2010年7月20日火曜日

みなしごハッチ

「みつばちハッチ」という映画が上映されている。30代以上の人には「みなしごハッチの大冒険」として知られる。

もともと、母親を拐われ"みなしご"になったハッチが様々な出会いを通して成長し、母親と再会する物語。今も昔もハッチの様に親と生別あるいは死別して頑張って生きていた人は沢山いて、そういう"みなしご"と差別される境遇の人に向けた応援ドラマでもあった。同時に"みなしご"を囲む社会に対する"啓蒙"でもあった。

ところが、みなしごハッチの物語はみなしごが差別用語としてメディアで使用自粛になってから全く放映されなくなった。同様の例に「タイガーマスクのエンディング」がある。

言語が社会の中でコミュニケーションに利用される以上、「差別をする行為」があればそれは言語に表れる。社会から差別行為が無くなれば差別用語は淘汰され無くなっていく。しかし、この使用自粛は因果関係を逆転させ、差別用語が公の場で使用されなくなれば差別がなくなると言っているかの様だ。

さて、かの悪名高き「文革」や「焚書」の様に文化を犠牲にする差別用語使用自粛でどれくらい差別がなくなったのか?実証して欲しいものだ。