全国津々浦々に配達をするように、民営化された郵便事業が全国に張り巡らした配送網を切り捨てるなどは自社の競争力を捨てることになるので絶対にやらない。民営化反対派は国民に不安があるという。マスコミは街角でインタビューなんかをしているが、編集にバイアスがかかっているので真実は映していない。

官僚が改革に抵抗する方法はサボタージュとリークと自爆テロなのだそうだ。日本郵政社員も官僚の流れを汲む元公務員。最近の郵便不祥事は民営化を担う民間出身の社長を追い落とすための自爆テロなのだと思う。かんぽの宿問題も郵政社員によるリークで、リーク情報にバイアスをかけて民主党に流したので民主党が飛びついたというところなのだろう。

自民党であれ、民主党であれ、郵政民営化の流れは止められないし止めてもいけない。止めれば郵政社員と郵政官僚は溜飲を下げようが、国民に良いことは一つもない。赤字は税金で補填され、折角の国民の資産である貯金や保険料は訳の分からないハコモノに姿を変える。制度疲労に陥った郵政はいずれにしても民営化するくらいのドラスティックな転換が必要なのだ。

2009年6月22日月曜日

電力自由化でも結構不自由

日経新聞朝刊の5面の社説に電力自由化についてかかれていた。

会社で電力会社を変えるという話があった。オリックスが総務部に持ちかけたのだ。結果的には東京電力のままで、オリックスの提案は受けられなかったのだが、その経緯を。

当初電力会社を変えるということで社内ではリスクを言いたてる声が大きかった。曰わく、

「電力供給が不安定になったらどうするの?」

オリックスからの提案は以下の様なものであった。オリックスがリースしていた発電機があって(工場などで停電に備えて設備されていた自家発電設備)、リース終了で保有しているもので発電し、それを企業に売るというもの。発電設備の償却は終わっているため、発電のための費用は燃料費と保守費だけ。なので東京電力より安く電力供給出来るという。

実際にはオリックスの発電所から会社に直接送電される訳ではなく、オリックスが電気を東京電力に送り、東京電力は今までと同じように僕の会社に電気を送る。電気は東京電力に送られた時点で一緒になるから、実態としてオリックスの電気が送られて来る訳ではない。だから、供給不安定になることもない。

総務部の担当者の理解不足と説明不足のせいで無用な不安がおきたが、このことがオリックスの提案が却下された理由ではない。東京電力からオリックスに契約を変える為には電気メーターを変える必要がある。メーターの付け替えには一時的に停電が発生する。大抵のものは大丈夫なのだが、社内に設置されているホストマシンだけはどうしてもダメだ。ホストメーカーのサポートが必要になり、その費用で電気料金の値下げが吹っ飛んでしまう。

問題はメーターを付け替えなければいけないということ。メーターのデータは送電線を通して東京電力に送られるはずだが、そのデータはオリックスに開示されないらしい。そのためオリックスがメーターをつけて測定するということになるらしい。

独占企業が自己のリソースを参入障壁にするというのは良くある話だが、自由化の実態をまざまざと知った。結構不自由な自由化の話。

サプライサイドからデマンドサイドへ〜芸術からデザインへ

百貨店の5月の売上状況が百貨店協会から発表された。
http://www.depart.or.jp/common_department_store_sale/view_past_data?month=06&year=2009

前年度に比べて売上高は12.5%(店舗数を調整した値は12.3%)減少した。去年の3月から15ヶ月連続で前年割れをしており、今年の2月からは四ヶ月連続で10%を越える減少幅だ。衣料品の減少は15.4%で食料品が5.2%だから売上減少の多くの部分が衣料品の販売不振によるものと言える。消費者が衣料品を買わなくなったのかというとそうでもなくユニクロの5月売上は前年比で18.3%の伸びを示す。(http://www.fastretailing.com/jp/ir/monthly/pdf/MonthlySales_2009.pdf

消費者が不況で価格重視になってきていて高価格である百貨店衣料品を買い控えているのだ、というのが業界内の見解だが、百貨店衣料の販売不振は今回のリーマンショックが始まる前から数年にわたって続いていて、逆にユニクロの売上増もこの数年のことである。だからアパレル業界で不況を業績不振の理由にしている人は生き残れないだろう。事実としてはアパレルの売れ方が変わってきたということなのだ。

