2008年6月17日火曜日

宮崎勤 死刑執行

記事を読んで、あれから20年も経ったのかと思った。

当時僕は大学生。「オタク」という言葉が一気に広まり、偏った意見が許された。マスコミは「時代」を批判したが、正面から犯罪者を捉えようとしない弱腰を隠すためだったのではないかと思う。

宮崎勤は再審請求や恩赦を望んでいたそうだ。朝日新聞のサイトがあるジャーナリストの「宮崎勤は自分の犯罪と死刑を結び付けられていなかったのではないか。犯罪者が理解出来ないままに死刑が執行されて、罪を償うという刑罰本来の機能が不全になっている」という意見を取り上げていた。実に朝日新聞らしい記事だ。
死刑を回避しようと再審請求や恩赦の準備をしてたというのだから彼は自分の犯罪と死刑の関係を理解していたのだろう。面会したジャーナリストの目には彼がぼーっとして精神が変調をきたしているかのようにうつったらしい。ただ、20年だ。普通に社会生活を営んでいる人と比べれば、変なところはあるのだろう。
だからといって、判断能力は落ちてはいなかったようだ。彼は自分が死刑になることをちゃんと理解していたように思う。ただ、反省をしてたかといえば分からない。これは永遠に分からないだろう。人の心は見えないから。だから、償いの形として従容と刑に服さないといけないのだと思う。
死刑の確定から執行までが二年と短いことが伝えられている。だが、被害者の家族は20年待ったのだ。遺族は事件当時の土地から転居しているのだとか。何もなければ幸せに刻まれた家族の20年を思えば、遅すぎたと思う。

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