2007年6月17日日曜日

年金問題を経営的に考えてみる

年金問題が参院選をにらんだ政争の具になってしまって、急速に国民の関心が薄れていっているような気がする。その点で、小泉前首相は凄かった。様々な問題が政争の具にされそうになると、「郵政民営化」「自民党をぶっつぶす」などの過激なメッセージで政治論争の泥沼に陥ることを避けた上に、国民の圧倒的な支持を得た。小泉前首相の手法は「感性」を刺激するものであり、国民は容易に思考を停止する。安倍首相の政治手法はより「理性」的だ。

さて、年金問題の政治的な扱いはさておき、経営的にこの問題を考えてみた。この問題は一つには「顧客である国民の納付記録の管理がずさんであった」という内部統制の問題だ。そして二つ目に「経営者である長官が短任期で交代することにより、経営責任が不透明になった」というガバナンスの問題。最後は「労働者の権利を守ろうと、硬直的にコンピュータ化に抵抗してきた労働組合を説得できなかった」という労働問題である。

このうち、『労働問題』について考えてみた。報道されている内容を見てみると、社会保険庁の職員労働組合は①コンピュータ化に反対し②コンピュータ化後も使用時間の制限などを設け③コンピュータ化したデータの正確性の確認も怠った、ということになる。これは労働者の権利が過度に主張されたためにおきたことだと言える。①コンピュータ化によって労働者の職を奪い②不慣れなコンピュータ使用を強要することによって労働者の健康を害し③原本とコンピュータデータの照合させて労働者の負荷を増加させた、というのが組合側の論理なのだろう。「どこの国の話だ?」というのが正直な感想である。

コンピュータ化によって労働者の仕事が奪われるというのは噴飯ものだ。これは工場の機械化によって労働者が仕事を奪われるというのと同じ理論だ。しかし、産業界のどこをとっても機械化によって仕事がなくなったという例は見たことがない。むしろ、機械化によって増産できるようになったことにより、出荷量が増えて販売量が増加し、さらに生産量を増やさなければいけなくなるという好循環の方が多い。実際、機械化は消費が増加してきたことに対する産業界の答えの一つであった。年金事業を考えた場合、必要とされる生産量は消費量つまり顧客である勤労国民の人数に比例して多くなる。

70年代の団塊世代の就労時期から日本の労働人口は急激に増加した。コンピュータ化は急増する需要に対応するための措置であったのだ。しかし、組合は労働者の仕事を奪うという時代錯誤な主張を繰り返し、経営者である長官はそれを説得することが出来なかった。「経営対組合」という前時代的な構図にとらわれて経営の非効率を避けることが出来なかったのだ。これは経営者である長官が腰掛サラリーマンだったことにも由来するだろう。

古いコンピュータはデータ入力のために「パンチカード」と呼ばれる紙のカードに穴を開けて、それをコンピュータに読み込ませていた。穿孔機とよばれる機械はタイプライターの様に機械仕掛けでカードに穴を開けるものだった。そのため、腕や肩に負担がかかり長時間作業をすると身体に障害が発生する様な作業だった。労働省は昭和39年に通達でキーパンチャーの作業を一日4万ストロークに制限するように言っている。

しかし、現在のコンピュータのキーボードは昭和39年当時のキーパンチ装置に比べて負担は軽い。更に、パンチ数を少なくするための入力機器も沢山あり、入力の負担は格段に少なくなっている。そもそも4万ストロークというのは一文字平均2ストロークとすると2万文字のひらがなである。漢字にすると1万5千文字程度。氏名の漢字の文字数が平均4文字とすると4千人分の漢字氏名ということになる。よみがなや入金記録の入力を考えても千人~二千人分の入力ということになる。

民間の入力業者であれば、1タッチ0.5円程度。これは社会保険庁も利用している業者価格だ。そのタッチ数で計算すると商売的には1時間当たり4千ストローク程度の処理をしないとコスト割れになる。更に諸経費や利益を考え合わせると1時間当たり8千~1万ストローク分の作業をしなければ成り立たない。世間的な相場を知らしめた上で、社会保険庁の経営者(長官)は職員に業務遂行を命令しなければいけなかった。

コンピュータ入力されたデータは照合作業が必要である。これはコンピュータ化されたから新たに発生した仕事か?それは違う。従来も納付時の伝票や台帳からの氏名や記録の転記の際に照合は行われていたはずだ。コンピュータ化は「転記作業」と「転記時の確認」を軽減することが出来る。その代わり、最初の入力時の照合・確認作業が発生するということだ。恐らく、コンピュータ化によって”なくなる”業務があるなんてことは考えもしなかったのだろう。今の仕事は守るが新しい仕事は拒絶するというのでは「改善」などはおきない。人口が増加すれば職員を増やせば良いとでも思っていたのだろう。

こう見てみると経営者にとって労働者とのコミュニケーションがいかに重要なのか分かる。社会保険庁は経営者である長官が頻繁に交代すること(同時に経営層、管理者層も厚生省からの出向で頻繁に変わる)で、経営者の労働者の間に大きな溝が出来ていたということなのだろう。その上、労働者には「労働者共産主義」的な思想に毒された度の過ぎた権利者意識があった。この二つの要因が相互に作用して『業務効率化』という本来ならば経営者も労働者も、そして顧客である国民も幸せになることのできる取り組みが出来なかったのだろう。経営層、管理層である「厚生省職員」達はグリーンピアに代表されるような箱物「企画」にのめり込み、それが仕事だと思っていた。「社会保険庁職員」は日々の事務処理を漫然と行うことが仕事だと思っていた。同じ組織なのになんと仕事が違うことか。これでは一体感も望めまい。

経営者のパワーが大事であるとともに、組織の一体感が実際の仕事内容や処遇の公平さにも影響されるということが良く分かる。

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