2010年7月29日木曜日

温暖化ではなく、環境汚染の問題だろう

今日の日経新聞に「温暖化対策 先進国で失速」というタイトルの記事が踊った。アメリカは中間選挙を控え、ヨーロッパは景気回復を優先し、「ポスト京都議定書」に向けた国際合意成立の見通しがなくなったという。

温暖化と「温暖化ガス」の因果関係は議論があり、温暖化ガス排出を削減する意味には疑問が残る。その意味で今回棚上げされたのは良かったと個人的には思う。それより問題なのは米中の「豊富な天然資源」を背景にした環境汚染の放置である。

アメリカと中国にロシアを加えた三国は広大な領土とそこに埋蔵される豊富な天然資源を富の源泉としている。中露は最近になるまで資源が眠る中央アジアを支配することが出来ず、逆に存亡を脅かされてきた。いまや三国とも資源埋蔵地の支配を確立した。更に、その資源の採掘にあたって発生する環境汚染を広大領土が拡散してくれる為に放置している。

アメリカはさすがにその被害を放置しては国民の支持を失うので改善されているが、中露はまだ改善されてない。むしろ悪くなっている。

かつて日本も資源開発や産業成長の過程で環境、特に人間の住環境が犠牲にされた。それが今では工場で使われた水が使用前より綺麗になって排出されるほどになっている。この産業が社会に及ぼす悪影響を排除する技術は日本は世界でもトップだと思う。

この環境保全技術を米中露に売っていくことが日本の競争力向上につながるのではないだろうか。素晴らしい技術を税金を使って浪費するのではなく、世界に売っていくチャンスではないかと思う。

2010年7月27日火曜日

明智光秀謀反の理由についての考察

NHKでは「竜馬伝」が大人気だそうだ。その竜馬には「明智光秀の末裔」という噂がある。土佐を治めていた長曽我部氏は明智光秀とは姻戚関係にあったから、あり得ない話ではない。

その明智光秀が本能寺でなぜ信長を討ったのかは長年の謎である。曰く、「明智光秀の母親が見殺しにされた恨み」「何かと虐げられていた恨み」などの怨恨説は根強い。ただ、学術的には裏付けがないのだそうだ。

光秀は謎の多い人物だが、どうやら信長よりも年長であったらしい。本能寺の変当時は還暦に近かったかもしれない。すると、本能寺の変の原因は別に求められるかもしれない。

光秀の嗣子は当時満14歳だった。老いを感じた光秀が明智家の行く末を慮った時にどう考えたろうか。光秀は織田家中、重臣筆頭だった。信長が自身を弑逆出来る程の軍勢を与えたのがそれを証明している。外様家臣でそこまで出世するのは光秀の優秀さと共に信長の「能力に応じて引き立てる」という合理性も示す。

光秀が高齢で力を発揮出来なくなった時に、若年の嗣子を取り立ててくれる信長ではない。長年の忠臣であっても能力がなければ追放する信長が自分が引退したら明智家をどのように処遇するか光秀は憂えたのではないだろうか。その不安と恐怖が光秀を謀反に駆り立てたのではないだろうか。

光秀は信長を討った後、「ぼ〜っ」としている。秀吉が大返しをしなくても、周囲には光秀を討たんとする勢力が沢山あるのに何もしていない。足利将軍家を何度となく襲った近畿の緒大名のごとく、光秀に「背徳感」はなかっただろう。下剋上の時代、主君を打ち倒し主家を乗っとるのは普通だった。信長を同じだ。

しかし、信長亡き後光秀に誰も着いて来なかったのは、下剋上が許されない秩序形成が出来上がっていたということではなかろうか。事実、秀吉にせよ家康にせよ主家乗っとりには長い時間と既成事実と大義名分を積み重ねている。

つまり、光秀は信長を恐れ明智一族を守る為に謀反を起こしたが、下剋上の古い感覚で当然支持されると思っていたのが、誰も支持されず孤立してしまったということだろうと思うが、どうだろうか?