2011年8月1日月曜日

ある意味「補完関係」

「そして、自立へ」という投稿をしたというお知らせに以下の様なコメントをもらった。

「しかし 地方議員 役人と中央の議員 役人をくらべて地方が勝るとは思えないのです。自立あるいは独立したところで話は変らないと思います。」

国会議員や国家公務員の方が地方自治体の議員や地方公務員より優秀という考えがあるようです。たしかに、20世紀なら通用したでしょう。戦後20〜30年くらいの「答えが分かりきっている時代」ならば、先行事例の読解力や事務処理能力が必要だからです。しかし、20世紀の最後の四半世紀は様々なパラダイムが崩壊し、「答えのない時代」に突入したのです。

国会議員や国家公務員になるような頭の良さは頼りになりません。それがこの四半世紀の日本の停滞に現れています。つまり国が駄目で地方が良いのではなく、どっちも駄目なのです。それを打破するためには「統治のパラダイム」を変えてみてはどうかというのが僕の提案です。

モノの役に立たなくなった国会議員と国家公務員はなんで淘汰されないのでしょう。と考えてみたところで、「両者は互いに依存しあうことで淘汰を免れている」のだと気がつきました。国会議員には政策アイデアと政策立案能力がありません。国家公務員にはアイデアを実現する権威を持ちません。しかし、国家公務員のアイデアを彼らが法案にして、国会議員が国会を通せば、互いの能力を利用できます。

しかし、本来的には国会議員は自身や自身のスタッフで法案を纏めあげるべきです。国家公務員は成立した法案の実現にむけたオペレーションを作りあげるべきです。政策立案にお金をかけられない日本では、なかなか実現しないかもしれません。それでも、このしょうもない補完関係を解消して欲しいものです。