2009年6月23日火曜日

レキジョなんかより年季が入ってます

最近コンビニなどで戦国武将の解説本が売られている。人気なのは真田幸村と大河ドラマで一躍有名になった直江兼続など。ゲームなどで現代的にアレンジされた戦国武将は「格好いい」らしい。ただミーハーなだけでなくレキジョは色んな本でその武将を調べるのだとか。

でも、こちとら小学生の時に子供向けの日本史の読み物を読んで以来の歴史好き。年季が違うのだ。なんといっても最初に読んだ戦いは大化の改新の天智天皇の蘇我討ち。最初にファンになった武将は楠木正成。千早城攻防戦は子供心に興奮した記憶があるが、後に三国志演義などを種本に脚色したものだろうと知って、中国の歴史に興味を移したものだ。

名高い「関ケ原の合戦」は歴史上二回ある。天智天皇の皇子、大友皇子(即位していたとして弘文天皇と諡される)と天武天皇の間で起きた「壬申の乱」が最初である。つまり、天下を二分しその後の日本の形を左右した戦いは共に関ケ原を舞台としていたわけだ。

GoogleMapsで関ケ原の辺りを「地形図」モードで見てみると何故ここが戦いの場となったのかが良く分かる。濃尾平野から琵琶湖に抜けて南下し京都に至るには、関ケ原を通って行くしかない。天武天皇も徳川家康も招集した兵力をいったん濃尾平野で集結させて京に向かったので、ここを通らざるを得なかったわけだ。そして、迎え撃つ側はこの狭い場所で迎え撃つのが戦略となり、ここは古来戦場となる運命にあった。

これ以外にも関ケ原を舞台とした戦いはあったのだろう。それほどに関ケ原は要衝であったのだろう。歴史は戦国時代だけではなく、古代から連綿と続く。その広がりの中で歴史を見ていって欲しいものだと思う。

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