去年H&Mが銀座に出店し、次いで原宿に出店したときに業界内の人は「ああいう品質と価格のものが長続きするとは思えない」とか「一時的にはブームになるかもしれないけど、どうだろうね」などと言っていた。ブランドに対する信認があつい百貨店やブティックの商品が負けることはないと思っていたわけだ。しかし、実際は不況の影響もあるが、既存ブランドは業績が悪化し、ユニクロとH&Mは快調でForever21が更に進出して賑わっている。

「ファストファッションの受容が示す日本のコンテンツリテラシー」
http://japan.cnet.com/column/contents-innovation/story/0,3800096235,20395286,00.htm
「現状では、ファッションコーディネイトに関する知識が豊富なユーザーが「プロ化」し、どんどんクリエイティブな方法でファストファッション使っています。具体的には、ファストファッションと非ファストファッションを併用し、巧みに使い分けているという状況があります。今後はこれがより進んで、一種の「糊」としての機能がファストファッションの主要な機能の1つになる可能性があります。」

という様に、実際には消費者側がファストファッションを含めた多様なファッションを組み合わせて自分らしさを演出する様になり、ユニクロもH&MもForever21も好調を維持していると言えるわけだ。それによって相対的に百貨店などの衣料品販売が落ち込んできているのだろう。というのも、家計に占める衣料品購入は目立つほど減ってはいないからだ。家計の衣料支出を100とすると、以前は40が百貨店での消費だったが、それが30〜20と減少していったのだ。

ユニクロやファストファッションと百貨店をはじめとする既存のアパレルの最も大きな違いは調達にある。例えば調達はファストファッションは日々行っているが、通常のアパレルでは「SS(Spring
Summer)」と言われるように春と夏の二季をまとめて手配する。長い場合は6ヶ月以上前に調達を済ませてしまう。実際に商品が入るのはシーズンの1ヶ月程度前。だから、春物が2月の終わりころから。夏物はGWの後だ。最初に調達した以上に商品は増えないので、店舗が賑わうのはシーズンの最初の売り出しの時と最後のバーゲンの時だけ。それがファストファッションでは毎日のように商品が変わるので消費者は買わなくても常にお店に行かなければいけない。

以前はアパレルメーカーはファッションを「作り出して」いた。これは物理的なだけではなく流行としてのファッションを作り出していたわけだ。戦後本格的に洋装が輸入され、昭和30年代までは見られた和装は全く姿を消した。昭和40〜50年代には洋装の流行が何回か現れたが、それはアパレルメーカーや一部のファッションリーダーが発信したものに追随するものでしかなかった。それが平成の大不況を越えてこの10年くらいでファッションやお洒落といったものに対する消費者の知識量が格段に増加して、ファッションが一部の人や企業によって発信され作られるものから、多くの消費者によって作られ相互に影響し合うものに変わっていったのだろう。そこではアパレルメーカーは消費者がファッションを発信する素材を提供するサプライヤーにすぎなし。商品の品質はもちろんある程度維持されている必要があるが、それよりも商品の種類が多ければ多いほど消費者の発信に役立つわけだから、成功の基準が「良いデザインを発信すること」から良いかどうかは分からないのだから「多くのデザインを発信すること」に変わっているのだ。

その昔、日本の絵画は屏風絵などに代表されるように大名や大商人などの特権者にしか親しまれない「芸術」であった。それが時代が下り、多くの絵師が浮世絵を描き版画が沢山頒布される生活の中の「デザイン」になった。先日、イタリアのブランド・ジルサンダーの創業者であるデザイナーのジル=サンダー女史がユニクロにデザインを提供することを発表した。センスの良いぴか一の商品がそれを良いと感じる感性の人だけに提供される「芸術」の時代から多くのデザインが多くの人に親しまれる「デザイン」の時代がアパレルにも到来したのだということだと思う。

意思あるもの

意思を持ってビジネスを動かそうとしているか。自問自答すると線引きをする自分がいる。それは自分の仕事じゃないとか責任がないとか。でも、全面的に自分の責任と思って何かを考えると違った風景が見えてくる。

他の部署の仕事に手を突っ込む。嫌われるかもしれないが、それがビジネスのアウトプットに必要なことであれば、そんなことは言ってられないのだろう。売り上げを二倍にするには、利益を倍増させるには…。

これは僕の意思だ。