2011年1月27日木曜日

韓国は日本や中国よりも強い「学歴重視社会」をどの様に乗り越えるかが問題だ

日経ビジネスOnLineの記事より

記事要旨
1)韓国の国立大学KAISTの1年生が「成績が良くない」ことを悲観して自殺したことが社会問題となっている。
2)KAISTは成績が落ちるとその分高い授業料を払うことになっていて、高い場合は1,600万ウォンにのぼり、年収の三割を越す。
3)普通高校を出る学力がないとKAISTの授業にはついていけず、高い授業料を課せられ辞めたり、自殺を選ぶことがある。
4)官奴出身の朝鮮中期の科学者であり発明家として大活躍した蒋英実の様な人材はKAISTの様な制度では現れない。世宗大王が彼を抜擢したように、可能性を高めるような選抜方式が韓国には必要ではないか?

先に結論を言えば、仮にKAISTの様な「懲罰的学費」をやめて、経済的負担がない条件にしたとしても、成績を苦に自殺をする韓国の若者は減らないと思う。それは記事の中にある「ヤンバン(貴族)出身で、科挙を合格して」という歴史にある。この記事では詳細に解説されていないが、「ヤンバン(貴族)出身で、科挙を合格して」というキャリアパスは説明としては不正確である。当時の制度では科挙を受験する資格は貴族出身であることと科挙の受験資格がその家にあるかということの二つである。
受験資格が「家」に付与される上に、二代続けて科挙に合格できないと科挙の受験資格が剥奪されてしまう。つまり、貴族であっても下級貴族に転落してしまうことになる。受験資格の再交付はないから、一度転落したら再浮上の目はない。あるとすれば、その家の子女が後宮に上がって皇帝のお眼鏡に適うことである。
今は親の成績が悪いから大学を受験できないということはない。しかし、親の学力や出世と子どもの学力の相関は単純に信じられている上に長年にわたる「学歴重視傾向」が社会全体に良い成績を取らないといけないというプレッシャーを与えている。更に、それが「家」の名誉につながるために、簡単にはドロップアウト出来ない。授業料が安くなっても同じで、「良い成績」が「良い人生」や家の繁栄につながるわけだから、そう簡単に激烈な競争はなくならない。
「家」を重視したり、集団圧力が高いのは日本も同じだが、日本では江戸時代ですら武士・商人・農民の間の身分移動は行われていた。身分の低い人材の抜擢も度々あったので、学歴重視と実力重視がない交ぜになっている。しかし、韓国社会は「学歴」だけが重視されるので、こんな悲惨なことになる。
更に、成績のちょっとした差にも敏感だし、経歴上の傷は長く残る。韓国人の中での差別は激しく、北朝鮮からの脱北者や在日韓国人は韓国では差別の対象になる。同じ様に、普通高校の出身者は如何に「天才」と褒め称えられようと、いや天才と言われるからこそ激しい差別に晒される。

この宿痾を乗り越える明るい未来はあると思う。昨今の韓国人の海外留学は学歴秩序を崩壊させつつあると思う。世界に乗り出した韓国人が学歴には意味が無く「何をなしたのか」あるいは「何をなすことが出来るのか」が重視されるのだということを広く認識しはじめている。逆に元々学歴偏重ではなかった日本の方が、学歴にどんどん擦り寄っている気がする。

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