2011年4月5日火曜日

なぜ「東日本大震災」なのだろうか

「3.11(さんてんいちいち)」という言い回しが流行っている。この言葉を発すれば何か時代の節目を鋭く捉えている錯覚を覚えるようだ。この言葉を発すれば何か分かったような気になって思考停止するようだ。会社がうまくいかないのも、勉強が手につかないのも、全て「3.11」のもたらしたもの。

だから、僕は意識的にこの言い回しを使わない。同様に「千年に一度」も使わない。「自粛ムード」もスルーして飲みに行く。

しかし、なぜ「3.11」つまり、「東日本大震災」なのか。「1.17」=「阪神淡路大震災」ではないのか、「3.20」=「地下鉄サリン事件」ではないのか、「9.30」=「東海村JCO臨界事故」ではないのか。阪神淡路大震災は関東大震災以来の都市直下型の大震災であり、地震直後の大規模な火災で多くの犠牲者が出る点でも関東大震災と同じだった。今回の被害と同様に過去の災害の教訓が生かされていないという点でもっと本質的な反省がなされるべきだった。

「地下鉄サリン事件」はたった数人で大都市のインフラを麻痺させることが可能であることが実証された。その後の千葉東京間の送電線切断事故や大雪、今回の震災も含めて大都市東京が如何に脆弱であるかが省みられていない。東海村の事故では二名の死者と数百人の被曝者を出したが、放射性物質による継続的な被害より、誤解や無知に基づいた風評被害の方が大きく、原子力事業者は公共への情報公開や内容について研究するべきだったろうが、今回の東電のお粗末さを見ると他山の石として我が身を振り返ることなどなかったのだろうと思う。

"あの"「9.11」でアメリカは広大な国土で輸送手段が100年前に逆戻りする経験をした。テレビ会議やインターネットの普及が加速することとなったが、加えて非常事態での事業継続に関する研究が盛んになった。今回の震災で多くの外資系企業が迅速に本社機能を大阪や香港などに移転したのは、その経験が生きているのだ。

欧米で過去の大災害や事故が取り上げられるとき、そこには被害を最小限に抑えるという未来志向がある。日本では未だに「阪神淡路大震災」の時の市民の英雄的な働きや被害の大きさ、復興の努力などは語られる。しかし、本来ならば、火災を拡大しにくい町作りや被害に遇いやすい居住不適地からの住民の移住などがあるべきだったろう。災害時の指揮命令の明確さに加えて、非常事態における最高指揮官である首相の心構えについても考えられておくべきだっただろう。災害は起きるし、原子力発電プラントの事故も起きる。それを前提とした対応策(コンティンジェンシープラン)を用意しておこうと思う。

何故「東日本大震災」なのか?忘れっぽいからだろう。掛け声で「忘れない」のではなく、具体的な対策を積み重ねていこう。

東京都知事は石原慎太郎が当選するだろう

と、予想する。

東京都知事は圧倒的に現職が強い。現職が出馬した選挙で対抗馬が勝ったことはない。当の石原知事がかつて美濃部亮吉の三選阻止を目指して望んだが敗北した。美濃部の社会主義政策で財政が悪化し行政は官僚化したにも関わらず、である。

鈴木俊一も三期目の箱モノ行政を批判されながら四選を勝った。だから、石原慎太郎の四選も勝つだろう。震災のショックで弱っている都民にとっては家父長的な石原の言動は受け入れられるのではないかと思う。