2011年9月11日日曜日

大臣の覚悟

鉢呂経済産業大臣が辞任した。就任9日目のことで、大臣在任期間は史上三番目の短さとなる。この辞任劇にあたっては様々なことが取り沙汰されている。

「死の町」という表現は適切であったか?
被災地を「死の町」と評したことは詩的な表現としては理解できる。被災地を見て受けた衝撃を素直に表したものだろう。だから、この表現が即座に被災地を侮辱するとは思わない。メディアは、この表現に問題を感じたならば何故その時に真意を糺さなかったのだろう。
メディアの「言葉狩り」との批判もあるが、それよりはその場で真意を明らかにする切り込みが出来ないメディアに失望した。なんのことはない。イギリス首相がついているのを忘れて失言したのを拾ったマイクと、この記者は一緒だ。人間である必要はない。
ちなみに、イギリス首相の失言はラジオで首相同席の場で放送され、キャスターは首相の真意に切り込んだ。録りっぱなし、流しっぱなしではないのだ。

放射能なすりつけはあったのか
辞任会見でも事実は分からなかった。フリーのジャーナリストから記者クラブでの発言で事実性に疑問があるのではと指摘されていたが、大臣にははっきりと答えられなかった。そういう"軽口"があってもおかしくないし、そういう素人っぽさが民主党議員はなかなか抜けないということだろう。ただ、辞任会見での記者側の混乱を知ると、報道側の問題もあったのではないかと思える。

鉢呂大臣に適格はあったか?
なかっただろうと思う。というのはこの程度で辞任するというのは大臣として為し遂げたい使命感に欠けていたと思うからだ。仮に、被災地の産業復興や経済再生、原発事故処理を自らが為し遂げるべき使命と思っていたら、簡単には辞めないからだ。惨めだろうと、しがみついてでも為し遂げただろう。
為すべき使命がなければ守るのは自分のプライドだけとなる。あの会見は自分を守るための会見で、辞任をショーアップするだけのものだ。たから記者の乱入もあったわけだ。こういう人は民間企業にもたくさんいて、得てして身内からの評価は高い。しかし、顧客や部下からの評価は散々で、組織を停滞させる。
そういう意味でこの人事は失敗だったわけだ。だから、野田首相が本来やるべきだったことは鉢呂大臣の罷免であった。任命権者の責任の取り方は具体的に自らの決断を否定することしかない。