2009年6月23日火曜日

温暖化対策の目標は低目?高目?


日本経団連、「敗戦」の裏側

「6月10日、麻生太郎首相は日本の温暖化ガス削減の中期目標を発表した。2020年までに2005年比で15%削減するというもの。同4%減を主張したが、受け入れられなかった財界の重鎮たちは敗戦の弁を繰り返した。」

温暖化対策で二酸化炭素などの"温暖化ガス"削減を目指すのはあまり意味がないと思うが、「世界は物語で動いている」ので、これも世界を動かす物語になってしまったということだ。

今回の政府の決定「2005年に対して-15%」が高目なのか低目なのか妥当なのかは分からない。他国はに比べると遜色のない目標と言えるが、ヨーロッパなどは1990年対比で60%の削減を言い出していて、それと比べると1990年以降ずっと排出量が増えている日本では目標が低いと批判されても仕方ないという言説がある。ただし、ヨーロッパは全く排出ガス規制のなかった東欧諸国を統計に取り込んでいて、そこに西欧諸国の「普通の」対策を行うと60%の目標も軽くクリアできるという。日本には対策されていない領域が極端に少なく自動車にしても日本車の排出ガス基準は世界一なのでハンデがあることは間違いない。

そう考えると表の数字の中で民主党の30%というのは何を考えているんだろう?とクビを捻りたくもなる。政権が近づいてきて、この主張を実行に移さないといけなくなったときに慌ててもしかたがない。温暖化ガス削減は企業に対して求めて国民から拍手喝采を夢見ているのかもしれないが、実際には企業が負担した費用は商品やサービスを通して国民のもとに降りかかってくる。そのとき国民が高い負担を忌避したとき、国内産業が痛まないという保証はない。温暖化対策プロモーションはある程度浸透しているようだが、国民は過大な経済的負担を認めてはいない。企業が創出した利益からその負担を拠出することを民主党は考えているようだが、それも笑い話だ(去年のリーマンショックで派遣労働者の雇い止めが問題になったときに、民主党は企業の内部留保を取り崩して雇用し続けろと経営センスのないことを露呈した)。

実現可能で継続可能な温暖化ガス削減は究極的には消費を抑制するということになる。あまり電化製品を使わない、買わない。外食を控える。地産地消。買わなければ企業が利潤を上げることが出来ず、最悪は倒産してしまうが、それを前提としてそういう対策が打ち出せるのだろうか?人間に限らず、地球上に生きている生物がある程度利己的に生きているのは当たり前の話だ。しかし、それもある程度である。継続可能な社会を前提とすれば、企業の使命は社会を豊かにすることで、経済的にも道徳的にも豊かさを追求する。消費者も同じことで、その複雑な人と人の作った組織の揺らぎの中に実現可能な解決策があるのだとおもう。

その意味では今回の温暖化の目標はどっちつかずであまり良い数字とは思えない。まったくやらないか、やるんだったら徹底的にやるか。まったくやらなくても企業は環境対策を講じ続けるものだ。それを信ずるならば、特に民間にプレッシャーをかける必要はない。それを信じないのであれば、実現がものすごく困難な目標を掲げた方が良いだろうと思うのだ。

いずれにせよ、中途半端はいけない。

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